CD 輸入盤

エルネスト・アンセルメの芸術〜ステレオ・レコーディングス 1954〜1963(45CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
SC831
組み枚数
:
45
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


エルネスト・アンセルメの芸術(45CD)

往年のスイスの指揮者、エルネスト・アンセルメの45枚組ボックスが、イギリスのヒストリカル系レーベル、スクリベンダムから登場。
 1954年から1963年にかけてリリースされたものから、ステレオ録音された交響曲と管弦楽曲が選ばれています。ほとんどがアンセルメがみずから創設したスイス・ロマンド管弦楽団を指揮してヴィクトリア・ホールでレコーディングされたもので、アンセルメの代表作と目される音源を多数収録。
 イギリス人資産家で総領事のダニエル・バートン(と妻のヴィクトリア)が造ったヴィクトリア・ホールの見事な音響を、ステレオ録音で手軽に大量に味わえるセットです。

 アンセルメと日本

バレエ・リュスの指揮者として有名になったアンセルメ
アンセルメは、ディアギレフの主宰するバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)で世界的に活躍したおかげで、海外では第1次大戦中から有名でした。まだ入団1年目だった1916年には、公演地の中立国スペインで、高級車アバダル・ビュイックの広告にアンセルメの顔が早くもアップで登場するなど、あらためて当時のバレエ・リュスの人気が凄かったことが窺えます。

元バレエ・リュスのアンナ・パヴロワ来日
ディアギレフによって「セゾン・リュス」(バレエ・リュスの旧称)が設立された1909年には、アンナ・パブロワ、ニジンスキー、カルサヴィナが一座の花形ダンサーでしたが、翌1910年にはパブロワはディアギレフのもとを去り、翌1911年に「パヴロワ・カンパニー」を結成して世界巡業を開始しています。
 パヴロワ・カンパニーは1922年に来日し、「パヴロワ婦人露国舞踊劇一座」として、帝国劇場など全国8都市で公演。当時の会社員の平均月給にも相当したという高額なチケットもすべて売り切れという人気ぶりで、谷崎潤一郎や、川端康成、武者小路実篤などがパブロワのバレエの衝撃を書き綴ってもいます。日本のバレエ需要が大きく高まった来日公演でした。
 ちなみに、前年の1921年から日本で暮らし、やがて霧島エリ子として帰化したエリアナ・パブロワは、日本でバレエやダンスを教えながらバレエ団を立ち上げて各地を巡業し、1941年に慰問公演先の南京で破傷風のため死去した日本バレエ界の大恩人(アンナ・パブロワとの血縁関係はありません)。

関東大震災と帝都復興事業6年間
かつての仲間、アンナ・パブロワの日本での興行的な大成功は、ディアギレフを大いに刺激した可能性があります。しかし、翌1923年9月には関東大震災が発生し、東京大空襲並みの10万人以上が死亡。帝都復興事業6年間を経て、帝都復興展覧会が開催されたのが1929年10月のことで、その2か月前にディアギレフは糖尿病で亡くなっていました。
 ディアギレフが若い頃に創刊した雑誌「芸術世界」の記事では、浮世絵が紹介されたり、その西欧画家への影響が考察されたりもしていたので、バレエ・リュスの来日公演が無かったのは残念です。

コンサート指揮者アンセルメ
バレエ・リュスへのアンセルメの最後の出演は、ディアギレフの死の3か月前、1929年5月におこなわれたベルリン公演での「春の祭典」でした。
 1930年代からのアンセルメは、スイス・ロマンド管弦楽団などとの「オーケストラ・コンサート」を中心に、演奏会やレコーディング、放送などで活動。ヨーロッパだけでなく、南北アメリカへのツアーや、国交断絶中のソ連ツアーも繰り返しおこなう一方で、バレエの舞台上演を指揮する機会はほとんど無くなります。

デッカ録音で知名度急拡大
第2次大戦が終わった翌年、ロンドン・フィルと録音したSP盤5枚組の「ペトルーシュカ」は、デッカ入社前のジョン・カルショーも衝撃を受けた音質で、戦前とはけた違いの情報量がアンセルメの実力を広く認知させ、以後、デッカへの録音が精力的におこなわれることとなります。なお、3年後の1949年にテープ録音が本格化すると、アンセルメはさっそく「ペトルーシュカ」を再録音し、さらなる音質の進化を示すと同時に、スイス・ロマンド管弦楽団の実力をアピールしてもいました。

日本でのアンセルメ人気はレコードで急上昇
そうしたアンセルメの日本での人気が高まるのは、キングレコードがDECCAと代理店契約を結び、日本語での情報発信が一気に増大した1950年代なかばのこと。特に1960年代に入ってステレオ・オーディオが普及し始めてからは、アンセルメのレコードの音の良さ、演奏の質の高さが人気を博しています。
 当時のレコードは、映画を10回見られるような高価なものだったため、購入者が後悔しないよう、レコード・ガイド的な文章が雑誌や新聞などに大量に掲載されるようになり、そうした場では必ずと言ってよいほど、アンセルメは、もと数学者で、フランス、ロシア、近現代もののスペシャリストとして位置づけられていました。そしてそうした情報が蓄積されることで、アンセルメの制作した数多くのフランス・ロシア音楽のアルバムが名盤と称えられるようにもなっています。
 海外での人気がバレエ・リュスが起源で、バレエ・リュスはロシア、フランスものが得意。さらにアンセルメがストラヴィンスキーやドビュッシー、ラヴェル、ブリテン、ファリャほか多くの作曲家と交流していたという事実もあり、アンセルメといえばフランス、ロシア、近現代ものというイメージの浸透は仕方のないことでもありました。
 しかし実際のアンセルメは、カルヴァンの地ジュネーヴで、日常的に多くのドイツ・オーストリア音楽をとりあげて興行的にも成功しており、それがデッカ初のベートーヴェン交響曲全集の指揮者に選ばれた一因でもあったことはあまり伝わっていなかったようです。

最晩年の招聘
当時の日本のコンサート業界では、フラン通貨圏のフル・オーケストラはあまり招聘されず、外国為替予算制度が廃止された1964年が最初で、以後、通貨協定のスミソニアン体制が終わる1973年までの来日公演は下記の4団体に限られています。

・1964年:パリ音楽院管弦楽団(クリュイタンス)
・1966年:フランス国立放送管弦楽団(ミュンシュ、セバスチャン、ルルー)
・1968年:スイス・ロマンド管弦楽団(アンセルメ、クレツキ)
・1970年:パリ管弦楽団(ボド、プレートル)

なので、レコードで人気があるからといって簡単には招聘できなかった事情があったものと考えられ、スイス・ロマンド管の来日公演が実現したときのアンセルメはすでに84歳になっていました。
 アンセルメは活動的な人物で、半世紀ものあいだ、呼ばれると世界各地に指揮しに行っていたようで、1964年にN響が東京公演に招聘した時もすぐに承諾の返事が来たそうです。好奇心も旺盛で、ホテルオークラに着くなり「キョート、キョート」と連呼し、京都行きをねだったため、N響側は急遽スケジュールを調整して京都観光を組み込み、アンセルメを喜ばせたと言います。また、アンセルメはN響の実力に驚き、のちにサヴァリッシュに対して、「それは夢のようだった」とも語っています。
 84歳の来日時にも立って指揮をし、東京だけでなく大阪、名古屋公演もおこなうほど元気だっただけに、現役の音楽監督だった時代にスイス・ロマンド管弦楽団との来日が実現していればさぞ凄かったのではないかとも思われます。
 とは言え、多くの有名演奏家の来日が叶わなかった中で、最晩年とはいえ2度の来日が実現したのは、N響と中部日本放送などの尽力の賜物ともいえ、結果的に日本でのアンセルメ人気をさらに高めることにも繋がっていたのは朗報でした。

●1964年5〜6月(80歳)、NHK交響楽団。7公演
・5月21、22、23日、東京文化会館(モーツァルト:交響曲第38番、「海」、「展覧会の絵」)
・5月30日、東京文化会館(ブラームス:交響曲第3番、「三角帽子」、「火の鳥」)
・6月8、9、10日、東京文化会館(ベートーヴェン:交響曲第7番、マルタン:7つの管楽器の協奏曲、「ダフニスとクロエ」第2組曲)

●1968年6〜7月(84歳)、スイス・ロマンド管弦楽団。7公演
・6月22日、東京文化会館(ブラームス:交響曲第4番、「牧神」「雲」「祭り」「海」)
・6月24日、東京文化会館(「幻想交響曲」、「火の鳥」、「ラ・ヴァルス」)
・6月26日、東京文化会館(「幻想交響曲」、「雲」、「祭り」、「海」)
・6月29日、日本武道館(フランク:交響曲、「三角帽子」、「シェエラザード」)
・7月2日、大阪、フェスティバルホール(「幻想交響曲」、「火の鳥」、「ラ・ヴァルス」)
・7月4日、大阪、フェスティバルホール(フランク:交響曲、「三角帽子」、「シェエラザード」)
・7月6日、名古屋市公会堂(「幻想交響曲」、「火の鳥」、「ラ・ヴァルス」)

1964年のN響客演では、指揮者単独ということで、本来のアンセルメらしくドイツ・オーストリアものも多い曲目構成で、1968年のオケとの来日公演では、世評を反映してか、フランスとロシア音楽が中心の構成となっています。
 1968年夏といえば、アンセルメが亡くなる半年前という時期で、スイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を退任してからすでに2年が経過してもいましたが、約1万人収容の武道館が埋まるなど、その人気にはかなりのものがありました。

誤訳と誤解
なお、アンセルメについては、フランス語情報、特にスイスの古い制度などの理解が重要になりますが、昔はそのあたりはあまり重視していなかったのか、誤訳や誤解にもとづく不正確な記述が、日本に限らず世界に広く流布して現在にまで至っているので、ここではそうした点に配慮しながら情報を整理してみます。
 アンセルメ自身、「もと数学者でのちに音楽家になった」という決まり文句にはいつも辟易していたそうで、自身については、自然が豊かで農業が盛んなヴォー州出身の情熱的な性格だと語り、音楽や哲学などについて語ったり書いたりする姿には実に熱いものがあります。
 日常の実演レパートリーも、世評で得意とされていたフランスもの、ロシアもの、近現代ものだけでなく、実際には、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバー、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナー、ブラームス、R.シュトラウスといったドイツ・オーストリアものの比重がけっこう高く、マーラーの2番や4番、ブルックナーの5番、テ・デウムなども指揮していました。


 各種リンク

【商品関連】
●収録情報
●商品説明:年表シリーズ一覧

【アンセルメ関連】
●仕事
●言語
●楽器
●師匠
●指揮
●指揮者ラセルダの影響
●ドビュッシー
●バレエ・リュス
●ジュネーヴ市立管弦楽団
●スイス・ロマンド管弦楽団
●ヴィクトリア・ホール
●著書

【年表】
188318841885188618871888188918901891189218931894189518961897189818991900190119021903190419051906190719081909191019111912191319141915191619171918191919201921192219231924192519261927192819291930193119321933193419351936193719381939194019411942194319441945194619471948194919501951195219531954195519561957195819591960196119621963196419651966196719681969


 仕事

●ローザンヌ新聞(執筆)
1902年、18歳のアンセルメは、「ローザンヌ新聞」に、ライターとして音楽に関する寄稿を開始し、1910年まで8年間に渡って執筆を継続。1909年から1910年にかけてベルリン、ミュンヘンに滞在した折の「ドイツからの手紙」は特に好評だったとか。

●ローザンヌ高等師範学校(代替教師)
1903年、ローザンヌ大学に2年間通って理学士号を取得したアンセルメが、19歳で就いた仕事は、ローザンヌ高等師範学校の数学の代替教師。
 生活の為にまず数学の教師になる道を選んだアンセルメは、音楽の勉強も継続したかったため、地元だけでなくパリで学ぶための貯金も始めます。
 ちなみに、アンセルメの母と祖母は教師、父は土地測量士という家系で、父は仕事柄、幾何学に詳しく、アンセルメの数学志向に影響を与えています。

●ヴヴェイ小学校(算数教師)
1903年、代替教師では貯金する余裕がないため、アンセルメは地元ヴヴェイの小学校に転職。そこで算数の教師を続ける一方で音楽の勉強もしながら、パリで数学と音楽をさらに学ぶための費用を貯めています。

●ローザンヌ州立中学校(数学教師)
1904年、数学の教師を募集していたローザンヌの中学校の試験を受けて合格したため転職。この中学校は、主に上流階級の子弟を対象としており、それが縁となって、1905年の夏季休暇中、裕福な化学者の子供のためにモントルー近くの別荘で数学の補習を実施。
 その別荘には、作曲もする化学者のために、ポルトガル人指揮者のフランシスコ・デ・ラセルダが滞在しており、アンセルメは14歳年長のラセルダとすぐに意気投合。自分でオーケストラをつくったこともあるラセルダの影響で、やがてアンセルメは指揮者になることを考え始めます。
 アンセルメは中学校で働きながら順調に貯金を続けた結果、1905年秋から1906年夏にかけて長期休暇をとり、パリに勉強のため滞在。
 しかし、ソルボンヌ大学で数学の講義を聴講して準備不足を痛感したアンセルメは、数学の学位論文を潔く諦め、音楽の勉強に集中。パリ音楽院で対位法と音楽史を聴講したほか、多くのコンサートを鑑賞しますが、中にはドビュッシー「海」の世界初演というものもありました。
 1906年、パリから戻ったアンセルメは、同僚で8歳年長のマルグリート・ジャコテと結婚。マルグリートは、のちに有名になる作家のラミュと幼馴染だったほか、多くの文化人に顔が利いたため、やがてアンセルメとマルグリートの住居は芸術サロンの様相を呈し、これがアンセルメの文学や哲学、美術などへの興味を大いに掻き立てることとなります。
 1908年、アンセルメは妻マルグリートの親戚の力を借り、指揮者ラセルダをカジノ・クルサール・ド・モントルー管弦楽団の首席指揮者に就任させ、自分は教師を続けながら頻繁にモントルーに通ってラセルダと交流。指揮やリハーサルも見学することになります。

●ローザンヌ交響楽団(客演)
1911年、27歳でプロとして指揮者デビュー。曲目はベートーヴェンの交響曲第4番、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」ほか。レセプションでは批評家と聴衆から称賛されます。

●カジノ・クルサール・ド・モントルー管弦楽団(首席指揮者)
1912年、首席指揮者ラセルダが健康上の問題もあって南仏マルセイユのオーケストラの指揮者になることが決まり、後任としてオーディションに合格したアンセルメが首席指揮者に就任。

●ローザンヌ州立中学校(数学教師)
1914年、第1次大戦の開戦によりオーケストラが解散したため、職を失ったアンセルメは、公教育局に出向いて交渉し、元の中学校教師に復職。

●文芸誌「レ・カイエ・ヴォードワ」創刊(執筆)
1914年、アンセルメと友人らにより文学と芸術のレビュー誌が創刊。「カイエ・ヴォードワ」とは「ヴォー人のノート」といった意味で、創刊号のタイトルは「レゾン・デートル」。ヴォー州ゆかりの文化人が、いろいろなことを書きますが、戦争の影響で深刻な紙不足に陥ったため6年後の1920年に廃刊。

●ロマンド交響協会を結成(創設者・指揮者)
1914年、戦争で失業中の音楽家たちを集めて「ロマンド交響協会(アソシアション・サンフォニク・ロマンド)」を結成し、ローザンヌで演奏。その後、ヌシャテルとフリブールでも演奏。実質的にはこれがスイス・ロマンド管弦楽団の前身でした。

●バレエ・リュス(専属指揮者)
1915年、バレエ・リュスの指揮者ピエール・モントゥーが徴兵されたため、後任として採用されることが決定。1910年からスイスを拠点とし、アンセルメと親しくなっていたストラヴィンスキーの推薦による契約でした。

●ジュネーヴ市立管弦楽団(定期公演指揮者)
1915年、ジュネーヴ市立管弦楽団が、前年クリスマスに亡くなった首席指揮者シュターフェンハーゲンの後任を探していたため応募、オーディションがわりの2度のコンサートで指揮して選ばれています。

●スイス・ロマンド管弦楽団(創設者・音楽監督)
1918年、さまざまな経験を積んだアンセルメは、身近にコンサート専門オーケストラが無いことから、資金を調達して自分で常設オーケストラをつくる道を選び、まず62人でスタートし、以後、半世紀に渡って指揮することになります。

●ソ連ツアー(客演)
1927、1929、1932、1937、1938年、レニングラード・フィル、モスクワ・フィルハーモニー協会管弦楽団などに客演。ソ連とスイスは、スイス人によるソ連外交官ら3人暗殺事件がヴォー州裁判所で無罪になったことで、1923年から1946年までの23年間に渡って国交断絶状態にあり、一般民間人の往来は自由とは言え、アンセルメのように、ヴォー州人でありながら期間中に計5回もソ連客演ツアーを実施し、しかもそのうち2回は大粛清[1936-1938]の時期にも当たっていたというのはほかに例がありません。

●パリ交響楽団(指揮者)
1928年、投資家や銀行、ココ・シャネルなど民間資金によって設立。当初の指揮者陣は、ピアニストが本業のコルトー[1877-1962]、オケのチェロ奏者から指揮者に転向したばかりのフレスティエ[1892-1976]、そしてスイス・ロマンド管弦楽団音楽監督のアンセルメの3人。最初の演奏会は1928年10月29日にシャンゼリゼ劇場で3人の指揮でおこなわれ、アンセルメはオネゲルの「ラグビー」初演を指揮。

●文芸誌「SUR(スール)」創刊(執筆)
1931年、ボルヘス、ヴィクトリア・オカンポらアルゼンチンの作家らによる文芸誌「SUR(スール)」の創刊に、唯一の外国人メンバーとして参加。


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 言語

●フランス語
母語。スイスのフランス語地区の生まれ育ちなのでフランス語が基本。

●ドイツ語
ドイツ語については、スイスの最大人口言語のため、フランス語地区でも小学校から教えられており、アンセルメにとってはこれも母語のようなものでした。

●スペイン語
アンセルメ自身は、第2の母語としてスペイン語を挙げています。バレエ・リュスの公演で訪れたことをきっかけに、アルゼンチンの音楽関係者、文学関係者などスペイン語が母語の人々と長年に渡って熱心に交流しており、そのレベルはかなり高かったものと思われます。

●英語
バレエ・リュスの一員として世界中をまわった際に身につけた英語も得意で、その後も、アメリカやイギリスに頻繁に出かけていました。

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 楽器

●ピアノ
幼少期から母によりレッスン。ストラヴィンスキーが近所に住み、「春の祭典」を作曲していた頃には、アンセルメはストラヴィンスキーと共に4手ピアノ版の「春の祭典」を演奏しており、また、亡くなる直前まで作品研究などでピアノを使用してもいました。

●ヴァイオリン
幼少期から曾祖父の楽器を用いて親戚によりレッスン。アンセルメによると少年時代は少々怠け者だったということで、ヴァイオリンはあまり巧くなりませんでしたが、演奏法を身につけたことは、後年、指揮をする上では役にたったものと思われます。

●クラリネット
少年期に伯父から長く習っていました。1919年にロンドンでジャズ・クラリネットの名手、シドニー・ベシェットの演奏に感激し新聞に寄稿までしたのもクラリネットに対する愛着があったからと思われます。29年後にシカゴで再会したベシェットからは、聖書の言葉に作曲した小さな作品「声とピアノのための2つの詩篇」を贈られてもいます。

●金管楽器各種
中学時代に軍楽学校「ファンファーレ・デ・カデ・ドゥ・ヴヴェイ」でレッスンを受け、軍曹の称号も獲得。この軍楽学校での経験が、名手揃いというわけではないスイス・ロマンド管弦楽団から壮麗なブラス・サウンドを引き出すことができたことに繋がっていそうです。「パルジファル」第1幕前奏曲で朝を知らせるトランペットとホルンも、アンセルメは楽譜通りにフォルテと強いアクセントで吹かせて驚かせます(晩年のトスカニーニも強烈)。

●打楽器各種
ブリュートナー管弦楽団で体験的にレッスンを受け、本番にも参加。アンセルメの指揮する演奏で、ティンパニや打楽器の存在感が大きいのはこの経験が活かされているのかもしれません。ベートーヴェンの交響曲第7番第4楽章(Disc26)など凄まじい限り。また、シューマンの交響曲第2番のエンディングでは、ティンパニを目立たせるために演出を加えたりもしています。


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 師匠

●アンリ・プリュモフ[1836-1914]
音楽教師、合唱指揮者、オルガニスト、作曲家。ヴヴェイの子供たちに無償で音楽を教えたりしていました。

●アレクサンドル・デネレア[1875-1947]
ローザンヌ音楽院で和声。デネレアはワグネリアンで、アンセルメは彼からワーグナーをはじめとするドイツ音楽について学びますが、ブラームスについては、デネレアが好んでいなかったことから、アンセルメは自分で学ぶことになります。

