1980年、当時16歳だったロディ・フレイムを中心に友人のキャンベル・オウエンスらとともに結成されたアズティック・カメラは、地元のスコットランド・グラスゴーのインディペンデント・レーベル「ポストカード」からデビューする。当時この「ポストカード」からは、ロンドン・パンク以降の新しい感性を備えたバンドが傑出したことでも重要なレーベルであることは周知のとおり。ポストカード初のシングルリリースは、これもまたアズティック・カメラと同じく“ギター・ポップ”の代表的なバンド、エドウィン・コリンズ率いるオレンジ・ジュースであった。彼等はギターバンドの編成の中に、R&Bやカントリーの要素を取り入れていて、その後メジャーのポリドールで You Can’t Hide Your Love Forever ほかをリリースしている。
それに対してアズティック・カメラは、1983年「ラフ・トレード」から伝説の1stアルバム High Land,Hard Rain をリリースする。今作でのナイーヴなアコースティック・ギターが奏でるポップ・サウンドは、パンクを通過したポストパンク世代として、若者に熱く支持されることになる。この時、ロディ・フレイムは若干19歳。M1「思い出のサニー・ビート」でのラテン風味のリズムとスパニッシュ・スケールのギターソロや、ジャジーなメロディにファンキーなオルガンといったソウルへの造詣深さと、タイトルや歌詞に表されている一癖も二癖もあるセンス溢れる今作は、ロディのアーティストとしての完成度の高さを物語っている。そしてこの頃、彼等と同じくしてインディーレーベルからシングル盤をリリースして話題になっていた、スミスやペイル・ファウンテンズらとともに、インディー・ギターポップ・シーンを花咲かせていく。ペイルの1st Pacific Street (1984年)、レーベルの同朋だったスミスの1st The Smiths (1984年)とともに、アズティック・カメラのこのアルバムは同世代の金字塔として、今も色褪せることがなく、鮮やかな珠玉のポップ・ソングがきらめいている。
1984年には、メジャーのWEAに移籍し、2ndアルバム Knife をマーク・ノップラーのプロデュースでリリースされる。その後、1987年には、実質的にロディのソロ作品となった3rdアルバム Love をリリース。プロデューサーにラス・タイトルマン、トミー・リピュ‐マ、そして坂本龍一を迎えて、アメリカ録音されたものだった。その後はコンスタントにリリース作品を出すが、1995年、通算6枚目となるアルバム Frestonia を最後に、アズティック・カメラ名義としての活動は終止符を打つことになる。しかし、1998年、ロディ・フレイムは1stソロ・アルバム The North Star を発表。同世代の熱狂的ファンだけでなく、当時を知らない新しい世代にも受け入れられ、高い評価を得た事も記憶に新しい。
彼らの存在は、この日本にもギターポップ・シーンを広め、90年代前半の渋谷系ブームに大きな影響を与えた。1989年に Three Cheers For Our Side でデビューしたフリッパーズ・ギターに代表される一連のネオアコと呼ばれるバンドたちは、こぞってUKのインディー・ギターポップからの影響とリスペクトを包み隠さずアピールする(パクる)ことで、これらの隠れた名盤たちをリアルタイムでない若い音楽リスナーにも惹きつけた。フリッパーズのあの曲は何のバンドのどこのフレーズだ、とか聴きながらCD屋で探したりする楽しさやワクワク感。典型的な後追い世代としては、彼らの音楽的開発度は非常に高いといえるでしょう。彼等は筋金入りの熱心な洋楽リスナーで、マニアックなレコードコレクターというスタンスを普段着のまま音に表して、彼等もまた日本のギターポップ・シーンで重要な存在になる。彼等と同じくして活動していた、ペニー・アーケードやマーブル・ハンモックなど、いいバンドはたくさんあったし、レフト・バンクやアンダーフラワーなどのレーベルも登場した。とにもかくにもすべては、アズティック・カメラのこのHigh Land,Hard Rain から始まったといっても過言ではない。