●エルネスト・ブロッホ[1880-1959]
スイスの若き作曲家・教育者。ブロッホとはすぐに親しい友人関係となります。

●オットー・バルブラン[1860-1943]
ジュネーヴのサン・ピエール大聖堂のオルガニストで合唱指揮者、教育者。アンセルメはバルブランの仕事を手伝いながら、教えもうけます。バルブランは1894年のヴィクトリア・ホールのこけら落としで合唱指揮者を務めてもいました。


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 指揮

見よう見まねの時代
アンセルメによると、ストラヴィンスキーより古い音楽では、不規則なリズムがあまり存在せず、指揮者になるには指揮法のレッスンを受ける必要が無く、そのため、音楽学校にも指揮科が無かったのだとか。
 そして、ストラヴィンスキーの複雑なリズムを指揮するために新たな指揮法の考案(とレッスン)が必要になり、それが指揮科の誕生にも繋がったということのようです。
 ドイツ・オーストリアの音楽学校では合唱指揮科は一部にありましたが、通常の指揮科はやはり無く、その合唱指揮科も、指揮者を目指して歌劇場に就職した際に、コレペティートアの過程を省くことができるという意味合いもあったようです(クレメンス・クラウスがこれに該当し、合唱曲も得意でした)。
 要するにアンセルメの時代の指揮の勉強は、見よう見まねが主流だったということになりますが、これについては多くの巨匠たちの経歴にも示されていますし、だから個性派が多かったとも言えそうです。

ニキシュとワインガルトナーがモデル
アンセルメは、クレンペラーにとってのモデルがマーラーだったと語り、自分にとってのモデルはニキシュ[1855-1922]とワインガルトナー[1863-1942]で、ワインガルトナーからは何度か助言を受けたこともあると回想しています。
 とはいうものの、アンセルメが最も長く身近に接していた指揮者は、モントルーのフランシスコ・デ・ラセルダ[1869-1934]であり、オーケストラ創設のことといい、受けた影響には大きなものがあったと考えられます。もっとも、師というよりは14歳年長の仲間ともいうべき気楽な関係だったようですが。

独自の技法を自身で考案
ある時、アンセルメは映画のサウンドトラックのために「ボレロ」を録音していましたが、全体の3分の2まで進んだところで電話のベルが聞こえてしまったため、最初からやり直さなければなりませんでした。その後、映画会社から「テンポが完全に同じなので、2つの録音を一緒に編集できたことに驚きました」という手紙を受け取っています。
 アンセルメによると、それは「ビート(拍)」が正しいからではなく、「カダンス」が正しいからということです。
 アンセルメの言う「カダンス」とは、楽曲を解釈することで把握されるリズムの強弱や和声進行の基礎単位で、「ビート」のように簡単に変わってしまうものではないとしています。

指揮者は作曲家の奴隷ではない
また、アンセルメは、指揮者は作曲家の奴隷であってはならず、指揮者自身の意見を伝えなければならないとも語っています。アンセルメの経験では、作品がオーケストラで実際に演奏された際に、作曲家が予見していなかった事態に遭遇することが多く、その際、指揮者は作曲家にとって役立つアイデアを提供することが可能というものです。
 実際、ラヴェルはジュネーヴを何度も訪れていて、アンセルメのオーケストラで試演してスコアを修正することも多かったようですし、ドビュッシーもアンセルメの提案を受け入れており、マルタンとオネゲルの場合では、作曲家と指揮者の協力関係はさらに強いものがありました。
 一方で、ストラヴィンスキーは、ボリシェヴィキ政府に全財産を奪われてからは、著作権収入に関連した改訂作業が増え、ロシア的なもの、リムスキー=コルサコフ的なものと距離を置いてしまったため、アンセルメはそのことには批判的でした。しかし、当事者側に立てば無理からぬこととも思われますし、さらに戦争による演奏機会喪失を考慮すると、対象となるオーケストラ編成の小型化にはやむを得ない面があったとも考えられます。

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 指揮者ラセルダの影響

偶然出会った指揮者ラセルダ
教師だったアンセルメは、トゥーン湖畔の保養地グンテンで偶然知り合ったポルトガル人指揮者ラセルダの影響で、指揮に興味を持つようになります。ラセルダは自分でオーケストラを創設した経験があり、オルガニスト、音楽学者でもあり、さらに、ドビュッシーと交流していた作曲家でもありました。

アンセルメの勤務先は上流階級対象の中学校
1904年、アンセルメは、欠員が生じていたローザンヌの中学校「ローザンヌ州立コレージュ・クラシーク」の教師試験を受けて合格し、数学教師職を拝命。このローザンヌのリポンヌ広場に面した学校は、主に上流階級の子弟を対象に10歳から6年間教える一貫校で、中学校の拡大版のようなところです。当時のヴォー州ローザンヌの公立校は、親の経済力により、「労働者階級用」、「中産階級用」、「上流階級用」と分けられており、ここで得た人脈が、のちにアンセルメが指揮者になるチャンスにも繋がります。



教え子の親の依頼で別荘に滞在して夏季補習
1905年夏、アンセルメは、トゥーン湖畔の保養地グンテンにある別荘に滞在。所有者は、化学者ルイ・カシミール・ドゥ・コペ[1841-1911]。彼の父、カシミール・ルイ・ドゥ・コペ[1813-1884]はローザンヌ出身で、ニューヨークに渡って銀行業で成功した人物。1839年にジュリエット・ウェストンと結婚し、1841年にルイ・カシミール、1843年にアンリ、1845年にフレデリク、1850年にアンナ・ローラ、そして1855年にはエドゥアール[1855-1916]をもうけています。
 大の音楽愛好家であった父カシミール・ルイは、1860年12月3日のローザンヌ音楽研究所(のちのローザンヌ音楽院。開校時の学生数は52人)設立に際して出資した共同設立者でもありましたが、その影響か、ニューヨークで生まれたルイ・カシミールとエドゥアールもまた大変な音楽愛好家でした。化学の道に進んだ兄ルイ・カシミールは作曲をし、銀行経営の後継者となったエドゥアールは、「フロンザリー四重奏団」のパトロンとしても有名(四重奏団リーダーのアルフレド・ポションは、1941年から1957年までローザンヌ音楽院院長職を拝命)。
 アンセルメは学校で、そのルイ・カシミールの息子2人に数学を教えていた縁で教師として招かれ、兄シャルル・アレクサンドル(16歳)のバカロレア準備に向けての数学の手伝いをすることと、弟ジェラルド・アンリ・フレデリク(12歳)に数学の補習をするよう依頼されます。

化学者ドゥ・コペの作曲を指導するために滞在していたラセルダ
そして、ルイ・カシミールの作品の演奏をするために、ほかのヴァイオリニスト、チェリストと共に屋敷に滞在していたフランシスコ・デ・ラセルダ[フランシスコ・イナシオ・ダ・シルヴェイラ・デ・ソウサ・ペレイラ・フォルハス・デ・ラセルダ]の存在が、その後のアンセルメの人生を大きく変えるきっかけとなります。
 ラセルダは屋敷ではピアニストとしてルイ・カシミールのピアノ三重奏曲などの演奏に参加していましたが、その際に作曲のアドヴァイスも本人におこなうなど、演奏者という位置づけだけではありませんでした。また、教師として滞在していた14歳若いアンセルメとも親しく交流するなど人柄も良く、さらに、本業は指揮者で、作曲家、オルガニスト、音楽学者としても活動しているという多彩な人物でもありました。
 ラセルダは絶海のアソーレス諸島に、古い貴族の家系で元知事の息子として誕生。最初医師を志すものの、やがて幼少期から学んでいた音楽の道に転向することとなり、リスボン音楽院とパリ音楽院で勉強し、プロとしての指揮者デビューは35歳の時だったという異分野転向かつ遅咲きな経歴の話と、健康上の理由もあって少々怠惰な印象を与えながらも、独特の優雅さで人々を楽しませるその人柄は、若きアンセルメを魅了したようです。


 そしてラセルダが、この1905年にフランスのナントで歴史コンサート協会を自ら設立して指揮をするという話も、アンセルメを大いに刺激した可能性があります。

アンセルメの妻の親戚の力で、ラセルダはモントルーのカジノの指揮者に就任
アンセルメはこのあと1年近くパリに滞在して対位法と音楽史を勉強し、パリから戻ると、同僚で8歳年長のマルグリート・ジャコテと結婚。マルグリートは、のちに有名になる作家のラミュと幼馴染だったほか、多くの文化人に顔が利き、さらに親戚にはモントルーの要人もいたため、1908年、アンセルメはその親戚の力を借り、ラセルダをカジノ・クルサール・ド・モントルー管弦楽団の首席指揮者に就任させることに成功。
 アンセルメは、教師を続けながら3年もの間、頻繁にモントルーに通って、ラセルダの指揮を間近に見て学ぶことになります。

ラセルダの後任としてアンセルメがカジノの指揮者に就任
そして1911年12月7日、急病でキャンセルとなったラセルダの代役指揮者として登場し、12月21日と翌1912年1月4日も指揮。これが評価され、4月には首席指揮者をラセルダから引き継ぎます。
 アンセルメは、このオーケストラが第1次大戦開戦によって活動停止するまでの2年4か月間に約50回のコンサートを指揮、フランス、ロシア、スイスの現代ものの初演も多数おこなっています。
 ちなみにラセルダは。南仏マルセイユの「グラン・コンセール・クラシーク・ド・マルセイユ」の指揮者になることが決まっていました。


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 ドビュッシー

早くから「牧神の午後への前奏曲」の大ファンだったアンセルメは、最初のパリ滞在時に「海」の初演に遭遇し、その後、ドビュッシーが亡くなるまでに何度も会って薫陶を受けています。
 アンセルメとドビュッシーが最後に会ったのは亡くなる前年の1917年のことですが、その時に、「海」の第3曲の終結部直前に、注意喚起的な金管パッセージを4回入れるという初版のアイデアを復活させることをアンセルメがドビュッシーに提案し、同意を得ています。
 この部分はかなり演奏効果の上がる部分でもあり、アンセルメ以外にも多くの指揮者が同様の措置をおこなっているので、以下、主な録音を列記しておきます。シューリヒト、ストコフスキー、ミトロプーロス(ホルン版もあり)、ライナー、デゾルミエール(ホルン版)、ベイヌム(ホルン版)、ムラヴィンスキー、カラヤン、ショルティ、チェリビダッケ(晩年はホルン)、ラインスドルフ(ホルン)、ホルヴァート、フロマン、N.ヤルヴィ、C.デイヴィス、ハイティンク(ホルン)、アバド、ヤンソンス、ジョルダン、アシュケナージ、デュトワ、ティルソン・トーマス、サラステ、準メルクル、ガッティ、G.サイモン、J.カヒーゼ、、エルダー、ズヴェーデン、ドゥダメル、マナコルダ、等。
 また、アンセルメはその会談の際に、2年前に提案し、ドビュッシーも乗り気になっていた「夜想曲」の改訂進捗についても説明を受けますが、赤と緑のインク、黒の鉛筆で書きこまれた変更点や注釈は膨大で、ドビュッシー自身の整理がまだついておらず、アンセルメに対して、良いと思うものを採用するようにと伝えていました。


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 バレエ・リュス

ストラヴィンスキーの推薦
1915年1月、アンセルメは、ディアギレフのバレエ・リュスの指揮者になることが決定。3年間指揮してきたピエール・モントゥー[1875-1964]が、徴兵でフランス陸軍第35歩兵連隊に配属、前線に送られてしまったため、後任指揮者を探して助言を求めてきたディアギレフに対し、ストラヴィンスキーがアンセルメを推薦して決まったものです。
 アンセルメは1915年から1923年までの8年間、バレエ・リュスの専属指揮者として、世界各地での公演を指揮しますが、それ以降は、スイス・ロマンド管弦楽団の仕事が忙しくなったため、1929年の「春の祭典」ベルリン公演など、重要な公演への散発的な出演に留まっています。

楽員は現地で契約
バレエ・リュスのオーケストラは、公演地のオーケストラ楽員や音楽家と契約して編成するというスタイルが基本ですが、音楽の専門教育を受けたディアギレフはオーケストラ・リハーサルも重視しており、場合によってはバラバラな音楽家たちを短時間でまとめて統率する能力が求められます。
 前任のモントゥーが重宝されたのもそうした能力に長けていたからですが、モントゥーと同じくカジノ・オーケストラ出身で、欠員など様々なトラブルやに対処してきたアンセルメもその点は万全でした。
 なお、頻繁に公演をおこなうパリとロンドンでは、ほぼ固定された音楽家との契約になっており、演奏の水準も高度なものだったということです。

アンセルメ・バレエ指揮者デビュー
1915年12月、アンセルメは、「真夜中の太陽」と題したジュネーヴでのバレエ・リュス公演で、バレエ・リュスの指揮者としてデビュー。濃厚で力強いリムスキー=コルサコフの「雪娘」を音楽に用いた舞台。続いて装置が豪華なパリ公演も実施。振付(と主演)は新進のレオニード・マシーン、装置はラリオノフ。赤十字義捐公演で、40万フラン(現在換算値:約3億円)の収益を上げています。


アメリカ・ツアー
翌月の1916年1月からは5か月間に及ぶアメリカ・ツアーに同行。投資家で音楽や芸術の後援者でもあったオットー・カーン[1867-1934]の支援で実現したツアーで、カーンは支援の条件として、1913年にディアギレフによって解雇されていたニジンスキーの復帰を要求。ニジンスキーは途中から合流し、ごく一部の上演に参加していました。
 ツアーは105日間で18都市をまわり、105回の公演をおこなうという過密なスケジュールでしたが、興行的にも成功を収めたため、ツアー終了後、ディアギレフは、戦争だらけのヨーロッパを避けて秋冬の公演もアメリカでおこなえるようカーンに交渉。
 しかし3年ぶりに復帰したニジンスキーの態度は険しく、統合失調症の兆候も現れ始めており、アメリカでの一座の指揮権を要求してディアギレフと対立し、さらにディアギレフの右腕である舞台監督グリゴリエフを追放しようとします。
 バレエ・リュスは分裂の危機に晒され、新進のレオニード・マシーンやアンセルメは、ディアギレフ、グリゴリエフと共にヨーロッパに帰還し、秋冬のアメリカ公演には参加していません。一方、ディアギレフはフランスの戦時局にモントゥーの前線任務の解除を要請、モントゥーは2年2か月に及ぶ軍務から解放され、9月にボルドーの港から出航し、8日後にはニューヨークに到着。最初の演目は、ニジンスキーの踊る「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」でしたが、直前までドイツを相手に戦い、膨大な死者を出したヴェルダンの激戦も経験していたモントゥーは指揮を拒否。
 また、運営主軸のディアギレフとグリゴリエフを欠き、ニジンスキー率いるメンバーによって強行された秋冬のアメリカ公演はトラブルが続き、連日大量の問い合わせ電報がディアギレフのもとに届くというお粗末な状況で、最終的には大きな赤字を計上。以後、ディアギレフがアメリカ公演をおこなうことはありませんでした。


高級車の広告に登場
1916年12月、バレエ・リュス公演先のスペインで、アンセルメが、アメリカのビュイックのエンジンを積んだスペインの高級車アバダル・ビュイックの広告に登場。バレエ・リュスの人気が指揮者も含めたものであることを窺わせます。


サティ「パラード」初演騒動
1917年5月、アンセルメはバレエ・リュスのシャトレ座公演で「パラード」を指揮。サティの音楽、コクトーの台本、ピカソのデザイン、マシーンの振り付けによる奇妙な舞台ということもあって、劇場内は飛び交う野次で騒然となり、アンセルメのすぐ近くにオレンジが投げつけられるなど、指揮者とオケも大変でした。この頃、チューリヒではダダイスム運動が盛んになっており、」ほどなくサティも音楽のダダイストとして承認され、指揮をしたアンセルメは現代音楽の紹介者として大きく注目されることとなります。


才人ディアギレフ
ディアギレフは、バレエの前にはオペラやコンサートの興行もおこなっており、「ボリス・ゴドゥノフ」初の海外公演となるパリ公演を1908年にシャリアピン主演で実現して大成功させたりもしていました。
 ロシア帝国地方貴族の家系に生まれたディアギレフは、サンクトペテルブルク大学で法律を学びながらリムスキー=コルサコフに作曲を師事。さらに声楽のレッスンも受ける一方、友人の画家のバクストやベノワらと共に芸術系の雑誌も発行して浮世絵や前衛など幅広い作品をロシアに紹介し、やがてパリでも美術展を開催して成功を収めています。このパリの美術展で得た人脈を活用し、「ロシア音楽演奏会」の成功をするに至る多才な人物で、その音楽的なアドヴァイスも天才的だったと言われています。


バレエ指揮者アンセルメ
そのディアギレフやニジンスキーのもとでさまざまなことを学び、多くのバレエ・ダンサーの信頼を得ていたアンセルメは、次のように述べています。

「バレエでは舞台上の所作が、音楽の語るものを具体的にあらわしますが、その音楽がバレエから切り離されても、それは依然として舞台上の行為からひきだされた意味を語っているのです。」

つまり様々なバレエの実際の舞台上演を知っているかどうかが重要になるということで、バレエ・リュスが無くなってもアンセルメの振るバレエ音楽が素晴らしかった理由は、この言葉にあらわれているようにも思えます。


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 ジュネーヴ市立管弦楽団

1914年12月25日、ジュネーヴ市立管弦楽団の指揮者で、音楽院のピアノ科教授でもあったドイツ人、ベルンハルト・シュターフェンハーゲンが肺疾患で死去。シュターフェンハーゲンはフランツ・リストの弟子で、1913年2月にはマーラーの交響曲第9番をスイス初演するなど同時代音楽の擁護者としても活動。


翌1915年1月、ジュネーヴ市立管弦楽団は、定期演奏会を再開するため、多くの指揮者を招いてコンサートをおこない、シュターフェンハーゲンの後任を探します。
 1月23日にはアンセルメも招かれ、リムスキー=コルサコフの交響組曲「アンタール」とピアノ協奏曲、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」(スイス初演)、ボロディン「だったん人の踊り」というロシア・プログラムを指揮。ピアノ独奏はジュネーヴ音楽院教授でもある女性ピアニスト、マルセル・シェリジアン=シャレイ。合唱団は、ジュネーヴ・ロシア教会のロシア礼拝堂合唱団。
 この1915年1月は第1次大戦が始まって半年という時期で、中立国スイスでは、フランス語圏とイタリア語圏では、どちらかというとフランス、ロシア、イギリスなど連合国側が好まれ、ドイツ語圏では、同じくドイツ、オーストリアなど中央同盟国側が好まれる傾向がありました。
 アンセルメの選んだ曲目が、ロシア尽くしで合唱団まで用いるものだったのも、フランス語圏世論が味方していた連合国側のロシア帝国に由来するプランだったと考えると納得しやすいですし、さらに、バレエ・リュス指揮者として、バレエ・リュスの名を高めたロシア人作曲家ストラヴィンスキーとの親密な関係を売り込むだけでなく、その恩師リムスキー=コルサコフと、その友人のボロディンをも取り上げることで、自分の存在を特別なものとして印象付けることができたとも考えられます。


2月6日、アンセルメが再び招かれて指揮。今度は、ベートーヴェンの序曲「コリオラン」と交響曲第7番、ウェーバー「魔弾の射手」序曲、ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」というドイツ物が中心のコンサート。前月の演奏を気に入った委員会が、ドイツ物の実力も見てみようと指揮を依頼したものでした。
 ちなみにジュネーヴ市立管弦楽団の指揮者は、下記のように3代続けてドイツ系です。

・フーゴー・デ・ゼンガー[1835-1892]
・ヴィリー・レーベルク[1863-1937]
・ベルンハルト・シュターフェンハーゲン[1862-1914]

ジュネーヴはフランス語圏なので少し意外な気もしますが、もともと1880年にジュネーヴ市立管弦楽団を創設したのがバイエルン生まれのフーゴー・デ・ゼンガーだったということで、後任の2人にもジュネーヴ音楽院で教えていた人物の中からドイツ系が選ばれた可能性があります。
 もっともジュネーヴは、フランスから亡命してきた宗教改革者ジャン・カルヴァン[1509-1564]によって強権的な神権政治がおこなわれていた町でもあり、音楽として認められていたのはルター派コラールだけという時代もあったということで、ドイツ系が好まれていた背景には、もしかしたら人事問題だけでなくそうした歴史の影響もあるかもしれません。


前月に続くこのコンサートの成功と、直前にアンセルメがバレエ・リュスの指揮者に決まったという話題性、そして作曲家デュパルク、ストラヴィンスキーからの推薦もあり、ジュネーヴ市立管弦楽団側は、アンセルメを定期演奏会の指揮者にすることを決定し契約。バレエ・リュスに同行して不在期間が発生する点も了承され、その間の指揮は、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団首席指揮者のフォルクマール・アンドレーエ[1879-1962]や、作曲家のヴァンサン・ダンディ[1851-1931]、ギィ・ロパルツ[1864-1955]らが担当。
 評論家で作曲家のギュスターヴ・ドレ[1866-1943]らによる、新聞まで利用した反アンセルメ・キャンペーンは徒労に終わっています。


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 スイス・ロマンド管弦楽団

1914年、第1次大戦開戦に伴ってスイス連邦政府がおこなった国境守備を主目的とした大規模徴兵により、多くの劇場やオーケストラが解散に追い込まれます。アンセルメも指揮者の職を失い、教職に復帰していましたが、スイスは中立国だったことや、兵役期間が短かったことから音楽を諦めきれなかったアンセルメは、失業中の音楽家たちを集めてオーケストラ「ロマンド交響協会(アソシアション・サンフォニク・ロマンド)」を結成。ローザンヌの「メゾン・ドゥ・プープル(人民の家)」で演奏会を開き、続いてヌシャテルとフリブールでも演奏して可能性を確信。これがスイス・ロマンド管弦楽団の前身でした。


翌1915年には、バレエ・リュスの指揮者となり、ジュネーヴ市立管弦楽団の定期演奏会指揮者としても契約していますが、スイスのフランス語地区に、コンサート専門のオーケストラが欲しかったアンセルメは、資金の当てができたこともあり、1918年3月、楽員62人を集めてスイス・ロマンド管弦楽団をジュネーヴで創設。ロマンドはスイス・フランス語地区という意味です。また、楽員数はその後、仕事量の増大と共に増えて行きます。
 バレエ・リュスの先輩指揮者でもあったロシア人指揮者のエミール・クーパー[1877-1960]からは、「人口50万に満たない都市で、価値のあるオーケストラを維持することは不可能だ」とも警告されますが、フランス語地区ということで考えれば約80万人だったこともあってアンセルメの意志は固く、着々と準備を進めます。
 8か月後の11月30日には、スイス・ロマンド管弦楽団の最初のコンサートをヴィクトリア・ホールで開催。
 準備期間中に超強力インフルエンザ第1波と第2波が発生するという不運な状況ではありましたが、公演は成功し、2日後にはローザンヌ市立劇場でもコンサートをおこない、以後、半年のあいだに計25公演が実施されたほか、ジュネーヴ大劇場でのグルックのオペラ「アルミード」の上演(9回)での演奏も任されるなど、順調なスタートを切っています。
 アンセルメは半世紀に渡ってこのオーケストラの音楽監督を務め、その間にオーケストラが演奏した作品は1,282曲に達しており、そのうち同時代作品は534曲で、うち455曲はアンセルメが指揮していました。
 ちなみに初期の頃は、ジュネーヴ市とヴィクトリア・ホール寄贈者バートンの覚書により、ヴィクトリア・ホールだけというわけにはいかず、主に下記の割り振りでオーケストラ・コンサートが開催されていました。

・ヴィクトリア・ホール:定期公演のシリーズA
・宗教改革ホール:定期公演のシリーズB
・プランパレ自治体ホール:ポピュラー・コンサート


宗教改革ホール(サル・ドゥ・ラ・レフォルマシオン)は、国際連盟の会議場でもあった1867年開場のジュネーヴのホール(約2,000席)。ヴィクトリア・ホールの東側、約1kmのところに位置。


プランパレ自治体ホール(サル・コミュナル・ドゥ・プランパレ)は、ジュネーヴに隣接する人口3万5千人ほどの自治体プランパレが1909年に開場したホール(約600席)。プランパレがジュネーヴ市に吸収合併されるのは1931年のことでした。ヴィクトリア・ホールの南側、約900mのところに位置。



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 ヴィクトリア・ホール

アンセルメ指揮するスイス・ロマンド管弦楽団のサウンド・イメージは、多くの場合、明晰でありながらも、表情豊かな質感と十分な量感を伴ったもので、ドライになったり貧相になったりすることがありません。
 その見事なサウンドに大きく貢献しているのが、彼らの本拠地でもあるジュネーヴのヴィクトリア・ホールの音響ですが、ホールの成立事情がとてもユニークなので、以下にまとめておきます。

英国総領事D.F.P.バートンによる建設
ヴィクトリア・ホールは、ジュネーヴ駐在イギリス総領事のダニエル・フィッツジェラルド・パケナム・バートン[1850-1907]と、その妻ヴィクトリア・アレクサンドリーナ・ジュリア・バートン(旧姓:ピール)[1865-1935]によって1891年から1894年にかけて建設されたコンサート・ホールで、建築当時の座席数は1,890。正面には、ヘンデル、バッハ、メンデルスゾーン、モーツァルト、シューマン、ウェーバー、ケルビーニ、ハイドン、ワーグナー、リスト、ベートーヴェン、ショパン、ベルリオーズ、シューベルトという有名作曲家のほか、アイルランドのバルフ、スイスのラフの名前も刻印されています。


バートン家
ダニエル・フィッツジェラルド・パケナム・バートンは、1850年にスコットランド、エディンバラの古都ミッドロジアンに誕生。先祖は古いイングランドの家系でしたが、8代前のトーマス[1583-1626]が、エセックス伯(ドニゼッティのオペラ「ロベルト・デヴェルー」でも有名)による1599年のアイルランドの反乱鎮圧に同行し、以後、北アイルランドに定住。
 その孫の孫のトーマス[1694-1780]が、1725年にフランスのボルドーに渡ってワイン・ハウス事業を開始。そして、その孫のヒュー[1766-1854]が、フランス人実業家と組んで事業を国際的なワイン貿易にまで拡大して大きな成功を収めています。
 そのヒューの息子で、バートンの父であるダニエルは、軍人の道を選択して北アイルランドからスコットランドに渡り、イギリス陸軍第7連隊の大尉として活動。

D.F.P.バートン
息子のD.F.P.バートンも軍人の道を選び、早くから海軍兵学校に通って操船技術などを学ぶものの、16歳で訪れたジュネーヴとレマン湖に魅せられ、以後、亡くなるまで41年間に渡ってジュネーヴを拠点に生活。16歳という年齢は、8代前のトーマスがアイルランドに渡った歳でもありました。
 レマン湖で最大のヨットを操り、クリケットも得意な資産家バートンは、音楽の熱心な愛好家でもあり、それぞれの分野でジュネーヴに貢献。
 まずバートンは、1872年にヨット、レガッタなど船の愛好家らと共にジュネーヴで「ソシエテ・ノーティク(航行協会)」を創設(本来は航海協会もしくは海事協会と訳すべきですがレマン湖は海ではないので航行協会としておきます)。
 同じ1872年に、イギリス人のJ.B.ヒースによって、「ジュネーヴ・クリケット・クラブ」も創設されており、バートンは後にそこでも貢献しています。

スイス連邦黎明期の経済環境
前年の1871年には、普仏戦争でフランスが敗れ、ドイツへの賠償債務が50億フランと決定。金銀複本位制を採用していたフランスでは銀行が兌換停止となり、「ラテン通貨同盟」の一員であったスイスもフランの価値が大きく下落、さらに銀の価値も急激に下がり始めたため、1873年には、事実上、金本位制に移行。
 このラテン通貨の混乱期は、イギリスやドイツといった金本位制の国の人々によるフラン銀貨購入や両替といった取引が膨大な規模でおこなわれ、その差益が注目を集めた時期でもあります。
 その頃のスイスは、国家統一(分離同盟戦争 → 連邦制)から24年、通貨統一から22年という状況で、まだ国としての金融政策はおこなわれていませんでした(国立銀行は1907年に設立)。
 1872年という年に、上記2つのクラブがジュネーヴで創設された背景には、当時のそうした経済環境が影響していたかもしれません。

バートンの支援で管楽器オーケストラ創設
1880年代初頭、バートンが地元ジュネーヴのラントヴェーア軍楽隊のコンサートを聴いた際、指揮者のルイ・ボナード[1845-1908]に対して、その解釈を称えたところ、ボナードは、楽器が良ければもっと良い演奏ができると訴えています。ボナードはジュネーヴ市立管弦楽団を指揮したり、ジュネーヴ音楽院でクラリネットを教えたりもしていました。


 ボナードの言葉を真摯に受け止めたバートンは、数日後にはすべての楽器をパリの新しい楽器に交換するとボナードに約束し、ボナードも喜んで楽員たちに伝えます。しかし、軍楽隊は軍の所属となるため、外国人からの支援は受けられないということになり、ボナードと民間人メンバーは軍楽隊を離脱。
 ボナードは追加メンバーを集め、バートンが資金を援助して、1883年3月に管楽器オーケストラを創設。バートンの支援で真新しい楽器と助成金を得た彼らは、今度はバートンが所属するジュネーヴの「ソシエテ・ノーティク」のほか、ブザンソンの「ソシエテ・ノーティク」が開催するレガッタ競技の大会などで、雰囲気を盛り上げるための演奏をおこなうという仕事も契約。
 そして、管楽器オーケストラの名称についても、バートンが「ソシエテ・ノーティク」に働きかけ、同じ「ノーティク」の名を使えることとなり、最終的に「アルモニー・ノーティク」に決定。「アルモニー」には、調和、和声のほか、管楽合奏の意味もあります。
 約60名の楽員は、揃いのマリン・キャップをかぶり、ボナードの指揮のもと、コンサート・ホールでの演奏会や、レマン湖の競技会での演奏、サン・ピエール大聖堂での慈善演奏会などで人々を楽しませます。


 3年後の1886年には、バートンは前述「ジュネーヴ・クリケット・クラブ」に対し、テニス・コート付きの広いクリケット場の提供を開始してもいます(1897年まで)。

妻ヴィクトリアの祖父はピール元首相
翌1887年11月、バートンはロンドンのサヴォイ・チャペルで、元スイスの英国大使で準男爵の令嬢ヴィクトリアと挙式。翌1888年には、イギリス政府からジュネーヴの総領事に任命され、1897年までの9年間在任していました。
 妻ヴィクトリアの祖父、第2代準男爵サー・ロバート・ピール[1788-1850]は、ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットに顔が載るほど有名な政治家で(上から2行目、左から2列目)、内務大臣、大蔵大臣、首相などを歴任、近代警察の基礎を築いたことでも知られる一方、イギリスで十指に数えられる資産家(英国最大の紡績工場を経営)で国会議員でもあった第1代準男爵サー・ロバート・ピール[1750-1830]の息子だったためたいへん裕福でした。

妻ヴィクトリアの父は元スイス駐在英国大使
ピール元首相から財産と爵位を受け継いだ第3代準男爵サー・ロバート・ピール[1822-1895]は、駐スイス英国大使などを務めた元外交官で、ツイードデール侯爵の娘エミリー[1836-1924]と結婚してしばらくすると政界に進出し、バース勲章も授与された人物。子供はヴィクトリアを含めて4人。
 後年、彼は競馬に入れあげ、飼育施設にまで手を広げて大きな損失を蒙った結果、娘のヴィクトリアが6歳の1871年に、第2代ロバート卿から受け継いだルーベンスなどの絵画コレクションをロンドン・ナショナル・ギャラリーに75,000ポンド(現在換算値:約7,000,000ポンド)で売却しています。幸い約40平方キロメートルの土地や、他の資産は無事で、賃貸だけで24,532ポンド(現在換算値:約2,300,000ポンド)の収入があるため、ピール家が財政難に陥ることはなく、エミリー夫人もドッグレースに興じて、ボルゾイなど育成。

レマン湖畔のランマームーア荘
第3代ロバート卿は晩年は家族と別居して自由に暮らしていましたが、1892年には、英国大使時代の1858年にジュネーヴに購入した地所を、バートン夫妻に譲渡し、夫妻は間もなく生活拠点を同地所に移しています。
 大使時代の若きロバート卿は、レマン湖畔の地所にスコットランド風の別荘「ランマームーア荘(下の画像の家屋)」やパヴィリオンを建て、庭園にはカリフォルニアから運搬してきたセコイアを30本植樹するなど大盤振る舞いで仕上げていました。
 バートン夫妻の転居から3年後の1895年、ロバート卿はロンドンで脳出血により死去。彼名義の遺産は9,568ポンド(現在換算値:約1,100,000ポンド)でしたが、譲渡した地所の価値は、その9倍ほどもあったので、ロバート卿も最後まで資産家として暮らしていたことになります。
 ちなみに、1907年にバートンが亡くなった際、英エコノミスト紙では、その地所の価値は82,636ポンド(現在換算値:約9,500,000ポンド)と掲載していました。
 バートンの没後、ヴィクトリア未亡人は、引き続き、スコットやドニゼッティを連想させる名前の「ランマームーア荘」で生活し、社交の場としてもフル活用、やがて1920年に国際連盟が近くで設立されると、各国の要人が同地所を来訪、国際連盟の饗応役を務めることも増え、「ジュネーヴの女王」などと呼ばれるようになります。その後、国際連盟は同地所の売却を求めてきますが、ヴィクトリアは断り、公園として保存することを条件に、スイス連邦政府に寄贈しています。


ベートーヴェンの「田園」が演奏できたらホールを建設しましょう
管楽器オーケストラ「アルモニー・ノーティク」創設から6年が経った1889年のある秋の日、バートンはボナードに対して、もしベートーヴェンの「田園」を「アルモニー・ノーティク」が演奏できたら、コンサート・ホールを建設しましょうと提案。ボナードはさっそく、友人のベルギー人作曲家ベルナルド・ファン・ペルク[1860-1931]に編曲を依頼。ボナードはペルクのスコアが完成するとリハーサルを重ね、同年12月4日、バートンが支援するジュネーヴの「新劇場」(1,488席。1910年に「大劇場」と改名)で「田園」を披露しています。


 演奏が気に入ったバートンは約束を守り、「新劇場」の隣の隣の土地の購入手続きを開始し、コンサート・ホールの設計をジュネーヴで市議会議員を務めたこともあるフリーメイソンのスイス人建築家、ジョン・カモレッティ[1848-1894](とその事業パートナーの弟)に依頼します。カモレッティはバートンのヨット仲間でもあり、同じく「ソシエテ・ノーティク」の初代会員でもありました。
 設計が終わった1891年には、英語で「Victoria Hall(ヴィクトリア・ホール)」と刻んだ礎石を設置して建設が開始され、1893年にはほぼ工事を終えています。

ヴィクトリア・ホール名前の由来
イギリスのヴィクトリア女王が前年の休暇中にジュネーヴの南西約50kmの保養地エクス=レ=バンで、「アルモニー・ノーティク」の演奏会に臨席していたことに敬意を表したという話が伝えられていますが、ヴィクトリアという名は、バートンの妻の名でもあり、さらに正面入り口の中央にバートン夫妻の紋章(ピール家の紋章に似ています)が掲げられてもいるので、実際には、妻ヴィクトリアの協力を称えるという意味も含められていると考えられます。ちなみにホール開場100周年を迎えた1994年には、エントランスにヴィクトリア女王の胸像が置かれ、翌1995年には、バートンの胸像も設置されていました。

ヴィクトリア・ホールこけら落としとその後
1894年11月28日、ヴィクトリア・ホールのこけら落としは、ルイ・ボナード指揮する「アルモニー・ノーティク」、ジュネーヴ市管弦楽団、オルガニストのヴィドール、およびオットー・バルブラン率いる300人近くの合唱団などによっておこなわれ、この公演の為に作曲されたヴィドールのオルガンとオーケストラのための交響曲第3番が注目を集めてもいました。バルブランはのちにアンセルメを指導してもいます。
 こうしてコンサート専用のヴィクトリア・ホールが開場したことで、バートンが支援していた隣の隣の「新劇場」は、オペラ、バレエ、演劇にシフトできるようになります。
 開場の2年後の1896年、ルイ・ボナードは息子を授かっていますが、恩人バートンへの感謝から、ファースト・ネームをダニエル、ミドル・ネームを自分のルイと命名していました(ダニエル・ルイ・ボナードはのちにフィラデルフィア管首席クラリネット奏者になるなど世界的に活躍)。

ヴィクトリア・ホールをジュネーヴ市に寄贈
開場から10年後の1904年、バートンは、ヴィクトリア・ホールをジュネーヴ市に寄贈しています(バートンは3年後に死去しボナードも翌年に死去)。
 ジュネーヴ市議会の議事録によると、その際、自身が支援してきた「アルモニー・ノーティク」を、ジュネーヴ市が引き継いで助成(年額12,000フラン)することと、彼らがヴィクトリア・ホールを、無料かつ優先的に少なくとも20年間は使用できることを条件として提示しています。約束は守られ、さらに1915年には「アルモニー・ノーティク」は市営団体となっています。
 アンセルメが1918年に創設したスイス・ロマンド管弦楽団の定期演奏会とポピュラー・コンサートの演奏会場が、最初の数年間、3か所に分散していたのは、このバートンとジュネーヴ市の取り決めの影響でした。


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 著書

「アンセルメは最高の指揮者の一人であるだけでなく、私たちの時代の最も偉大な思想家の一人です。」

ベンジャミン・ブリテン(作曲家、指揮者)




●「指揮者のジェスチャー」
1943年、アンセルメ最初の著書が出版。

●「現代芸術に関する討議」
1948年、アンセルメ2冊目の著書が出版。

●「人間の意識における音楽の基礎」
1961年、アンセルメ最大の著書(2巻本)が出版。1945年から書き始められたもので、シェーンベルクの12音技法について、数学や現象学の考え方を用いて否定したり、ストラヴィンスキーの近作も含めた前衛的な作品を批判する記述が含まれ物議を醸します。

●「アンセルメとの対話」
1963年、哲学者ジャン・クロード・ピゲによるアンセルメへのインタビュー(放送)を元にした本が出版。日本語訳もあり。


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 年表
 1883年(0歳)

●11月11日、エルネスト・アレクサンデル・アンセルメ、スイス西部フランス語圏、レマン湖東岸の町ヴヴェイのルー・ボスケに誕生。レマン湖の対岸はフランスという立地。


父フランソワ・ガブリエル・サミュエル・アンセルメ[1857-1907]は、歌うことが好きな土地測量士でフリーメイソンの会員、
 母マリー・ルイーズ・アンセルメ(旧姓:シャロトン)[1857-1941]は、教師でピアニスト、ソプラノ歌手で、2人はモントルーの混声合唱団で出会っています。
 母方の曾祖父ジャン=ルイ・シャルトンは、レマン湖北側の山間部、標高800メートルほどのモン=ラ=ヴィルで農業を営む傍ら、標高約370メートルのレマン湖ほとりのモルジュの軍楽隊の指揮者も務めており、行進曲やポルカなど作曲もおこなっていました。


◆スイスからの移民がピークに到達。前年からこの1893年にかけて約13,500人が、アメリカ(83%)、アルゼンチン(11%)、カナダ(4%)、ブラジル(2%)などに渡航。

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 1884年(0〜1歳)

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 1885年(1〜2歳)

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 1886年(2〜3歳)

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 1887年(3〜4歳)

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 1888年(4〜5歳)

◆ヴヴェイで路面電車が営業開始。ドイツ、イギリス、フランスの5年後のことでスイスでは最初(日本、アメリカがその7年後)。ヴヴェイ、クララン、モントルー、シヨン間の約10kmを走行。1958年にバスに置き換えられるまで70年間営業。ちなみに通常の鉄道がヴヴェイに開通したのはこれより27年前の1861年のことでした。


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 1889年(5〜6歳)

◆インフルエンザ流行。
●アンセルメ、小学校に入学。

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 1890年(6〜7歳)

●アンセルメ、小学校在学。

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 1891年(7〜8歳)

●アンセルメ、小学校在学。

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 1892年(8〜9歳)

●アンセルメ、小学校在学。

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 1893年(9〜10歳)

●アンセルメ、小学校在学。

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 1894年(10〜11歳)

●アンセルメ、小学校在学。

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 1895年(11〜12歳)

●アンセルメ、小学校卒業。
●アンセルメ、中学校入学。

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 1896年(12〜13歳)

●アンセルメ、中学校在学。

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 1897年(13〜14歳)

●アンセルメ、中学校在学。
●アンセルメ、ヴァイオリンとピアノのレッスンを開始。

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 1898年(14〜15歳)

●アンセルメ、中学校卒業。
●アンセルメ、ジムナーズ・マテマティーク(数学ギムナジウム)入学。


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 1899年(15〜16歳)

●アンセルメ、ジムナーズ・マテマティーク在学。

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 1900年(16〜17歳)

●アンセルメ、ピアノ曲「4月の物語」を作曲。
●アンセルメ、ジムナーズ・マテマティーク在学。
◆ヴヴェイでケーブルカーが営業開始。ヴヴェイ、シャルドンヌ、モンペルランを結びます。標高約800メートルまでの約1.6kmを走行。


●11月、ジムナーズ・マテマティークが、法改正によりジムナーズ・シアンティフィーク(科学ギムナジウム)に名称変更。

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 1901年(17〜18歳)

●アンセルメ、ジムナーズ・シアンティフィーク卒業。
●アンセルメ、ローザンヌ大学入学。

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 1902年(18〜19歳)

◆スイス連邦鉄道(スイス国鉄)、誕生。民間鉄道会社の財政難により統合。
●アンセルメ、「ローザンヌ新聞(ガゼット・ドゥ・ローザンヌ)」に音楽に関する寄稿を開始。1910年まで8年間に渡って執筆を継続。


●アンセルメ、ローザンヌ大学在学。
●アンセルメ、ローザンヌ音楽院のアレクサンドル・デネレア[1875-1947]から和声の講義を受けます。

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 1903年(19〜20歳)

●アンセルメ、ローザンヌ大学。2年間で理学士号を取得。アンセルメによると当時のスイスでは簡単だったということでした。


●アンセルメ、ローザンヌ高等師範学校に、数学の代替教師として就職するものの、小学校の教職が見つかったためほどなく退職。
●アンセルメ、小学校の算数教師として働き始めます。アンセルメの就職の最大の目的は、パリ滞在費用を稼ぐことでした。休日のほかに、夏季休暇、クリスマス休暇など、計13週間ほどもまとまった休みがあり、さらに、場合によっては長期休暇や休職も可能で、授業時間も週に10〜20時間と少なかったため、自分の勉強に多くの時間を使うことも可能です。

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 1904年(20〜21歳)

●アンセルメ、小学校の算数教師として在籍。
●アンセルメ、欠員が生じていたローザンヌの中学校「ローザンヌ州立コレージュ・クラシーク」の教師試験を受けて合格し、数学教師職を拝命。


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 1905年(21〜22歳)

●夏、アンセルメ、トゥーン湖畔の保養地グンテンにあるドゥ・コペの屋敷に滞在。14歳年長の指揮者ラセルダと意気投合。


●アンセルメ、パリのソルボンヌ大学で数学の講義を聴講。準備不足であることがわかり、学位論文を潔く諦め、音楽の勉強に集中することにします。
●アンセルメ、パリ音楽院で、ジェダルジュの対位法と、プルゴー=デュクードレーの音楽史の講義を聴講。
●10月15日、アンセルメ、ドビュッシー「海」初演を鑑賞。シュヴィヤール指揮ラムルー管弦楽団の演奏。

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 1906年(22〜23歳)

●アンセルメ、ローザンヌ州立コレージュ・クラシークに数学教師として在籍。
●アンセルメ、パリから帰還。
●夏、アンセルメ、前年に続き、トゥーン湖畔の保養地グンテンにある屋敷に滞在し、化学者ルイ・カシミール・ドゥ・コペの2人の子息に数学を教えます。
●10月6日、アンセルメ、マルグリート・エリーズ・ルイーズ・ジャコテ[1875-1940]と結婚。1940年にマルグリートが亡くなるまで34年間に渡って結婚生活が継続。
 アンセルメの同僚で、8歳年長のマルグリートは社交的で交友関係が広く、自宅に多くの人が集まるようになり、アンセルメも自分の友人たち(エドモン・ジリヤール[1875-1969 文芸評論家、作家]、アンリ・スピース[1876-1940 詩人]、アドリアン・ボヴィ[1880-1957 美術史家]、ポール・ビュドリ[1883-1949 文芸評論家、作家]、等)を呼んだことで、アンセルメ家は文化サロンの様相を呈していきました。
 のちに作家として有名になるシャルル=フェルディナン・ラミュ[1878-1947]もマルグリートと幼い頃からの友人ということで招かれ、アンセルメともすぐに意気投合、8年後の1914年には、ラミュが中心となり、アンセルメ家に集まる文化人らによって、文学レビュー誌「レ・カイエ・ヴォードワ」が創刊されるなど、生涯に渡る親しい関係を築くこととなります。ちなみにラミュはこのアンセルメとの縁で、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」、「結婚」、「きつね」にも関わっています。
●アンセルメ、スイスの若き作曲家・教育者のエルネスト・ブロッホ[1880-1959]と、ジュネーヴのサン・ピエール大聖堂のオルガニストで合唱指揮者、教育者でもあるオットー・バルブラン[1860-1943]の仕事を手伝いながら、教えもうけます。

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 1907年(23〜24歳)

●アンセルメ、ローザンヌ州立コレージュ・クラシークに数学教師として在籍。
●2月10日、父フランソワ・ガブリエル・アンセルメ死去。
●アンセルメ、パリでロマン・ロラン[1866-1944]と交流。
●アンセルメの娘、アン=ジャクリーヌ誕生。

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 1908年(24〜25歳)

●アンセルメ、ローザンヌ州立コレージュ・クラシークに数学教師として在籍。
●10月、アンセルメ、ヴヴェイとローザンヌで、現代フランス音楽に関するデュパルク、ドビュッシー、ショーソン、ラヴェルらによる講義を聴講。
●12月、アンセルメ、作家ラミュと手紙のやり取りを開始。以後、34年間に渡って継続。

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 1909年(25〜26歳)

●アンセルメ、ローザンヌ州立コレージュ・クラシークに数学教師として在籍。
●秋、アンセルメ、翌年の冬の終わりまで半年の休暇をとってドイツに滞在。ミュンヘンで、フェリックス・モットル[1856-1911]の「リエンツィ」を鑑賞し、ベルリンでは、アルトゥール・ニキシュ、フェリックス・ワインガルトナー、リヒャルト・シュトラウス[1864-1949]、カール・ムック[1859-1940]のリハーサルを見学。
●アンセルメ、ベルリンのブリュートナー管弦楽団で、ティンパニなど打楽器のレッスンを受け、コンサートでは大太鼓やトライアングルを演奏させてもらいます。ブリュートナー管弦楽団は、有名なピアノ製造会社の創業者ユリウス・ブリュートナー[1824-1910]によって1907年に設立されたオーケストラ。1925年にベルリン交響楽団と改名し、1990年代にはベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団と改名。


●アンセルメ、ラセルダのリハーサルを見学し指導も受けます。

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 1910年(26〜27歳)

●アンセルメ、ローザンヌ州立コレージュ・クラシークに数学教師として在籍。
●3月2日、アンセルメ、パリでドビュッシー「春のロンド」の初演を鑑賞。終演後、作曲者と交流。ラセルダとスイス人音楽学者のロベール・ゴデ[1866-1950]の紹介によるものでした。
●6月、アンセルメ、パリでバレエ・リュスによる「火の鳥」初演を鑑賞。振付はフォーキン。指揮はピエルネ。
●8月、ストラヴィンスキー家がモントルー近くのクラランに滞在開始。少し前に、妻、長男、長女、メイド、乳母を連れ、サンクトペテルブルクからパリを訪れていました。妻エカテリーナ・ガヴリロヴナ・ノセンコ[1880-1939]は身重で、翌月23日には、のちに作曲家・ピアニストになる次男スリマをローザンヌで出産。1906年にストラヴィンスキーと結婚したウクライナの地主の娘エカテリーナは、ストラヴィンスキーの幼馴染でいとこ。1907年にフョードル、1908年にリュドミラ、1910年にスリマ、1914年にマリア=ミレーヌをもうけています。
 このストラヴィンスキー家が、1910年から1920年までの10年間をスイスを拠点に過ごすことになったため、アンセルメとの親交が生まれ、それが当時ローザンヌ在住だったディアギレフへの紹介にも発展。また、アンセルメとの交流は、ストラヴィンスキー自身が指揮を始めるきっかけにもなっています。


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 1911年(27〜28歳)

●アンセルメ、ヴヴェイの隣のラ・トゥール=ド=ペに長期滞在していた作曲家、アンリ・デュパルク[1848-1933]のもとを頻繁に訪れて、歌曲のオーケストレーションを手伝ったりしています。デュパルクは視力低下が進行しており、最晩年には盲目となってしまいます。


●3月15日、アンセルメ、ローザンヌ交響楽団を指揮してデビュー。ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、ベートーヴェンの交響曲第4番、そしてジャック・ダルクローズ[1865-1950]の作品を演奏。レセプションでは批評家と聴衆から称賛されます。


●アンセルメ、ローザンヌ州立コレージュ・クラシークを退職。


●12月7日、アンセルメ、レマン湖畔、モントルーの保養施設、カジノ・クルサールのオーケストラを指揮。
●ストラヴィンスキー、クラランの「ペンション・デ・ティユル」に翌年にかけて滞在開始。「春の祭典」など作曲したため、現在、近くには「春の祭典通り」があります。


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 1912年(28〜29歳)

●アンセルメ、ラ・トゥール=ド=ペに長期滞在していた作曲家、デュパルクのもとを訪れて、歌曲のオーケストレーションを手伝ったりしています。
●4月、アンセルメ、カジノ・クルサール・ド・モントルー管弦楽団の首席指揮者をラセルダから引き継ぎます。年末年始の代役指揮が評価されての就任。
 アンセルメは、このオーケストラが第1次大戦開戦によって活動停止するまでの2年4か月間に約50回のコンサートを指揮、フランス、ロシア、スイスの現代ものの初演も多数おこなっています。
 ちなみに前任のラセルダは。南仏マルセイユの「グラン・コンセール・クラシーク・ド・マルセイユ」の指揮者になることが決まっていました。


●7月、アンセルメ、クラランの「ラ・ペルヴァンシュ荘」に転居。ストラヴィンスキー[1882-1971]が年頭に滞在していた「ペンション・デ・ティユル」のすぐ近くでした。

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 1913年(29〜30歳)

●アンセルメ、ラ・トゥール=ド=ペに長期滞在していた作曲家、デュパルクのもとを訪れて、歌曲のオーケストレーションを手伝ったりしています。
●3〜4月、モーリス・ラヴェル[1875-1937]、クラランの「オテル・デ・クレテ」に滞在。ディアギレフからの依頼案件(「ホヴァンシチナ」の編曲・補作)について、友人のストラヴィンスキーから、一緒に仕事をしたいという申し出に応えたもので、ストラヴィンスキーはそのとき、向かいの「オテル・デ・シャトゥラール」に逗留していました。滞在中、ストラヴィンスキーの弾く「3つの日本の詩」に触発されたラヴェルが、「ステファヌ・マラルメの3つの詩」の作曲を構想するという出来事もありました(8月に完成)。
 また、このときアンセルメはラヴェルと親しくなり、以後、1937年にラヴェルが亡くなるまでの四半世紀、いろいろと関わることになります。
●冬、ストラヴィンスキー家、クラランの「ペンション・デ・ティユル」に滞在。

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 1914年(30〜31歳)

●1月、ストラヴィンスキーの次女マリア=ミレーヌがローザンヌで誕生。
●ストラヴィンスキーの妻エカテリーナが肺結核に罹患。エカテリーナはモントルー近くの標高約千メートルの山村シャトー=デーで療養。
◆7月、第1次大戦勃発。
◆8月、スイス連邦政府、中立を宣言。
◆8月、スイス連邦政府、徴兵を大規模に実施(兵士は無報酬)。主にスイス西端の国境警備を強化するため、約23万8千人の成人男性と約5万頭の馬を配備。当時のスイスの人口は約380万人なので、かなりの規模です。しかし、中立宣言をおこなっていたため、地上での公式な戦闘は無く、フランス、ドイツと国境を接していたことから、両軍兵士とも平和的に接触(画像下の左がドイツ兵、右がフランス兵との交流)。また、地元の農作業を手伝ったり(画像左上)、部隊ごとに配備されたシャワー列車(画像右上)で清潔さも維持できていました。


そうした状況から、戦争が終わるまで陸上戦闘は無かったため、国境侵犯してくる軍用機への対空砲火が主な「戦闘任務」でした。また、1918年の超強力インフルエンザの感染爆発を受けて、基地から自宅に帰宅させられたという事情もあり、終戦時の配備人数は、94パーセント減の約12,500人でした。ちなみに戦死はいませんでしたが、事故や病気で約3,000人の将兵が死亡しており、そのうちの約1,800人がアメリカ軍がヨーロッパにもたらした超強力インフルエンザの犠牲者でした。また、民間人の戦争犠牲者は、主に連合国軍の爆撃によって発生しています。
●8月、カジノ・クルサール・ド・モントルー管弦楽団、活動停止。
●音楽家連合(サンディカ・デ・ミュジシャン)が誕生。成人男性の大規模徴兵により、オーケストラやアンサンブル、合唱団の維持ができなくなり、劇場も閉鎖に近い状態に追い込まれたため、多くの音楽家が失業状態に転落。
●8月、アンセルメ、失業したためローザンヌに戻り、公教育局に申し出て、再びローザンヌ州立コレージュ・クラシークで数学を教えるようになります。


●ストラヴィンスキー家、クラランの「ラ・ペルヴァンシュ荘」に滞在開始。アンセルメ家がローザンヌに引っ越したため、後を引き継いでの入居。
●文学と芸術のレビュー誌「レ・カイエ・ヴォードワ」創刊。アンセルメの友人エドモン・ジリヤール[1875-1969 文芸評論家、作家。アンセルメの元教師仲間]と、ポール・ビュドリ[1883-1949 文芸評論家、作家]により創刊。作家ラミュなど、ヴォー州の文化人らによる出版企画で、アンセルメの妻マルグリートの古くからの友人である書籍商コンスタン・タランの尽力で刊行。
 「カイエ・ヴォードワ」とは「ヴォー人のノート」といった意味で、創刊号のタイトルは「レゾン・デートル」。第1次大戦の影響で深刻な紙不足に陥った1920年まで6年間継続。参加メンバーは、モーリス・ボー[1866-1915 画家]、ルネ・ヴィクトール・オーベルジョノワ[1872-1957 画家]、ルネ・モラ[1873-1963 作家]、アルベール・ミュレ[1874-1955 画家]、アンリ・スピース[1876-1940 詩人]、アレクサンドル・サングリア[1879-1945 画家]、アドリアン・ボヴィ[1880-1957 美術史家]、アレクサンドル・プランシェ[1882-1961 画家]、アンリ・ビショフ[1882-1951 画家]、シャルル・アルベール・サングリア[1883-1954 作家、詩人、音楽家]等。


●秋、アンセルメ、失業中の音楽家たちを集めて「ロマンド交響協会」を結成。
●秋、アンセルメ、かつて仕事をしていた「ローザンヌ新聞(ガゼット・ドゥ・ローザンヌ)」の編集部を訪れ、編集長にオーケストラの宣伝の相談をするものの断られます。
●12月25日、ジュネーヴ市立管弦楽団の指揮者で、音楽院のピアノ科教授でもあったドイツ人、ベルンハルト・シュターフェンハーゲンが肺疾患で死去。

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 1915年(31〜32歳)

●1月、ジュネーヴ市立管弦楽団、定期演奏会を再開するため、多くの指揮者を招いてコンサートをおこない、シュターフェンハーゲンの後任を探します。
●1月、アンセルメ、ディアギレフのバレエ・リュスの指揮者になることが決定。


●1月23日、アンセルメ、ジュネーヴ市立管弦楽団。ロシア・プログフラム。
●2月6日、アンセルメ、ジュネーヴ市立管弦楽団。ベートーヴェンの序曲「コリオラン」と交響曲第7番、ウェーバー「魔弾の射手」序曲、ブルッフ:Vn協第1番、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」というドイツ物が中心のコンサート。前月に続くコンサートの成功などにより、ジュネーヴ市立管弦楽団側は、アンセルメを定期演奏会の指揮者にすることを決定し契約。
●1〜2月、ストラヴィンスキー、シャトー=デーの「オテル・ヴィクトリア」に滞在して作曲。
●ストラヴィンスキー家、ローザンヌの西約10キロのところに位置する古都モルジュの「ヴィラ・ロジヴュ」に転居。1917年までの拠点となります。


●12月、ストラヴィンスキー、ジュネーヴで指揮者デビュー。
●12月、アンセルメ、バレエ・リュス。「真夜中の太陽」(リムスキー=コルサコフ「雪娘」管弦楽抜粋版を使用)によりジュネーヴでバレエ指揮者デビュー。続いてパリ公演も実施。赤十字義捐公演。


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 1916年(32〜33歳)

●1〜5月アンセルメ、バレエ・リュス。当時中立国のアメリカでのツアーに同行。105日間で18都市をまわり、105回の公演をおこなっています。


●アンセルメ、初のレコーディング。米Columbiaのためにニューヨークで、現地編成のロシア・バレエ管弦楽団を指揮して実施。曲目はリムスキー=コルサコフ作品集とショパン「レ・シルフィード」(抜粋)
●5〜8月、アンセルメ、バレエ・リュスのスペイン・ツアーに同行。


◆スイス連邦参事会、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、フランス、イギリス、ベルギーの戦傷病者受け入れを開始。終戦までに約6万8000人を受け入れて治療しています。

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 1917年(33〜34歳)

◆3月、ペトログラードの国際婦人デー女性デモをきっかけとして3月革命(ユリウス暦では2月革命)勃発。ロシア臨時政府樹立。


●3〜7月、アンセルメ、バレエ・リュスのイタリア、フランス、スペイン公演に同行。


●3月、ロシア皇帝が退位したため、ロシア国歌が演奏できなくなり、代わりに「ヴォルガの舟歌」をオーケストラで演奏することが急遽、決定。ストラヴィンスキーは徹夜で編曲、アンセルメが記譜し、なんとか翌日の公演に間に合わせています。
●5月、アンセルメ、バレエ・リュスのシャトレ座公演で「パラード」を指揮。


◆7月、ペトログラードで7月蜂起。50万人のデモがロシア臨時政府により鎮圧。
●7〜9月、アンセルメ、バレエ・リュス。ラテン・アメリカ・ツアーに同行。アンセルメはブエノスアイレスの音楽家たちと親しくなり、ブエノスアイレスで新たにオーケストラが設立される際には協力することを約束。


◆11月、ペトログラードで11月革命(ユリウス暦では10月革命)勃発。レーニンが最高指導者を務めるボリシェヴィキ政権樹立。第1次世界大戦と並行して「ロシア内戦(第1期)」が勃発。
◆11月、ボリシェヴィキ政府によりロシアのすべての土地は人民の所有(=政府所有)とする法が制定。教会の土地・財産も没収。
◆12月、ロシア国内の全銀行の国有化。
●12月、ストラヴィンスキー、ロシアの財産をボリシェヴィキ政府に奪われ、経済的危機に直面。これにより、指揮者、ピアニストとしての活動を本格化させることとなります。また、それまで素材として有効活用し、諸作を成功に導いてきたロシア帝国域内の民謡についても、ロシア政府への怒りからか、以後、大きな作品では使用しなくなり、さらに作風のモダン化も進められ、3大バレエの世界から急速に遠ざかって行きます。
●ストラヴィンスキー、1915年から拠点としていたモルジュの「ヴィラ・ロジヴュ」から、同じモルジュの「ラ・メゾン・ボルナン」に転居。1920年までの拠点としています。
●12月、アンセルメ、バレエ・リュスのラテン・アメリカ公演スタート。翌年にかけて多くの公演をおこないます。


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 1918年(34〜35歳)

●ストラヴィンスキーの義理の妹と家族、ロシアを出国してモルジュに到着。
●3月、アンセルメ、スイス・ロマンド管弦楽団をジュネーヴで創設し、最初の公演に向けて着々と準備を進めます。
◆7月、スイスに超強力インフルエンザ(スペイン風邪とも)が到達。3月にアメリカで大流行が始まってから4か月が経過し、フランスに到着したアメリカ兵からフランス兵に感染、そしてフランス・ドイツ戦線と接するスイス北西部国境に配属されたスイス兵や外国人兵の4〜8割にも感染。
 軍は対応策として、訓練施設などを閉鎖、多くの将兵を自宅に帰還させてしまったため、被害が一気に全国に拡大。
 8月中旬に第1波はいったん収束するものの、9月に再び感染が拡大し(第2波)、10月にピークを迎え、11月末に収束、翌12月中旬に始まった第3波が翌年3月に収束するまでの8か月ほどで、スイスの総人口約380万人のうちの半数以上が感染し、2万5千人以上が死亡。スイス赤十字が派遣し献身的に治療にあたった看護士(看護婦)たちの1割近くが命を落としています。


◆9月、超強力インフルエンザ第1波収束。
●9月28日、アンセルメ、ローザンヌ市立劇場で、ストラヴィンスキー「兵士の物語」初演。この後にストラヴィンスキーとアンセルメらによるツアーも予定されていましたが、超強力インフルエンザ第2波感染爆発により中止。アンセルメ家もストラヴィンスキー家も罹患者はいませんでした。
◆10月、超強力インフルエンザ第2波感染爆発。
◆11月、ドイツ、オーストリア降伏、連合国との休戦協定を締結。第1次大戦が事実上終結。
◆11月、11日から14日までの4日間、全国で約25万人の労働者がゼネストに参加。ほどなく、治安部隊が動員されて、ゼネスト終了。
◆11月末、超強力インフルエンザ第2波収束。
●11月30日、スイス・ロマンド管弦楽団(略称:OSR)。最初のコンサートをジュネーヴのヴィクトリア・ホールで開催。

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 1919年(35〜36歳)

◆1月、超強力インフルエンザ第3波感染拡大。
●1月、OSR演奏会。「スペイン交響曲」、「シェエラザード」、「マ・メール・ロワ」、シューマン交響曲第2番、ボロディン交響曲第2番、他
●2月、OSR演奏会。「未完成」、「イタリアのハロルド」、「シルヴィア」、ダルクローズ:4つの舞曲、ハイドン交響曲第54番、ベートーヴェン交響曲第4番、他
●3月、OSR演奏会。「ニーベルングの指環」抜粋、フォーレ「ペレアスとメリザンド」、グルック(モットル編)「バレエ組曲」、モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲、ベートーヴェン交響曲第4番、他
◆3月末、超強力インフルエンザ第3波ほぼ収束。
●4月、OSR演奏会。バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番、「前奏曲と愛の死」、「森のささやき」、「スペイン奇想曲」、「未完成」、「ジークフリートのラインへの旅」、「火の鳥」、「フリーメーソンのための葬送音楽」、「さすらう若人の歌」、他
●6〜7月、アンセルメ、バレエ・リュス。ロンドン公演に同行。「三角帽子」初演、「火の鳥」、「ペトルーシュカ」など指揮。イギリス陸軍の兵役から除隊したてのバルビローリ[1899-1970]がチェロ奏者として参加。ロンドン公演では、長い休憩時間にオーケストラ演奏も実施。


●アンセルメ、ロンドンでジャズのビッグバンド、ウィル・マリオン・クック指揮サウス・シンコペイテッド・オーケストラを鑑賞。シドニー・ベシェット[1897-1959]の超絶技巧クラリネット演奏に感銘を受け、「ラ・ルヴュー・ロマンド」誌に寄稿、それが反響を呼び、ベシェットとの交流も始まります。


●10月、OSR演奏会。「真夏の夜の夢」、ハイドン交響曲第81番、ベートーヴェン交響曲第8番、他
●11月、OSR演奏会。「パルジファル〜聖金曜日の音楽」、サン=サーンス交響曲第2番、バッハ管弦楽組曲第3番、ベートーヴェン交響曲第8番、ダンディ「イシュタール」、ハイドン交響曲第103番、リスト「前奏曲」、他
●12月、OSR演奏会。「新世界より」、「幻想交響曲」、「うぐいすの歌」(初演)、「だったん人の踊り」、「ステパン・ラージン」、サン=サーンス交響曲第3番、ハイドン交響曲第103番、マニャール交響曲第3番、ベートーヴェン交響曲第6番、他

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 1920年(36〜37歳)

◆スイス連邦、国際連盟に加盟。
●2月、アンセルメ、バレエ・リュス。パリ・オペラ座。ストラヴィンスキーバレエ「うぐいすの歌」初演。
●2月、OSR演奏会。「火の鳥」、ハイドン「哲学者」、ベートーヴェン:P協第4番、交響曲第2番、他
●3月、OSR演奏会。マーラー:歌曲集、ワーグナー管弦楽曲集、ハイドン交響曲第92番、バッハ:管弦楽組曲第3番、ドビュッシー「夜想曲」、他
●5月、アンセルメ、バレエ・リュス。パリ・オペラ座。ストラヴィンスキー「プルチネッラ」初演。
●10月、OSR演奏会。「未完成」、「フィンランディア」、「マゼッパ」、「フィンガルの洞窟」、「ハフナー」、「パルジファル」前奏曲、リスト「オルフェウス」、ベートーヴェン交響曲第7番、「皇帝」、「献堂式」、他
●11月、OSR演奏会。「選ばれし乙女」、「ハフナー」、ラヴェル「シェエラザード」、ベートーヴェン:Vn協、他
●12月、アンセルメ、バレエ・リュス。シャンゼリゼ劇場。「春の祭典」再演。大成功を収めます。振付はレオニード・マシーン。再演の為、当時ストラヴィンスキーと親しかったココ・シャネルが莫大な資金を提供。


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 1921年(37〜38歳)

●1月、バレエ・リュスの振付家レオニード・マシーンが、一座のダンサーのヴェラ・サヴィーナと恋愛関係になったため、嫉妬したディアギレフがマシーンを解雇。マシーンは4月にヴェラと結婚して小さなバレエ・カンパニーを設立し、まず南米公演を契約。その後、1925年にバレエ・リュスに復帰しています。なお、ディアギレフは、1913年には、ニジンスキーが一座のダンサーと結婚したことで、やはり嫉妬で解雇していました。
●1月、OSR演奏会。シューベルト「グレート」、ルーセル「エヴォカシオン」、バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番、ラロ「ナムーナ」、スメタナ「高い城」、ラヴェル「優雅で感傷的なワルツ」、ベートーヴェン交響曲第6番、他
●5月、アンセルメ、バレエ・リュス。パリ、ゲテ・リリック劇場。プロコフィエフ「道化師」初演。


●10月31日、アンセルメ、スイス・ロマンド管弦楽団。オネゲル「勝利のオーラス」初演。

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 1922年(38〜39歳)

◆ローザンヌ放送、開業。
●5月18日、アンセルメ、バレエ・リュス。パリ・オペラ座。ストラヴィンスキー「きつね」初演。ポリニャック公爵夫人でもあったウィナレッタ・シンガーが、自宅で上演させるために委嘱した作品。スイスの作家でアンセルメの友人でもあるシャルル=フェルディナン・ラミュ[1878-1947]がテキストのフランス語訳を担当し1916年に完成するものの、初演の機会に恵まれず、6年後のこの時に初演予定だった「結婚」が未完だったため、ディアギレフがウィナレッタ・シンガーから上演権を移譲されて実現したのがこの初演でした。


●11月、アンセルメ、ベルリン・フィル。「春の祭典」ドイツ初演。

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 1923年(39〜40歳)

●4月7日、アンセルメ、スイス・ロマンド管弦楽団。オネゲル「喜びの歌」初演。
◆5月、ソ連の外交官で文芸評論家のヴァツラフ・ヴォロフスキーと関係者2人の計3人が、モーリス・コンラーディにより暗殺。コンラーディはサンクトペテルブルク生まれのスイス人で、ロシア内戦では白衛軍に参加。家族の多くをボリシェヴィキに殺害されたため、ボリシェヴィキ政府関係者なら誰でもよいということで復讐を実行。しかしヴォー州裁判所で無罪になったことで、ソ連政府は激怒。スイスとの国交を断絶し、1946年まで23年間もその状態が続きます。また、当初はソ連国内在住のスイス人も弾圧されますが、民間人については、一般人は行き来自由としており、たとえばアンセルメは、国交断絶期間中に5度もソ連を訪れていました。
●アンセルメ、ブエノスアイレス公演でヴァイオリン独奏者を務めていたフアン・ホセ・カストロとパリで会合。オーケストラへの助成金を獲得したというカストロの報告に、アンセルメは新たなオーケストラ創設を手伝うことを承諾。
●7月13日、アンセルメ、バレエ・リュス。パリ、ゲテ・リリック劇場。ストラヴィンスキー「結婚」初演。
●9月、アンセルメ、バレエ・リュス。スイス・ツアー。ジュネーヴ、ローザンヌ、ベルンで、「オーロラの結婚」、「クレオパトラ」、「シェエラザード」、「プルチネッラ」を上演。


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 1924年(40〜41歳)

●5月、アンセルメ、バレエ・リュス。パリ・オペラ座。チマローザ「女のたくらみ」。


●夏〜秋、アンセルメ、アルゼンチンで唯一のオーケストラ・ギルドである「教員協会管弦楽団(APO)」に客演。当時のアルゼンチンには、歌劇場は複数あったものの、コンサート専門のオーケストラ団体はまだ無く、音楽院の教授や音楽教師が集まって副業で演奏する団体しかありませんでした。アンセルメはその「教員協会管弦楽団」に1933年まで数多く客演して様々な音楽を紹介しています。
 「教員協会管弦楽団」は、残念ながら世界大恐慌の影響で、1935年頃には活動を終えていますが、第2次大戦後に相次いで誕生した、「ブエノスアイレス・フィルハーモニー」と「アルゼンチン国立交響楽団」の母体として、アンセルメの与えた影響には大きなものがあったということです。
●アンセルメ、アルゼンチンの作家・批評家のヴィクトリア・オカンポ[1890-1979]と交流。彼女のサロンには、ラビンドラナート・タゴール[1861-1941]や、アンドレ・マルロー[1901-1976]、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ[1900-1944]、ストラヴィンスキーなど多くの文化人が集まっていました。アンセルメは、訪問時以外にも手紙で頻繁にやりとりをする重要な仲間となり、2005年には2人の往復書簡を掲載した358ページの本も出版されています。


●11月、アンセルメ、スイス・ロマンド管弦楽団。ローザンヌとジュネーヴ。ストラヴィンスキー:P協、他

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 1925年(41〜42歳)

●アンセルメ、ヨーロッパの多くの国と、南北アメリカ各国で指揮をする国際的なキャリアが始まります。

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 1926年(42〜43歳)

●夏、アンセルメ、ストラヴィンスキーとモンテ・カルロのカジノで過ごします。


●8月、アンセルメ、アルゼンチンでの演奏会形式上演で、オネゲル「ダヴィデ王」を上演。ナレーションはヴィクトリア・オカンポが担当。
●10月、アンセルメの妹アリス[1896-1925]死去。アリスはヴヴェイの盲目の作曲家でオルガニストのフランソワ・ドゥミエール[1893-1976]と1921年2月に結婚していました。
●12月、アンセルメ、スイス・ロマンド管弦楽団。バルトーク「舞踊組曲」ヨーロッパ初演。

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 1927年(43〜44歳)

●1月、アンセルメ、スイス・ロマンド管弦楽団。ローザンヌ劇場。ハイドン:交響曲第13番、他。
●アンセルメ、アルゼンチンのオーケストラに客演。
●アンセルメ、ソ連ツアー。レニングラードとモスクワに客演。レニングラード・フィルとストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲、「マヴラ」、「春の祭典」、オーリック:夜想曲、ミヨー:舞踊組曲、他。


●11月、アンセルメ、スイス・ロマンド管弦楽団。ローザンヌ劇場。シューベルト「未完成」、他。

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 1928年(44〜45歳)

●4月、アンセルメ、バレエ・リュス、シャリアピンと共にベルリン国立歌劇場で公演。
●6月、アンセルメ、ナルシス・フェスティヴァル(モントルー)。バレエ・リュス公演を開催。


●6月、アンセルメ、ファニー・デイヴィス、ロイヤル・フィルハーモニック協会管弦楽団。シューマン:P協。
●アンセルメ、アルゼンチンのオーケストラに客演。
●10月、アンセルメ、新設された「パリ交響楽団」の指揮者陣に参加。
 パリ交響楽団は、シンガー・ミシン創立者の娘で、ポリニャック公爵夫人でもあったウィナレッタ・シンガー[1865-1943]や、銀行家のメナール兄弟、ココ・シャネル[1883-1971]のほか、音楽愛好家の資産家や投資家から成るグループの援助によって設立された民間資本によるオーケストラで、600人のオーディションを経てパリ音楽院出身の若手音楽家を中心に80名で結成。
 最初の演奏会は1928年10月29日にシャンゼリゼ劇場で、アンセルメと、アルフレッド・コルトー[1877-1962]、ルイ・フレスティエ[1892-1976]の指揮により実施。アンセルメはオネゲルの「ラグビー」初演を指揮。
 以後、3人体制で演奏会がおこなわれますが、なかなか成功を収めることができず、翌年にはコンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者のピエール・モントゥー[1875-1964]に指揮を要請することになります。
 モントゥーは当初断っていましたが、コルトーの粘り強い説得に折れて音楽監督就任を承諾。年間4〜5か月になる期間中は、パリ郊外の住居に移り住んで楽団と向き合うこととし、1929年4月から指揮を始め、『春の祭典』で成功を収めたほか、プロコフィエフの交響曲第3番の初演でも話題となり、5月には「大交響楽団」の名で「春の祭典」をHMVに録音するほどでした。
 同時期にストラヴィンスキー本人が、「春の祭典」をパリのエリート選抜オーケストラである「コンセール・ストララム管弦楽団」を指揮して仏Columbiaにレコーディングしたものの、仕上がりのレベルの違いなどもあってストラヴィンスキーは立腹、しばらくのあいだ両者の関係は冷え込むなど、ストラヴィンスキーの気難しさがすでに現れ始めていました。

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 1929年(45〜46歳)

●4〜5月、アンセルメ、ソ連ツアー。レニングラードとモスクワに客演。レニングラード・フィルとストラヴィンスキー:P協、「エディプス王」、「兵士の物語」、「春の祭典」、オネゲル「ラグビー」、ラヴェル「ラ・ヴァルス」、ファリャ「恋は魔術師」、他。


●6月、アンセルメ、バレエ・リュス。ベルリン・フェスティヴァルに出演。「春の祭典」で大成功。


●アンセルメ、アルゼンチンのオーケストラに客演。
●8月19日、ディアギレフ死去。
●9月、DECCA録音。デッカ・ストリング・オーケストラ。ヘンデル:合奏協奏曲集Op.6〜2・3・4・6・10・12番。SPアルバム6巻、計24面。


●12月、アンセルメ、パリ交響楽団。ストラヴィンスキー自身のピアノで「カプリッチョ」初演。
●スイス・ロマンド管弦楽団、財政危機。 ●OSR演奏会。ジュネーヴ大劇場。オネゲル「ダヴィデ王」(抜粋)


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 1930年(46〜47歳)

●アンセルメ、メキシコ交響楽団(現メキシコ国立交響楽団)に客演。
●3月、アンセルメ、ヴィンタートゥール・ムジークコレギウム。ストラヴィンスキー「カプリッチョ」スイス初演。
●5月、アンセルメ、仏Columbia録音。コンセール・ストララム管弦楽団。ストラヴィンスキー自身のピアノで「カプリッチョ」。SP3枚組。
●アンセルメ、アルゼンチンのオーケストラに客演。
●11月、アンセルメ、ベルリン。ストラヴィンスキー「4つのエチュード」初演。
●12月、アンセルメ、ブリュッセル。ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」ヨーロッパ初演。


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 1931年(47〜48歳)

●アンセルメ、メキシコ交響楽団に客演。
●6〜7月、アンセルメ、ブエノスアイレス、コロン劇場(約2,500席)。「「マノン」5公演、「ファウスト」1公演、「ラクメ」2公演、「ペレアスとメリザンド」5公演、ストラヴィンスキー「エディプス王」3公演。


●アンセルメ、アルゼンチンの文芸誌「SUR(スール)」の創刊に、唯一の外国人メンバーとして参加。ヴィクトリア・オカンポら作家たちと交流。下の画像、最前列がアンセルメ、後列左から2人目はボルヘス、右から2人目がオカンポ。


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 1932年(48〜49歳)

●3月、アンセルメ、ブローク(ブロッホ)交響詩「ヘルヴェティア」初演。ジュネーヴ。
●3月、アンセルメ、ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」フランス語版初演。ローザンヌ・カピトール劇場
●4月、アンセルメ、世界大恐慌の影響で財政難に陥っていたスイス・ロマンド管弦楽団の収益向上策のひとつとして、ジュネーヴ放送のスタジオで、定期的に放送番組用に演奏することを合意。当時のジュネーヴ放送はビルの上層階2フロアを使用。テープレコーダーはまだ無く、収録の場合はディスクが使用されていた時代です。


●4月、アンセルメ、ソ連ツアー。レニングラードとモスクワに客演。モスクワではフィルハーモニー協会管弦楽団に客演(19年後の1951年にサモスード[1884-1964]が青少年管弦楽団として設立したモスクワ・フィルとは無関係の団体)してオネゲル「パシフィック231」など指揮。


●10月、アンセルメ、ドビュッシーのピアノ曲「6つの古代のエピグラフ」にオーケストレーションを施して初演。
●アンセルメ、メキシコ交響楽団に客演。
●アンセルメ、ストラスブールに客演。


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 1933年(49〜50歳)

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 1934年(50〜51歳)

●スイス・ロマンド管弦楽団、ジュネーヴ大劇場の公式オーケストラとして契約。同劇場でオペラやバレエが上演される際に優先的に演奏契約を結ぶことができます。ちなみにジュネーヴ大劇場は建物としての劇場組織で、歌手などを雇用している歌劇場組織ではありません。


●アンセルメ、渡米。
●6〜9月、アンセルメ、メキシコ交響楽団に客演。
●ストラヴィンスキー、フランス国籍取得。

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 1935年(51〜52歳)

●アンセルメ、渡米。
●アンセルメ、メキシコ交響楽団に客演。

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 1936年(52〜53歳)

●7月、アンセルメ、シカゴのラヴィニア音楽祭に出演。ベートーヴェン:交響曲第7番、「マイスタージンガー」前奏曲、「ローマの謝肉祭」、「雲」、「火の鳥」


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 1937年(53〜54歳)

●アンセルメ、ソ連ツアー。モスクワとレニングラードに客演。


●アンセルメ、ルツェルン市と交渉し、トスカニーニとアドルフ・ブッシュの協力を得て、音楽祭創設を決定。
●6月、アンセルメ、スヘーフェニンヘン・フェスティヴァルに出演。
●7月、アンセルメ、シカゴのラヴィニア音楽祭に出演。4公演。


●10月、アンセルメ、ストラヴィンスキーと「カード遊び」をめぐり論争に

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 1938年(54〜55歳)

●3月、アンセルメ、ローザンヌ市立劇場でマルタンの交響曲を初演。
●春、アンセルメ、第1回ルツェルン音楽祭に出演。


●アンセルメ、ソ連ツアー。モスクワとレニングラードに客演。


●10月、アンセルメ、ブダペストでバルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタを作曲者と共に初演。

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 1939年(55〜56歳)

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 1940年(56〜57歳)

●6月、ジュネーヴ放送の新しいビルで、アンセルメとスイス・ロマンド管の放送用の演奏がおこなわれるようになります。以後、1968年までに450回演奏しています。


●7月、アンセルメ、オランダ音楽祭。「ペレアスとメリザンド」全曲上演を指揮。
●アンセルメの妻マルグリート、死去。34年間の結婚生活でした。


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 1941年(57〜58歳)

●2月、アンセルメ、マルチヌーの2つの弦楽オーケストラ、ピアノとティンパニのための協奏曲を初演。1938年にスイスで作曲された作品。初演時にはマルチヌーはアメリカに渡っていました。
●6月、アンセルメ、ベネデッティ=ミケランジェリ、OSR。グリーグ:P協、他


●6月、アンセルメ、チューリヒ・フェスティヴァルにスイス・ロマンド管弦楽団と出演。「ペレアスとメリザンド」を指揮。
●11月4日、アンセルメの母マリー・ルイーズ、死去。

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 1942年(58〜59歳)

●アンセルメ、ジュリエット・サルヴィスベルク[1909-1993]と再婚。アンセルメより26歳若いジュリエットは、ジュネーヴ放送での共演で知り合ったソプラノ歌手でしたが、世界的な活動で多忙なアンセルメのために歌手を辞め、アンセルメが亡くなるまでの28年間、結婚生活を維持しています。


●アンセルメ夫妻、ジュネーヴ中心部に転居。
●8月、アンセルメ、ウィーン・フィル。ザルツブルク音楽祭。「孔雀変奏曲」、「スペインの庭の夜」、「英雄」


●10月、アンセルメ、ブランカール、OSR。ファリャ「スペインの庭の夜」、他
●11月、アンセルメ、ベネデッティ=ミケランジェリ、OSR。ベートーヴェン:P協第5番、他


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 1943年(59〜60歳)

●アンセルメ、著作「指揮者のジェスチャー」を出版。
●サルトル「存在と無」出版。アンセルメは大きな影響を受けます。


●4月、アンセルメ、ウィーン・フィル。ムジークフェラインザール(1,744席)。2公演。オネゲル:交響曲第2番、ラヴェル「ダフニスとクロエ」第2組曲、ベートーヴェン:交響曲第7番


●8月、アンセルメ、ウィーン・フィル。ザルツブルク音楽祭。ヘンデル:合奏協奏曲Op.3-4、モーツァルト「リンツ」、ファリャ「三角帽子」、他


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 1944年(60〜61歳)

●アンセルメ、友人のフルトヴェングラーとシューリヒトがジュネーヴ湖畔に住めるよう手配し、スイス・ロマンド管弦楽団も指揮させています。
◆4月1日、アメリカ軍のB24爆撃機50機以上が、スイスのシャフハウゼンを大規模空爆して廃墟化。民間人約60人を殺害。シャフハウゼンは、チューリヒの北36キロ、ドイツとの国境までは数キロというところにある町でした。
●ミシェル・シュヴァルベ、スイス・ロマンド管弦楽団のコンサートマスターに就任。

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 1945年(61〜62歳)

●フルトヴェングラーとシューリヒトのスイス滞在延?申請が却下されます。
●アンセルメ、関係筋と交渉し、フルトヴェングラーとシューリヒトのスイス滞在延?申請が認められます。
◆2月22日、アメリカ軍がスイスのシュタインアムラインなどウンター湖近くの町を13回に渡って繰り返し爆撃、21人の民間人を殺害し、多くの民間建造物も破壊。シャフハウゼンの東の地域でした。
◆3月4日、アメリカ軍のB24爆撃機6機がチューリヒ市街地を約25トンの焼夷弾と高性能爆弾を用いて爆撃。多くの建物を破壊し、民間人も殺害。
●アンセルメ、「人間の意識における音楽の基礎」の草案の執筆開始。フルトヴェングラーともこの件について連絡を取り合っています。
●5月、アンセルメ、マルタンのオラトリオ「地には平和を」初演。
◆スイス連邦、国際連合加盟を拒否。
●11月、アンセルメ、オネゲルの「スイスの饗宴の日」初演。

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 1946年(62〜63歳)

●2月、DECCA録音。ロンドン・フィル。キングズウェイ・ホール。ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」。DECCAに入社する前のジョン・カルショーが、この5枚組SPアルバムを聴いて衝撃を受け、大きな啓示だったと述べています。


●7月、アンセルメ、ブリテン「ルクレティアの凌辱」をグラインドボーン音楽祭で初演。
●8月、アンセルメ、ウィーン・フィル。ザルツブルク音楽祭。ベートーヴェン「田園」、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」、ラヴェル「ラ・ヴァルス」


●9月、アンセルメ、カール・ヤスパース、ジャン・スタロバンスキーらと共に、ジュネーヴ国際会議に出席。
●10月、アンセルメ、マルタンの協奏:交響曲を初演。
●12月、DECCA録音。ロンドン・フィル。キングズウェイ・ホール。ストラヴィンスキー「火の鳥」組曲。


●ミシェル・シュヴァルベ、スイス・ロマンド管弦楽団を退団。

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 1947年(63〜64歳)

●2月、OSR録音(DECCA)。ジュネーヴ放送スタジオ。ドビュッシー「海」、ラヴェル「道化師の朝の歌」、R=コルサコフ「金鶏」(抜粋)。
●6月、アンセルメ、リパッティと共演。OSR。リスト:P協第1番
●7月、OSR録音(DECCA)。ジュネーヴ放送スタジオ。モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」
●8月、アンセルメ、ウィーン・フィル。ザルツブルク音楽祭。オネゲル「典礼風」、マルタン:小協奏:交響曲、ストラヴィンスキー「火の鳥」
●10月、アンセルメ、ミラノ・スカラ座。ストラヴィンスキーのミサ曲を初演。ストラヴィンスキーはロシア正教、アンセルメはプロテスタント。委嘱を受けずに作曲された作品。


●10月、DECCA録音。パリ音楽院管。ロンドン、キングズウェイ・ホール。ラヴェル「ラ・ヴァルス」。前年10月にロンドン公演とデッカへの録音をおこなっていたシャルル・ミュンシュ[1891-1968]とパリ音楽院管は、この年もロンドンを訪れて多くの作品を録音。アンセルメと、エンリケ・ホルダ[1911-1996]も参加しています。なお、翌1948年からは、パリ音楽院管のデッカ録音はパリのメゾン・ド・ラ・ミュチュアリテでおこなわれることになります。


●10月、DECCA録音。ロンドン・フィル、キングズウェイ・ホール。ムソルグスキー「展覧会の絵」、ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」


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 1948年(64〜65歳)

●アンセルメ、著作「現代芸術に関する討議」を出版。
●1月、アンセルメ、同郷の若手作家で哲学者のジャン・クロード・ピゲ[1924-2000]との手紙のやりとりを開始。
●2月、シカゴ交響楽団演奏会。マルタン:小協奏交響曲、他
●アンセルメ、シカゴでジャズ・ミュージシャンのシドニー・ベシェットと会った際、ベシェットから聖書の言葉に作曲した小さな作品「声とピアノのための2つの詩篇」を贈られます。
●5月、パリ音楽院管弦楽団録音(DECCA)。モーツァルト「エクスルターテ・ユビラーテ(ミショー)」、ラヴェル「シェエラザード(ダンコ)」、ドビュッシー:小組曲、R=コルサコフ「シェエラザード」、シューマン「ゲノフェーファ」序曲


●12月、アメリカ・ツアー開始。

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 1949年(65〜66歳)

●アメリカ・ツアー。クリーヴランド管、フィラデルフィア管、ダラス響、シカゴ響、ボストン響など指揮。


●6月、ハーグ・レジデンティ管演奏会。4公演。ベートーヴェン「レオノーレ」序曲第2番、ブラームス:Vn協(ヌヴー)、ラヴェル「ダフニスとクロエ」第2組曲、ストラヴィンスキー「火の鳥」、他
●7月、OSR録音(DECCA)。ラヴェル:左手のためのP協(ジャクリーヌ・ブランカール)、ヴィラ=ロボス:P協第1番(エレン・バロン)、ドビュッシー「映像」、ハイドン:交響曲第101番「時計」。この録音以降、スイス・ロマンド管との録音にはヴィクトリア・ホールを使用。


●8〜9月、OSR演奏会。エディンバラ音楽祭。同楽団初の海外ツアー。
●11月、ウィーン響演奏会。2公演。ベートーヴェン:交響曲第2番、マルタン:小協奏交響曲、ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲、ドビュッシー「海」


●9月、OSR録音(DECCA)。「ペトルーシュカ」


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 1950年(66〜67歳)

●2〜3月、OSR演奏会。シューマン:P協(リパッティ)、ドビュッシー「イベリア」、「春のロンド」、ハイドン:交響曲第95番、ブラームス:P協第2番(バックハウス)、ワーグナー・コンサート、他
●4月、アンセルメ、パリ。バルトーク「青ひげ公の城」フランス語版
●7月、ロンドン響録音(DECCA)。ショパン:P協第2番(エレン・バロン)、レスピーギ「風変わりな店」。


●10月、OSR録音(DECCA)。「春の祭典」、「火の鳥」。
●10〜12月、OSR演奏会。R.シュトラウス「4つの最後の歌」(デラ・カーザ)、ショパン:P協第2番(ハスキル)、ハイドン:交響曲第103番、マリピエロ:交響曲第7番、ドビュッシー「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」、メンデルスゾーン「美しきメルジーネ」、バルトーク:ヴィオラ協奏曲(プリムローズ、ブラームス:交響曲第4番、モーツァルト:P協第27番(カサドシュ)、他


●アメリカ・ツアー。NBC交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ワシントン・ナショナル交響楽団を指揮。

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 1951年(67〜68歳)

●2〜4月、OSR演奏会。ベートーヴェン:P協第4番(アース)、バルトーク:管弦楽のための協奏曲、ブラームス:Vn協(フランチェスカッティ)、プロコフィエフ:交響曲第6番、ストラヴィンスキー「マヴラ」、他
●3月、OSR録音(DECCA)。ストラヴィンスキー「サーカス・ポルカ」、ラヴェル「マ・メール・ロワ」、ドビュッシー「海」、シューマン:交響曲第1番「春」、マルタン:小協奏交響曲、ストラヴィンスキー:ディヴェルティメント。


●5月、ベルリン・フィル演奏会。ティタニア・パラスト。「春の祭典」、ベートーヴェン交響曲第4番、ドビュッシー「夜想曲」
●10月、OSR録音(DECCA)。ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、「夜想曲」、ラヴェル「道化師の朝の歌」、「スペイン狂詩曲」、プロコフィエフ「3つのオレンジへの恋」〜行進曲、マルチェッロ:オーボエ協奏曲。
●10〜11月、OSR演奏会。「スペインの庭の夜」、モーツァルト:P協第19番(ハスキル)、ベートーヴェン:Vn協(スターン)、メンデルスゾーン:Vn協(ミルシテイン)、ルーセル:交響曲第2番、他


●12月、ボストン交響楽団演奏会。シンフォニー・ホール(約2,600席)。21公演。


●12月、ウィーン・フィル演奏会。2公演。オネゲル「3つのレ」、ラヴェル「ラ・ヴァルス」、ブラームス:交響曲第4番、他


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 1952年(68〜69歳)

●3〜4月、OSR演奏会。「皇帝」(ペルルミュテール)、「パシフィック231」、ストラヴィンスキー「放蕩物のなりゆき」、メンデルスゾーン:交響曲第3番、マルチヌー交響曲第5番、シューマン:Vc協(フルニエ)、ハイドン交響曲第103番、他
●4〜5月、OSR録音(DECCA)。ヴィヴァルディ:ファゴット協(バソン:エレール)、ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」全曲、ファリャ「三角帽子」


●5月、ケルン放送交響楽団演奏会。ドビュッシー「聖セバスチャンの殉教」。


●5月、ウィーン交響楽団演奏会。マルタン:オラトリオ「ゴルゴタ」


●6月、ベルリン・フィル演奏会。ティタニア・パラスト。ベートーヴェン交響曲第2番、「コリオラン」、ストラヴィンスキー:P協、「火の鳥」。
●7月、ミュンヘンとベルリンで演奏会。
●10月、OSR録音(DECCA)。R=コルサコフ「金鶏」組曲、ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」、サン=サーンス「死の舞踏」、「オンファールの糸車」、シャブリエ「楽しい行進曲」、「スペイン」、R=コルサコフ「スペイン奇想曲」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」、ヘンデル:オルガン協奏曲。
●10月、OSR演奏会。「運命」、マルタン:Vn協(シゲティ)、ブラームス:P協第2番(カサドシュ)、ストラヴィンスキー「管楽器の為の交響曲」、他


●冬、アンセルメ、アメリカ・ツアー開始。2か月間。ボストン交響楽団と31回のコンサート。


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 1953年(69〜70歳)

●2〜3月、OSR演奏会。バルトーク:管弦楽のための協奏曲、モーツァルト:協奏交響曲(グリュミオー、プリムローズ)、メンデルスゾーン「イタリア」、シューマン:交響曲第4番、「ヴォツェック」断章、他
●3、5、6月、OSR録音(DECCA)。ビゼー:交響曲第1番、ラヴェル「優雅で感傷的なワルツ」、「クープランの墓」、「スペインの時」


●6月、DECCA録音。パリ音楽院管。「古典交響曲」、「禿山の一夜」、「中央アジアの広原にて」、「ラ・ヴァルス」、「ルスランとリュドミラ」序曲


●9月、OSR演奏会。「ヴォツェック」断章、ドビュッシー「放蕩息子」(抜粋)、他
●10〜12月、OSR録音(DECCA)。ドビュッシー「遊戯」、「6つの古代のエピグラフ」、バルトーク、プロコフィエフ:P協第3番(カッチェン)、シューマン:Vc協、「ロココ変奏曲」(ジャンドロン)、「展覧会の絵」
●10〜12月、OSR演奏会。ドヴォルザーク:Vn協(マルツィ)、ブラームス:P協第2番(バックハウス)、ベートーヴェン:Vn協(ミルシテイン)、ストラヴィンスキー:交響曲ハ調、デュティユー:交響曲第1番、ドビュッシー「聖セバスチャンの殉教」、ブリテン「イリュミナシオン」、ベートーヴェン:交響曲第8番、他


●冬、アンセルメ、アメリカ・ツアー開始。2か月間。

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 1954年(70〜71歳)

●2月、ヒューストン交響楽団演奏会。


●4月、OSR演奏会。「ペトルーシュカ」、ベートーヴェン:P協第4番(ゼルキン)、ヴィヴァルディ「調和の霊感」第11番、他
●5月、OSR録音(DECCA)。R=コルサコフ:交響曲第2番「アンタール」、バラキレフ「タマーラ」、リャードフ「バーバ・ヤガー」、「キキモラ」、グラズノフ「8つのロシア民謡」、「ステンカ・ラージン」、ドビュッシー「聖セバスチャンの殉教」。ヨーロッパ初の商業用ステレオ録音。


●6月、コンセルトヘボウ管弦楽団演奏会。2公演。オネゲル:交響曲第2番、ドビュッシー「海」、ラヴェル「ラ・ヴァルス」
●9月、DECCA録音。パリ音楽院管。デュカス「ラ・ペリ」、「魔法使いの弟子」、ラヴェル「ボレロ」、オネゲル「パシフィック231」、ラフマニノフ「死の島」、R=コルサコフ「シェエラザード」


●10月、エディンバラ音楽祭に出演。ディアギレフ没後25周年を記念して指揮。


●10月、OSR演奏会。バルトーク:Vn協第2番(スターン)、ラヴェル「子供と魔法」、「ボレロ」、他
●10〜11月、OSR録音(DECCA)。ボロディン:交響曲第2番、:交響曲第3番「イーゴリ公」序曲、ラヴェル「子供と魔法」、「マラルメの3つの詩」、「2つのヘブライの歌」、「シェエラザード」、ルーセル:小組曲、「蜘蛛の饗宴」、ビゼー「祖国」、オブシエ「アンティゴネー」
●12月、OSR演奏会。ストラヴィンスキー「ロシア風スケルツォ」、「カプリッチョ」、モーツァルト「ジュピター」、他


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 1955年(71〜72歳)

●アンセルメ、トゥールーズ。「パラード」。
●2〜3月、OSR演奏会。ベルク「抒情組曲」、R.シュトラウス「ドン・キホーテ」、モーツァルト「グラン・パルティータ」、ストラヴィンスキー「エディプス王」


●3月、DECCA録音。ネルソヴァ、ロンドン・フィル。キングズウェイ・ホール。ブロッホ「荒野の叫び声」、「シェロモ」


●5月、OSR録音(DECCA)。ガイザー:交響曲第1番、マルタン:Vn協、ストラヴィンスキー「火の鳥」、「エディプス王」、モーツァルト「グラン・パルティータ」


●6月、アンセルメ、ウィーン国立歌劇場(1,709席)。マルタン「嵐」初演。


●10月、OSR録音(DECCA)。ストラヴィンスキー:カプリッチョ、P協(マガロフ)、「アポロ」、「きつね」、ファリャ「恋は魔術師」、「はかなき人生」〜スペイン舞曲、シャブリエ「ハバネラ」、ムソルグスキー「ゴパック」、ドビュッシー「スコットランド行進曲」、「月の光」、フォーレ:レクイエム


●10〜12月、OSR演奏会。ダンディ「フランスの山人の歌による交響曲」(カサドシュ)、ストラヴィンスキー「きつね」、デュカス「ラ・ペリ」、ブラームス「アルトラプソディ」、ルーセル:交響曲第3番、パーセル「つかの間の音楽」「狂喜のベス」、メンデルスゾーン:Vn協(オドノポゾフ)、オネゲル:交響曲第3番、ワーグナー「ファウスト」序曲


●12月、ボストン響演奏会。22公演。


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 1956年(72〜73歳)

●1月、前年末からのアメリカ・ツアーの続き。ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンで指揮。ハーヴァード大学での公演では、執筆中の著作「音楽の基礎」について発表。
●1、3月、OSR演奏会。モーツァルト:交響曲第40番、Vn協第3番(フェラス)、ドビュッシー「海」、デュティユー:交響曲第1番、ベートーヴェン:交響曲第9番、他
●5月、OSR録音(DECCA)。ベートーヴェン:交響曲第1番、:交響曲第2番、ストラヴィンスキー「プルチネッラ」組曲、ルーセル:交響曲第3番


●8月、ルツェルン祝祭管弦楽団演奏会。バルトーク:Vn協第2番(スターン)、他


●10月、OSR演奏会。「ラ・ヴァルス」、「真夏の夜の夢」、シューマン:P協(ハスキル)、バルトーク「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」
●10〜11月、OSR録音(DECCA)。ストラヴィンスキー「兵士の物語」、チャイコフスキー「悲愴」、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」、オネゲル「ダヴィデ王」、R=コルサコフ「サルタン皇帝の物語」組曲、「5月の夜」序曲、「ロシアの復活祭」序曲
●12月、OSR演奏会。「エディプス王」、ベートーヴェン:交響曲第4番


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 1957年(73〜74歳)

●2月、OSR演奏会。フォーレ:レクイエム、ドビュッシー「おもちゃ箱」、他
●3月、ベルリン・フィル演奏会。ドビュッシー「海」、モーツァルト:P協第24番(カサドシュ)、ファリャ「スペインの庭の夜」、シューマン:交響曲第2番
●3〜4月、OSR演奏会。「スペインの庭の夜」(カサドシュ)、フランク:交響的変奏曲、ラヴェル「道化師の朝の歌」、ベルク:Vn協(フェラス)、シューベルト「グレート」、ワーグナー「パルジファル」前奏曲、他
●4〜5月、OSR録音(DECCA)。ドリーブ「コッペリア」全曲、ストラヴィンスキー「春の祭典」、バルトーク「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」、ドビュッシー「春」、R=コルサコフ「クリスマス・イヴ」組曲、「サトコからのエピソード」、「熊蜂の飛行」
●11月、OSR録音(DECCA)。ラヴェル「スペイン狂詩曲」、「マ・メール・ロワ」組曲、ドビュッシー「海」、「牧神の午後への前奏曲」、「夜想曲」、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」、R=コルサコフ「雪娘」組曲、モーツァルト:フルート協奏曲、ハイドン:トランペット協奏曲、シューマン「アダージョとアレグロ」
●12月、OSR演奏会。ベートーヴェン:交響曲第9番、オネゲル「ダヴィデ王」、「クリスマス・カンタータ」


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 1958年(74〜75歳)

●1月、OSR演奏会。ベートーヴェン:P協第4番(ギュラー)、ドビュッシー「遊戯」、マルタン「弦楽オーケストラのための練習曲」、他
●1〜3月、スペイン国立管弦楽団演奏会。
●3月、OSR演奏会。ブラームス:Vn協(フェラス)、ヒンデミット「協奏音楽」、ラヴェル「スペイン狂詩曲」、他
●3月、ニューヨーク・フィル演奏会。7公演。
●4月、OSR録音(DECCA)。ビゼー「カルメン」組曲、「アルルの女」組曲、ドビュッシー「遊戯」、「スティリー風タランテラ」、デュカス「ラ・ペリ」、ラヴェル「ラ・ヴァルス」、ベートーヴェン:交響曲第5番、「エグモント」序曲、プロコフィエフ:Vn協第1番(リッチ)


●5〜6月、アンセルメ、ブエノスアイレスに1か月滞在。30年ぶりの客演。
●7月、アンセルメ、ブリュッセル万国博覧会で指揮。マルタンの「ロンドー形式の序曲」を初演。
●8月、フィルハーモニア管弦楽団演奏会。エディンバラ・フェスティヴァル。アッシャー・ホール(約2,200席)。4公演。ベートーヴェン:交響曲第4番、バルトーク:管弦楽のための協奏曲、ドビュッシー「イベリア」、他


●9月、OSR演奏会。ドビュッシー「イベリア」、他
●10〜11月、OSR録音(DECCA)。ベートーヴェン:交響曲第4番、チャイコフスキー「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」、ヴェーバー序曲集(「幽霊の支配者」「魔弾の射手」「プレツィオーザ」「オイリアンテ」「オベロン」「アブ・ハッサン」「歓呼」)
●10〜12月、OSR演奏会。「ジュノーム」、R.シュトラウス「ブルレスケ」(グルダ)、マルタン「7つの管楽器のための協奏曲」、「悲愴」、バルトーク:Vn協第2番(フェニヴス)、シューマン「春」、ストラヴィンスキー「結婚」、マルチヌー:合奏協奏曲、他


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 1959年(75〜76歳)

●1月、DECCA録音。王立歌劇場管。キングズウェイ・ホール。ショパン「レ・シルフィード」、レスピーギ「風がわりな店」、チャイコフスキー「白鳥の湖」、「眠りの森の美女」、「くるみ割り人形」、アダン「ジゼル」、ドリーブ「コッペリア」、シューマン「謝肉祭」各抜粋。


●2〜3月、OSR演奏会。シューマン:P協(ケンプ)、ベルク:管弦楽のための3つの小品、マーラー「さすらう若人の歌」(フィッシャー=ディースカウ)、デュパルク「旅へのいざない」、「前世」、「フィディレ」、ドビュッシー「海」、ブラームス:交響曲第3番
●2〜5月、OSR録音(DECCA)。ベートーヴェン:交響曲第9番、「大フーガ」、「コリオラン」、ラロ「スペイン交響曲」(リッチ)、ラヴェル「ツィガーヌ」(リッチ)、チャイコフスキー「眠りの森の美女」、ドリーブ「シルヴィア」、リスト「フン族の戦い」、他
●4月、OSR演奏会。「詩篇交響曲」、「フン族の戦い」、「大フーガ」、ハイドン:交響曲第104番


●9月、アンセルメ、スイス・ロマンド管とツアー。ポーランド現代音楽祭に出演(クラクフ、ワルシャワ)。
●10〜11月、OSR録音(DECCA)。「展覧会の絵」、ベートーヴェン:交響曲第6番、シューマン「謝肉祭」 ●10〜12月、OSR演奏会。「三角帽子」、チャイコフスキー:Vn協(ミルシテイン)、モーツァルト「アダージョとフーガ」、ベートーヴェン:交響曲第6番、ベルク:7つの初期の歌曲、マルタン:オラトリオ「キリスト降誕の奇跡劇」(初演)。


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 1960年(76〜77歳)

●1〜2月、OSR演奏会。ブラームス:Vn協(グリュミオー)、ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲、ドビュッシー「イベリア」、ベルリオース「海賊」序曲、モーツァルト:P協第20番(A.フィッシャー)、交響曲第40番、オネゲル:交響曲第1番、ファリャ「ドビュッシーの墓碑銘のための賛歌」組曲、ブリテン「イリュミナシオン」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」、他
●4月、アンセルメ、フェラス、ルービンシュタイン、OSR。「スペイン交響曲」、「英雄」、ファリャ「スペインの庭の夜」、他
●1、4、5月、OSR録音(DECCA)。メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」序曲、シューベルト「ロザムンデ」、ベートーヴェン:交響曲第2、3、7番、「プロメテウスの創造物」序曲、「フィデリオ」序曲、「レオノーレ」序曲第2番、ストラヴィンスキー:交響曲ハ調、アルベニス「イベリア」組曲、「ナヴァーラ」、トゥリーナ「幻想舞曲集」、ラロ「椅子の王様」序曲、エロルド「ザンパ」序曲、オーベール「黒いドミノ」、「フラ・ディアヴォロ」序曲、オッフェンバック「天国と地獄」、「美しきエレーヌ」序曲、トマ「ミニョン」序曲、ボイエルデュー「白衣の夫人」


●アンセルメ、ヴォー州のロールで家を購入。シャブリエを記念してシャブリエールと命名。
◆スイス連邦、イギリス、オーストリア、スウェーデン、スイス、デンマーク、ノルウェー、ポルトガルと共にEFTA(欧州自由貿易連合)を設立し、EEC(欧州経済共同体)に対抗。
●8月、OSR演奏会。モントルー。ベートーヴェン:P協第3番(ハスキル)、ハイドン:交響曲第88番、他。
●9月、アンセルメ、アテネ・フェスティヴァルに出演。会場はアクロポリスの南西斜面にあるヘロデス・アッティクス音楽堂(約5,000席)に出演。ソロはアラウ。3公演。


●10月、OSR演奏会。「皇帝」(カサドシュ)、「展覧会の絵」、グルック「アウリスのイフィゲニア」序曲、ハイドン:交響曲第10番、プロコフィエフ:Vn協第1番(ミルシテイン)、アルベニス「イベリア」、「ナヴァーラ」
●10〜11月、OSR録音(DECCA)。ビゼー:交響曲第1番、「子供の遊び」、「美しきパースの娘」組曲、ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲、「道化師の朝の歌」、「クープランの墓」、「優雅で感傷的なワルツ」、ボロディン「だったん人の踊り」


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 1961年(77〜78歳)

●1〜3月、OSR録音(DECCA)。ストラヴィンスキー「結婚」、「詩篇交響曲」、ファリャ「三角帽子」、「はかなき人生」〜間奏曲と舞曲、フォーレ「ペネロペ」前奏曲、「ペレアスとメリザンド」組曲、「マスクとベルガマスク」組曲、ドビュッシー「小組曲」、グリンカ「皇帝に捧げし命」序曲、「カマリンスカヤ」、ボロディン「中央アジアの広原にて」、プロコフィエフ「古典:交響曲」、「3つのオレンジへの恋」〜行進曲とスケルツォ、ドビュッシー「映像」、ストラヴィンスキー「管楽器のための:交響曲」、フランク:交響曲ニ短調、「呪われた狩人」
●2〜3月、OSR演奏会。マルチヌー「ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画」、ドビュッシー「春のロンド」、「ペトルーシュカ」、「真夏の夜の夢」、コダーイ「ハンガリー詩篇」、他


●5月、OSR演奏会。R.シュトラウス:「4つの最後の歌」(シュティヒ=ランダル)
●春、アンセルメ、ハンブルク国立歌劇場(1,690席)。「ペレアスとメリザンド」


●6月1日、アンセルメ、著作「人間の意識における音楽の基礎」、ハンブルクで完成。1943年から執筆していたテキストをまとめたもの。
●9〜11月、OSR録音(DECCA)。バッハ:管弦楽組曲第2、3番、カンタータ:第12番〜シンフォニア、第31番〜ソナタ、オネゲル:交響曲第2番、「クリスマス・カンタータ」、マルタン:7つの木管楽器のための協奏曲、プロコフィエフ「ロメオトジュリエット」(抜粋)、「シンデレラ」組曲
●10月、OSR演奏会。ハチャトゥリアン:Vc協(アンリ・オネゲル)、ブラームス:交響曲第2番、ベートーヴェン:交響曲第4番、リスト「レ・プレリュード」、他。アンリ・オネゲルはスイス・ロマンド管の首席チェロ奏者。


●12月、「人間の意識における音楽の基礎」出版。シェーンベルクの12音技法について、数学や現象学の考え方を用いて否定する記述が含まれ、物議を醸します。


●12月、アンセルメ、ボストン交響楽団。カーネギーホール公演を指揮。


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 1962年(78〜79歳)

●1〜2月、OSR演奏会。「エスパーニャ」、ベートーヴェン:P協第4番(ケンプ)、ストラヴィンスキー「4つのエチュード」、バッハ:管弦楽組曲第4番、モーツァルト:P協第22番(A.フィッシャー)、他
●2月、スイス・ロマンド放送で、ジャン・クロード・ピゲによるアンセルメへのインタビュー番組開始。
●4〜5月、OSR演奏会。ハイドン:交響曲第94番、ブリテン「カンタータ・アカデミカ」、「ピーター・グライムズ」〜「パッサカリア」と「嵐」、ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス、他
●4〜5月、OSR録音(DECCA)。ハイドン:交響曲第82、83、84、85、86、87番、サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」、ストラヴィンスキー:組曲第1、2番、ディヴェルティメント、4つの練習曲


●5月、バイエルン放送響演奏会。ヘルクレスザール(1,270席)。ハイドン:交響曲第95番、マルタン:7つの管楽器のための協奏曲、ストラヴィンスキー「火の鳥」


●9月、メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団演奏会。ファリャ:カンタータ「アトランティーダ」。ニューヨーク、リンカン・センター開場記念公演。


●10〜11月、OSR演奏会。ベートーヴェン「運命」、ブラームス:P協第2番(バックハウス)、シューマン「マンフレッド」序曲、ドビュッシー「6つの古代のエピグラフ」、「春のロンド」、「牧神の午後への前奏曲」、「選ばれし乙女」、オネゲル「勝利のオラース」、ベートーヴェン:Vn協(ヴァルガ)、バルトーク「舞踊組曲」、他


●11〜12月、アンセルメ、メトロポリタン歌劇場(3,625席)。「ペレアスとメリザンド」。ドビュッシー生誕100周年記念公演。


●12月、OSR演奏会。ドビュッシー「選ばれし乙女」、他


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 1963年(79〜80歳)

●ラジオ番組でのジャン・クロード・ピゲによるアンセルメへのインタビューを元にした「アンセルメとの対話」出版。
◆スイス連邦、欧州評議会に参加。
●1〜4月、OSR録音(DECCA)。レスピーギ「ローマの噴水」、「ローマの松」、ブラームス:交響曲全曲、ハイドン変奏曲、大学祝典序曲、悲劇的序曲、ラヴェル「ボレロ」、「ラ・ヴァルス」、デュカス「魔法使いの弟子」、オネゲル「パシフィック231」、ストラヴィンスキー「マヴラ」、「妖精のくちづけ」
●3〜4月、OSR演奏会。シューベルト「グレート」、シューマン「春」、コダーイ:交響曲、リスト:P協第2番(ヴァーシャリ)、ファリャ「アトランティーダ」(抜粋)、モーツァルトフルート協奏曲第2番、他


●4月、アンセルメ、ジュネーヴ放送スタジオ。マルタンのオペラ「プルソーニャック氏」を初演。モリエールの同名作による喜歌劇。
●4月、ケルン放送響演奏会。オネゲル:プレリュード、フーガとポストリュード、他


●9月、アンセルメ、ブリテン「カンタータ・ミゼリコルディウム」、マルタン「戦場にも博愛を」、ルトスワフスキ「人道を通じて平和へ」を初演。赤十字創立100周年記念作品。
●9〜10月、OSR録音(DECCA)。ベルリオーズ「夏の夜」、ラヴェル「シェエラザード」(クレスパン)、マルタン:オラトリオ「地には平和を」、ワーグナー「ローエングリン」第1幕前奏曲、「ジークフリートの葬送行進曲」、「マイスタージンガー」第1幕前奏曲、「パルジファル」前奏曲と聖金曜日の音楽、シベリウス:交響曲第2、4番、「タピオラ」、ベートーヴェン:交響曲第1、8番


●12月、アンセルメ、ロンドンで「現代音楽の危機」についての会議に出席。

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 1964年(80〜81歳)

●2月、アンセルメ、BBC響。BBCスタジオ。ハイドン:交響曲第85番「王妃」、ドビュッシー「夜想曲」、「イベリア」


●3〜5月、OSR演奏会。ブラームス「悲劇的序曲」、「ドイツ・レクイエム」、ベルク:Vn協(メニューイン)、ストラヴィンスキー「うぐいすの歌」、ドビュッシー「夜想曲」、ヒンデミット:Vc協、ベートーヴェン:交響曲第7番、「コリオラン」序曲、Vn協(フランチェスカッティ)
●4〜5月、OSR録音(DECCA)。ムソルグスキー「禿山の一夜」、「ホヴァンシチナ」前奏曲とペルシャの奴隷の踊り、グリンカ「ルスランとリュドミラ」序曲、「ワルツ幻想曲」、「ホタ・アラゴネーサ」、プロコフィエフ:交響曲第5番、バルトーク:ルーマニア民族舞曲、舞踊組曲、2つの肖像


●5〜6月、アンセルメ、来日。NHK交響楽団に客演。7公演。
●7〜8月、OSR録音(DECCA)。ジュネーヴ大劇場。ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」全曲


●9月、OSR録音(DECCA)。ストラヴィンスキー「きつね」
●10〜12月、OSR演奏会。モーツァルト「ジュピター」、デュカス「魔法使いの弟子」、マルタン「四大元素」(初演)、ブリテン「カンタータ・ミゼリコルディウム」、ドビュッシー「春のロンド」、「夜想曲」、「ラプソディ」、ハイドン:交響曲第84番、ブラームス:Vn協(シュヴァルベ)、他
●11〜12月、OSR録音(DECCA)。メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」、「フィンガルの洞窟」、「美しきメルジーネ」序曲、「ルイ・ブラス」序曲、ストラヴィンスキー「ロシア風スケルツォ」、ドビュッシー「海」、「カンマ」、「第1ラプソディ」、シャブリエ「スペイン」、「田園組曲」、「楽しい行進曲」、「いやいやながらの王様」〜スラヴ舞曲、ポーランドの祭り、ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」、「海賊」序曲、「ベアトリスとベネディクト」序曲、「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲、「ファウストの劫罰」抜粋


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 1965年(81〜82歳)

●アンセルメ、著作「人間の意識における音楽の基礎」のドイツ語訳が出版。
●3月、OSR演奏会。「ルスランとリュドミラ」序曲、ブラームス:交響曲第1番、ダルクローズ:Vn協(リッチ)、プロコフィエフ「シンデレラ」、ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」、ベートーヴェン「田園」、サン=サーンス:P協第4番(ゲルバー)、他
●4〜5月、OSR録音(DECCA)。シューマン:交響曲第2番、「マンフレッド」序曲、ラヴェル「ダフニスとクロエ」全曲


●9月、ハンガリー国立交響楽団演奏会。エルケル劇場(約2,400席)。リスト「ファウスト交響曲」、ベートーヴェン:交響曲第7番、ドビュッシー「海」、マルタン:弦楽のためのエチュード


●10月、OSR演奏会。「ペトルーシュカ」、ブラームス:P協第1番(ゲルバー)、シューマン「マンフレッド」序曲


●10月、OSR。ジュネーヴ大劇場。モーツァルト「魔笛」全曲上演


●10〜11月、OSR録音(DECCA)。ブラームス「ドイツ・レクイエム」、「悲歌」、「アルトラプソディ」、ハイドン:交響曲第22番「哲学者」、第90番、ストラヴィンスキー「プルチネッラ」全曲
●11月、OSR演奏会。シベリウス:交響曲第7番、「エン・サガ」、シブラー「パッサカリア」、他


●11〜12月、ウィーン交響楽団演奏会。5公演。ブラームス:交響曲第3番、「映像」、「ボレロ」


●12月、OSR演奏会。オネゲル:交響曲第3番、ラヴェル「子供と魔法」


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 1966年(82〜83歳)

●1月、OSR演奏会。ジュネーヴ大劇場。オネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」


●3月、南ドイツ放送交響楽団(シュトゥットガルト放送響)演奏会。リーダーハレ。ベートーヴェン:P協第5番(カーゾン)、他


●3月、バイエルン放送響演奏会。ヘルクレスザール。オネゲル交響曲第3番「典礼風」、ブラームス:交響曲第3番


●3〜4月、OSR演奏会。プロコフィエフ:交響曲第5番、パガニーニ:Vn協第1番(リッチ)、ブリテン:チェロと管弦楽のための交響曲(ロストロポーヴィチ)、マルタン「四大元素」、ドビュッシー「イベリア」、チャイコフスキー「ロココ変奏曲」、ウェーバー「アブ・ハッサン」序曲、ベートーヴェン:交響曲第5番、P協第5番(ゼルキン)、他
●5〜6月、OSR録音(DECCA)。バッハ:カンタータ第45番「人よ、汝によきこと告げられたり」、第105番「主よ、裁かないでください」、グラズノフ「四季」、演奏会用ワルツ第1番


●6〜7月、アンセルメ、カリフォルニアのスタンフォード大学から招待。スイス・ロマンド管弦楽団と共に「20世紀前半の音楽」をテーマにしたフェスティヴァルに参加。
●7月、アンセルメ、ニューヨーク・フィルに客演。2公演指揮。
●10月、OSR演奏会。ブラームス:交響曲第4番、ハイドン:交響曲第95番、ストラヴィンスキー:Vn協(フェラス)
●10〜12月、OSR録音(DECCA)。グラズノフ:演奏会用ワルツ第2番、ラロ「ナムーナ」抜粋、「ノルウェー狂詩曲」、プロコフィエフ「スキタイ組曲」、「放蕩息子」、チャイコフスキー:組曲第3、4番


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 1967年(83〜84歳)

●1〜2月、OSR録音(DECCA)。ショーソン:交響曲、フランク「アイオリスの人々」、レスピーギ「ロッシニアーナ」
●2〜3月、OSR演奏会。「スペイン狂詩曲」、シューマン「春」、シューベルト「ロザムンデ」から、マルタン:Vc協(フルニエ)、マルチヌー:交響曲第4番、モーツァルト:Vn協第4番(ゴールドベルク)、ウェーバー「オイリアンテ」序曲、ベルク「ルル」組曲〜アダージョ


●4月、OSR演奏会。ジュネーヴ大劇場。マルタン「嵐」フランス語版初演


●4月、OSR演奏会。ブリテン「戦争レクイエム」、「ファウスト交響曲」、バッハ:カンタータ第55番「われ哀れなる人、われ罪の下僕」


●6月、OSR演奏会。モントリオール万国博覧会。スイス週間のオープニング・コンサートでスイスの作曲家の作品を演奏。
●アンセルメ、スイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を退任。後任としてパウル・クレツキ[1900-1973]を指名。
●9〜11月、OSR録音(DECCA)。リスト「ファウスト交響曲」、「レーナウの≪ファウスト≫による2つのエピソード」、ベルリオーズ「幻想交響曲」
●10月、OSR演奏会。「春の祭典」、ハイドン:交響曲第94番、マルチヌー:ヴィオラと管弦楽のためのラプソディ・コンチェルト


●11月、フランス国立放送管弦楽団演奏会。ベートーヴェン:交響曲第7番、他

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 1968年(84〜85歳)

●1月、アンセルメ、ヒューストン交響楽団に客演。
●2月、OSR演奏会。ドビュッシー「夜想曲」、オネゲル:交響曲第4番、ラヴェル:P協ト長調(カサドシュ)、ウェーバー:コンツェルトシュテュック
●3月、OSR録音(DECCA)。ヴィヴァルディ、ウェーバー:ファゴット協奏曲、フンメル、L.モーツァルト:トランペット協奏曲
●4月、OSR演奏会。バッハ:カンタータ第67番「死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ」、第101番「われらより取り去りたまえ、主よ」、第130番「主なる神よ、われらこぞりて汝をたたえん」、ベートーヴェン「大フーガ」


●6〜7月、スイス・ロマンド管弦楽団と来日。音楽監督のパウル・クレツキも同行し、アンセルメが7公演、クレツキが6公演を指揮。招聘元は中部日本放送。主催は、アンセルメの公演については中部日本放送が5公演、労音が1公演、都民劇場が1公演。



●8〜9月、OSR録音(DECCA)。バッハ:カンタータ第67番「死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ」、第101番「われらより取り去りたまえ、主よ」、第130番「主なる神よ、われらこぞりて汝をたたえん」、オネゲル:交響曲第3番「典礼風」、第4番「バーゼルの喜び」、マニャール:交響曲第3番、ラロ:スケルツォ
●9〜10月、OSR演奏会。マニャール:交響曲第3番、ファリャ「三角帽子」、「クロード・ドビュッシーの墓碑銘のための讃歌」、ラヴェル:P協ト長調(ゲルバー)、シューマン:P協、「序曲、スケルツォとフィナーレ」、他


●11月、DECCA録音。ニュー・フィルハーモニア管。「火の鳥」


●12月18日、OSR演奏会。ヴィクトリア・ホールで最後のコンサート。バッハ:管弦楽組曲第4番、バルトーク「カンタータ・プロファーナ」、ドビュッシー(アンセルメ編)「6つの古代エピグラフ」、オネゲル「クリスマス・カンタータ」


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 1969年(85歳)

●2月20日、アンセルメ、心臓発作により死去。85歳。
●2月25日、アンセルメの葬儀。テレビ収録も入る中、ジュネーヴのサン・ピエール大聖堂で、アンリ・バベル牧師のもとで執り行われます。音楽関係者、文学関係者のほか、連邦政府のハンス・ペーター・チュディ内務大臣、ジュネーヴ州議会代表団、大評議会事務所代表、ジュネーヴ市法人行政評議会代表、各都市市議会代表団、治安判事代表、フランス総領事館代表、ヴォー州議会代表団等の公人も参列。
 アンセルメの指名により後任となったパウル・クレツキの指揮するスイス・ロマンド管弦楽団とロマンド放送合唱団がブラームスのドイツ・レクイエム抜粋と、バッハの管弦楽組曲第3番のアリアを演奏。
 バベル牧師は、アンセルメが偉大な音楽家であっただけでなく、生涯を通じて真実を求めた思想家でもあったことを称えています。


 大聖堂での儀式が終わると、棺は外に運び出され、ショパンの葬送行進曲が流れる中、数百人の行列と共に墓地まで向かいます。


●2月25日、アンセルメ、ジュネーヴのロワ墓地に埋葬。17年後、アンセルメの友人だった作家ボルヘスもロワ墓地に埋葬されています。


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 収録情報

Disc 1

ドビュッシー
聖セバスティアンの殉教
1 La cour des lys 15'33
2 La chambre magique 10'02
3 La concile des faux dieux 11'54
4 Le laurier blesse 8'09
5 Le paradis 7'25
Rec:June 1954 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
シュザンヌ・ダンコ,ソプラノ
ナンシー・ウー &マリー=リーズ・ド・。オンモラン, コントラルト
トゥール・ド・ペイルス合唱団

ビゼー
6 序曲「祖国」 12'04

ルーセル
小組曲 Op.39
7 Aubade 3'03
8 Pastorale 6'46
9 Mascarade 2'49
Rec:October 1954 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 2

ボロディン
交響曲第2番ロ短調
1 Allegro 7'22
2 Scherzo:Molto vivo 5'33
3 Andante 6'38
4 Finale:Allegro 6'30

交響曲第3番イ短調
5 Moderato assai 7'12
6 Scherzo:vivo moderato 8'43

7 「イーゴリ公」序曲 (管弦楽版.グラズノフ) 10'36
Rec:October 1954 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

バラキレフ
8 交響詩「タマーラ」 20'37
Rec:June 1954 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 3

リムスキー・コルサコフ
交響組曲「シェエラザード」 Op.35
1 The sea and Sinbad's ship 9'30
2 The Kalandar Prince 10'51
3 The young Prince and the young Princess 9'11
4 Festival at Baghdad; The sea; The shipwreck 12'19
Rec:September 1954 La Maison de la Mutualite, Paris
ピエール・ネリーニ,ヴァイオリン
パリ音楽院管弦楽団

交響組曲「アンタール」 Op.9
5 Largo 11'45
6 Allegro 5'11
7 Allegro risoluto alla marcia 5'42
8 Allegretto vivace 8'22
Rec:June 1954 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 4

グラズノフ
1 交響詩「ステンカ・ラージン」 Op.13 14'56
リャードフ
2 バーバ・ヤーガ Op.56 3'06
3 交響詩「キキモラ」 Op.63 6'20

管弦楽のための 8つのロシア民謡 Op.58
4 Religious Chant 1'54
5 Christmas Carol 'Kolyada' 1'26
6 Plaintive Song 2'54
7 Humorous Song 'I danced with the gnat' 0'55
8 Legend of the Birds 1'34
9 Cradle Song 1'53
10 Round Dance 0'50
11 Village Dance Song 1'25
Rec:June 1954 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

リムスキー・コルサコフ
12 「5月の夜」序曲 8'14

組曲「皇帝サルタンの物語」 Op.57
13 The Tsar's departure and farewell 4'35
14 The Tsarina and her son afloat in the cask 6'51
15 The three wonders 7'34
Rec:November 1956 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

16 熊蜂の飛行 1'43
Rec:April 1957 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 5

ルーセル
交響曲第3番ト短調 Op.42
1 Allegro vivo 5'16
2 Adagio 8'50
3 Vivace 3'04
4 Allegro con spirito 6'01

交響曲第4番イ長調 Op.53
5 Lento; Allegro con brio 6'02
6 Lento molto 9'39
7 Allegro scherzando 2'57
8 Allegro molto 4'12
Rec:May 1956

くもの饗宴
9 Lento 10'45
10 Lento 9'55
11 Molto moderato 3'39
12 Molto lento 4'36
Rec:October 1954

シャブリエ
13 ハバネラ 3'39
Rec:October 1955 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 6

ファリャ
恋は魔術師
1 Introduction:En la cueva 2'27
2 Cancion del amor dolido 1'31
3 El aparecido:Danza del terror 2'17
4 El circulo magico:a media noche 2'56
5 Danza ritual del fuego 3'50
6 Escena 0'56
7 Cancion del fuego fatuo 1'36
8 Pantomima 4'41
9 Danza del juego del amor 2'47
10 Final:Les campanas del amanecer 1'25
マリーナ・デ・ガバライン,メゾ・ソプラノ

11 「はかなき人生」よりスペイン舞曲第1番 3'30
Rec:October 1955 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

三角帽子
Act I
12 Intoduccion 1'35
13 La tarde 5'04
14 Danza de la molinero:Fandango 3'38
15 Las uvas 4'07
Act II
16 Danza de los vecinos:Seguidillas 3'14
17 Danza del moilinero:Farruca 6'57
18 Danza del corregidor 6'00
19 Danza final:Jota 6'15
Rec:February 1961
テレサ・ベルガンサ, メゾ・ソプラノ

シューマン
20 ホルンと管弦楽のためのアダージョとアレグロ変イ長調 Op.70 7'55
Rec:November 1957 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
エドモン・ルロワール,ホルン

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 7

ストラヴィンスキー
火の鳥
1 Introduction 2'35
Tableau I
2 Le jardin enchante de Kachtchei 1'39
3 Apparition de l'Oiseau de feu poursuivi par Ivan Tsarevitch 2'18
4 Danse de l'Oiseau de feu 1'27
5 Capture de l'Oiseau de feu par Ivan Tsarevitch 0'57
6 Supplications de l'Oiseau de feu ?
apparition des treize princesses enchantees 7'28
7 Jeu des princesses avec les pommes d'or 2'31
8 Brusque apparition d'Ivan Tsarevitch 1'18
9 Khorovod (ronde) des princesses 3'49
10 Lever du jour; Ivan Tsarevitch penetre dans le palais de Kachtchei 1'29
11 Carillon Feerique, apparition des monstres-gardiens de Kachtchei
et capture d'Ivan Tsarevitch; Arrivee de Kachtchei l'Immortel;
Dialogue de Kachtchei avec Ivan Tsarevitch;
Intercession des princesses; Apparition de l'Oiseau de feu 5'08
12 Danse de la suite de Kachtchei enchantee par l'Oiseau de feu 0'48
13 Danse infernale de tous les sujets de Kachtchei 4'47
14 Berceuse; Reveil de Kachtchei; Mort de Kachtchei; Profondes tenebres 4'59
Tableau II
15 Disparition du palais et des sortileges de Kachtchei;
Animation des chevaliers petrifie; Allegresse generale 3'22
Rec:1955 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

うぐいすの歌
16 La fete au palais de l'Empereur 5'57
17 Les deux rossignols 6'32
18 Maladie et guerison de l'Empereur 9'10
Rec:1956 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 8

ストラヴィンスキー
1 きつね 16'03
Rec:October 1955 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
Michel Senechal-Hugues Cuenod, tenors; Heinz Rehfuss, baritone;
Xavier Depraz, bass; Istvan Arato, cymbalom

ミューズを率いるアポロ
2 Prologue:Naissance d'Apollon 4'38
3 Variation d'Apollon:Apollon et les muses 2'42
4 Pas d'action 4'29
5 Variation de Calliope 1'26
6 Variation de Polymnie 1'17
7 Variation de Terpsichore 1'43
8 Variation d'Apollon:Apollon et les muses 2'24
9 Pas de deux 3'51
10 Coda:Apollon et les muses 2'55
11 Apotheose 3'21

プルチネルラ組曲
12 Sinfonia 1'51
13 Serenata 3'12
14 Scherzino 1'33
15 Allegretto 1'13
16 Andantino 1'18
17 Tarantella 2'00
18 Toccata 0'52
19 Gavotta con due variazioni 4'07
20 Vivo 1'28
21 Minuetto 2'31
22 Finale 2'07
Rec:1956 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 9

ストラヴィンスキー
ペトルーシュカ
1 Tableau I:Fete populaire de la semaine grasse 10'00
2 Tableau II:Chez Petrushka 4'19
3 Tableau III:Chez le Maure 7'26
4 Tableau IV:Fete populaire de la semaine grasse, vers le soir 13'36

春の祭典
Part I:L'Adoration de la Terre
5 Introduction 3'22
6 Les Augures printaniers:Danses des adolescents 3'35
7 Jeu de rapt 1'18
8 Rondes printanieres 3'15
9 Jeux des cites rivales 1'33
10 Cortege du sage 1'06
11 Le sage 0'24
12 Danse de la terre 1'18
Part II:Le Sacrifice
13 Introduction 3'53
14 Cercles mysterieux des adolescentes 3'06
15 Glorification de l'elue 1'43
16 Evocation des ancetres 0'45
17 Action rituelle des ancetres 3'34
18 Danse sacrale:l'Elue 4'59
Rec:1957 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 10

ドビュッシー

1 Tres modere 8'51
2 Modere 6'08
Rec:May 1957

3 牧神の午後への前奏曲 9'08

夜想曲
4 Nuages 7'01
5 Fetes 6'22
6 Sirenes 9'37
Rec:November 1957

おもちゃ箱 (管弦楽版:カプレ)
7 Prologue 2'07
8 Tableau I:Le magasin des jouets 10'37
9 Tableau II:Le champ de bataille 8'06
10 Tableau III:La bergerie a vendre 5'32
11 Tableau IV:Apres fortune faite 2'10
12 Epilogue 1'18
Rec:May 1957

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 11

ドリーブ
コッペリア
Tableau I
1 Prelude; Mazurka 5'06
2 Valse 2'00
3 Scene:Swanhilde et Franz 3'51
4 Mazurka 3'37
5 Scene:Preparatifs de fete 1'50
6 Ballade de l'Epi 2'10
7 Theme slave varie 6'25
8 Czardas:Danse hongroise 3'28
9 Sortie 5'41
Tableau II
10 Entr'acte; Valse 1'34
11 Scene:L'atelier de Coppelia 2'11
12 Scene 2'42
13 Musique des automates 1'37
14 Scene 1'17
15 Scene 2'25
16 Chanson a boire 3'38
17 Scene et valse de la poupee 3'34
18 Scene 3'51
19 Bolero 1'38
20 Gigue 1'28
21 Scene:Final 2'13
Rec:April 1957 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 12

ドリーブ
コッペリア
Tableau III
1 Marche de la cloche 3'11
Fete de la cloche
2 Valse des heures 3'42
3 L'aurore 2'24
4 La priere 2'09
5 Le travail:La fileuse 1'25
6 L'hymen:Noce villageoise 1'48
7 La discorde et la guerre 2'44
8 La paix 2'58
9 Galop final 4'11
Rec:April 1957 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

ラヴェル
マ・メール・ロワ
10 Prelude et danse du rouet 6'15
11 Pavane de la Belle au bois dormant 1'33
12 Petit Poucet 3'03
13 Laideronnette, imperatrice des pagodes 3'31
14 Les entretiens de la Belle et de la Bete 3'58
15 Le jardin feerique 3'58
Rec:November 1957

ドビュッシー
16 スコットランド風行進曲 5'41
17 月の光 (管弦楽版:カプレ) 4'15
Rec:October 1955 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
18 遊戯 17'08
19 舞曲 (管弦楽版:ラヴェル) 5'42
Rec:April 1958

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 13

リムスキー・コルサコフ
交響組曲「シェエラザード」 Op.35
1 The sea and Sinbad's ship 10'15
2 The Kalandar Prince 11'14
3 The young Prince and the young Princess 9'39
4 Festival at Baghdad; The sea; The shipwreck 12'34
ローランド・フェニヴス,ヴァイオリン

組曲「皇帝サルタンの物語」,Op.57
5 The Tsar's departure and farewell 4'35
6 The Tsarina and her son afloat in the cask 6'51
7 The three wonders 7'34

8 熊蜂の飛行 1'49
Rec:1958

スイス・ロマンド管弦楽団


Disc 14

リムスキー・コルサコフ
1 「ロシアの復活祭」序曲 Op.36 14'51
Rec:November 1956 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
2 「クリスマス・イブ」組曲 23'52
3 ドゥビヌシカ Op.62 4'22
Rec:May 1957 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
4 交響詩「サトコ」 Op.5 11'01
Rec:April 1957 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
5 「雪娘」組曲 12'36
Rec:November 1957 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
ジュネーヴ・モテット合唱団

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 15

ビゼー
カルメン組曲第1 & 2番(抜粋)
1 Prelude to Act 1 3'43
2 Prelude to Act 4:Aragonaise 2'13
3 Prelude to Act 3:Intermezzo 2'32
4 Prelude to Act 2:Les Dragons d'Alcala 1'39
5 Marche des contrebandiers:from Act 3 3'53
6 Habanera:from Act 1 1'47
7 Nocturne:from Act 3 5'04
8 La Garde montante:from Act 1 3'46
9 Danse boheme:from Act 2 4'29

アルルの女
第1組曲
10 Prelude 6'28
11 Minuet 3'02
12 Adagetto 2'52
13 Carillon 4'31

第2組曲
14 Pastorale 5'46
15 Intermezzo 3'32
16 Minuet 4'03
17 Farandole 3'28
Rec:May 1958

ドリーブ
シルヴィア組曲
18 Prelude:Les chasseresses 5'07
19 Intermezzo et Valse lente 3'29
20 Pizzicato 1'51
21 March:Cortege de Bacchus 5'50
Rec:April 1959

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 16

チャイコフスキー
くるみ割り人形 Op.71
1 Overture 3'12
Act I
2 The Christmas tree 4'10
3 March 2'27
4 Galop and dance of the parents 2'14
5 Dance scene:The presents of Drosselmeyer 5'16
6 Scene:Grandfather dance 5'35
7 Clara and the Nutcracker 6'35
8 Battle between Nutcracker and Mouse King 3'29
9 Scene:Pine forest in winter 3'23
10 Scene:and Waltz of the snowflakes 6'03
Act II
11 The magic castle in the land of sweets 4'01
12 Clara and Nutcracker Prince 4'41
Divertissement
13 Chocolate (Spanish dance) 1'11
14 Coffee (Arabian dance) 3'11
15 Tea (Chinese dance) 1'03
16 Trepak (Russian dance) 1'07
17 Dance of the Mirlitons 2'14
18 Les Polichinelles 2'42
19 Waltz of the flowers 6'25
Rec:November 1958 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 17

チャイコフスキー
くるみ割り人形 Op.71
Act II (continuation)
Pas de deux
1 Intrada 5'38
2 Variation I:Tarantella 0'41
3 Variation II:Dance of the Sugar Plum Fairy 1'59
4 Coda 1'22
5 Final waltz and apotheosis 4'55
Rec:November 1958

ムソルグスキー
展覧会の絵(管弦楽版.ラヴェル)
6 Promenade; Gnomes 4'05
7 Promenade; The old castle 5'21
8 Promenade; Tuileries; Bydlo 4'04
9 Promenade; Ballet of the unhatched chickens;
Samuel Goldenberg and Schmuyle 4'07
10 The marketplace at Limoges; The Catacombs;
Con mortuis in lingua mortua 5'10
11 The hut on fowl's legs (Baba-Yaga);
The Great gate of Kiev 8'42
Rec:November 1959 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

ストラヴィンスキー
妖精の口づけ〜ディヴェルティメント
12 Sinfonia 6'27
13 Danses suisses 7'08
14 Scherzo 4'01
15 Pas de deux:Adagio, Variation, Coda 7'07
Rec:May 1962 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

オネゲル
16 交響的断章第1番パシフィック231 6'16
Rec:April 1963

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 18

チャイコフスキー
眠れる森の美女 Op.66
Prologue
1 Introduction; Marche de salon 7'55
2 Entree des fees; Scene dansante 4'14
Pas de six
3 Grand adage:Petit allegro 4'15
4 Candide 0'44
5 Coulante, Fleur de farine 0'34
6 Miettes qui tombent 0'56
7 Canari qui chante 0'31
8 Violente, echevelee 0'57
9 La Fee des lilas voluptueuse 0'57
10 Coda generale 1'29
11 Scene et final 8'10
Act I
12 Scene des tricoteuses 6'36
13 Grande valse villageoise 4'20
14 Entree d'Aurore 1'49
Grand pas d'action
15 Grand adage a la rose 6'05
16 Danse des demoiselles d'honneur et des pages 1'58
17 Variation d'Aurore 2'38
18 Coda 3'37
19 Scene et final 5'38
Rec:April 1959 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 19

チャイコフスキー
眠れる森の美女 Op.66
Act II
1 Entr'acte et scene de la chasse royale 2'48
2 Colin-Maillard 1'39
Danses des demoiselles nobles
3 Scene 0'40
4 Danse des duchesses 0'51
5 Danse des baronesses 0'46
6 Danse des comtesses 0'32
7 Danse des marquises 0'45
8 Farandole; Scene; Danse 1'35
9 Scene et depart des chasseurs 4'46
10 Entree de l'apparition d'Aurore 5'00
11 Variation d'Aurore 1'25
12 Coda 1'22
13 Scene 0'46
14 Panorama 2'49
15 Scene and Finale 4'19
Act III
16 Marche 2'26
17 Grand polonaise dansee 4'29
Pas de quatre
18 Entree 1'51
19 Variation de la fee-Or 1'03
20 Variation de la fee-Argent 0'57
21 Variation de la fee-Diamant; Coda 1'27
22 Pas de caractere:Le Chat botte et
la Chatte blanche 1'55
Pas de quatre
23 Entree 2'14
24 Var. de Cendrillon et Prince Fortune 0'48
25 Var. de l'Oiseau bleu la Princesse Florine 0'45
26 Coda 1'30
27 Pas de caractere:
Chaperon Rouge et le Loup 1'19
28 Pas berrichon:
Le Petit Poucet, ses freres et l'Ogre 1'17
29 Pas de caractere:
Cendrillon et Prince Fortune 2'31
Pas de deux
30 Entree; Grand adage 3'40
31 Variation du Prince Desire 1'00
32 Variation d'Aurore 1'26
33 Coda 1'23
34 Sarabande 2'04
Finale and Apotheosis
35 Coda generale 3'55
36 Apotheose 1'52
Rec:April 1959 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 20

ボロディン
1 だったん人の踊り第8番 2'30
2 だったん人の踊り第17番 11'16
Rec:November 1960
Ch?ur des Jeunes & Ch?ur de Radio, Lausanne

3 中央アジアの草原にて 6'44
Rec:February 1961

ラヴェル
スペイン狂詩曲
4 Prelude a la nuit 3'53
5 Malaguena 1'55
6 Habanera 2'21
7 Feria 6'08
Rec:November 1957

8 ラ・ヴァルス 13'04
9 ボレロ 14'23
Rec:April 1963

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 21

チャイコフスキー
白鳥の湖 Op.20 (abridged version)
Act I
1 Introduction:
Moderato assai; Scene:Allegro giusto 5'45
2 Valse 6'45
3 Pas de trois 7'00
Entree:Allegro; Allegro semplice;
Moderato; Allegro; Coda:Allegro vivace
4 Sujet; Danse des coupes:Tempo di polacca 4'51
Act II
5 Scene:Moderato 2'36
6 Scene:Allegro moderato; Scene:Allegro 7'57
Danse des cygnes
7 Tempo di valse 2'16
8 Pas d'action, Deuxieme danse de la reine des cygnes:
Andante non troppo 5'43
9 Danse des petits cygnes:Allegro moderato 1'16
10 Tempo di valse 1'32
11 Premiere danse de la reine des cygnes:
Moderato assai 1'44
12 Coda:Allegro vivace 2'18
Act III
13 Danse des fiancailles:Allegro giusto 2'54
14 Scene, Entree des invites et la valse:Allegro 3'34
15 Scene:Allegro 1'53
16 Danse espagnole:
Allegro non troppo, tempo di bolero 2'17
17 Danse napolitaine 2'09
18 Mazurka 2'50
19 Danse hongroise:Czardas 2'27
Act I
20 Pas de deux 7'37
Entree:Valse; Andante; Valse; Coda:Allegro molto vivace
Rec:November 1958 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 22

チャイコフスキー
白鳥の湖 Op.20 (abridged version)
Act IV
1 Scene:Allegro agitato 2'04
2 Scene finale:Andante:Allegro agitato 6'04
Rec:November 1958 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

交響曲第6番ロ短調 Op.74「悲愴」
3 Adagio:Allegro non troppo 18'11
4 Allegro con grazia 7'05
5 Allegro molto vivace 8'47
6 Finale:Adagio lamentoso; Andante 9'42
Rec:October 1956 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 23

ベートヴェン
交響曲第2番ニ長調 Op.36
1 Adagio molto:Allegro con brio 10'37
2 Larghetto 12'00
3 Scherzo:Allegro 3'46
4 Allegro molto 7'05
Rec:January 1960 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

交響曲第4番変ロ長調 Op.60
5 Adagio; Allegro vivace 12'30
6 Adagio 9'46
7 Allegro vivace 5'54
8 Allegro, ma non troppo 7'26
Rec:November 1958 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

9 コリオラン序曲 Op.62 7'06
Rec:November 1958 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 24

ベートヴェン
交響曲第3番変ホ長調 Op.55「英雄」
1 Allegro con brio 14'36
2 Marcia funebre:Adagio assai 15'16
3 Scherzo:Allegro vivace 6'00
4 Finale:Allegro molto 12'15
Rec:April 1960 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

5 プロメテウスの創造物序曲 Op.43 5'25
6 フィデリオ序曲 Op.72c 5'59
7 レオノーレ序曲第2番 Op.72a 13'48
Rec:January 1960 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 25

ベートヴェン
交響曲第5番ハ短調 Op.67
1 Allegro con brio 7'38
2 Andante con moto 9'48
3 Allegro 5'12
4 Allegro 8'41
Rec:May 1958 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

交響曲第6番ヘ長調 Op.68 「田園」
5 Erwachen heiterer Empfindungen bei
der Ankunft auf dem Lande:Allegro ma non troppo 9'45
6 Szene am Bach:Andante molto mosso 12'39
7 Lustiges Zusammensein der Landleute:Allegro 5'50
8 Gewitter, Sturm:Allegro 3'42
9 Hirtengesang; Frohe und dankbare
Gefuhle nach dem Sturm:Allegretto 8'32
Rec:October 1959 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 26

ベートヴェン
交響曲第7番イ長調 Op.92
1 Poco sostenuto; Vivace 11'47
2 Allegretto 8'53
3 Presto; Assai meno presto 9'26
4 Allegro con brio 8'57
Rec:January 1960 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

5 エグモント序曲 Op.84 8'27
Rec:May 1958
スイス・ロマンド管弦楽団

6 大フーガ変ロ長調 Op.133 17'05
Rec:May 1959 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 27

ベートヴェン
交響曲第9番ニ短調 Op.125
1 Allegro, ma non troppo, un poco maestoso 16'23
2 Molto vivace 11'19
3 Adagio molto e cantabile 15'16
4 Presto 24'14
Rec:April 1959 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

ジョーン・サザーランド(ソプラノ)
ノーマ・プロクター(メゾ・ソプラノ)
アントン・デルモータ(テノール)
アルノルト・ファン・ミル(バス)
ブラッシュ合唱団
ヴォー国民協会青年合唱団
スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 28

ウェーバー
1 序曲「魔弾の射手」 9'08
2 序曲「プレチオーザ」 7'07
3 「幽霊の支配者」序曲 5'52
4 「オベロン」序曲 8'22
5 「オイリアンテ」序曲 8'30
6 「アブ・ハッサン」序曲 3'20
7 祝典序曲 7'27
Rec:November 1958

シューマン
謝肉祭 Op.9
(管弦楽版.グラズノフ,リムスキー・コルサコフ,リャードフ,チェレプニン)
8 Preambule 2'32
9 Pierrot 1'17
10 Arlequin 1'10
11 Valse noble 1'37
12 Eusebius 1'27
13 Florestan 1'00
14 Coquette 1'37
15 Papillons 0'59
16 A.S.C.H - S.C.H.A. 0'53
17 Chiarina 0'57
18 Chopin 1'47
19 Estrella 0'33
20 Reconnaissance 1'33
21 Pantalon et Colombine 1'06
22 Valse Allemande 0'57
23 Paganini 1'26
24 Aveu 1'00
25 Promenade 1'33
26 Pause 0'27
27 Marche des Davidsbundler contre les Philistins 2'47
Rec:November 1959 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 29

J.S.バッハ
組曲第2番ロ短調, BWV.1067
1 Ouverture 6'20
2 Rondeau 1'38
3 Sarabande 3'56
4 Bourree I-II 2'00
5 Polonaise 3'38
6 Menuet 1'15
7 Badinerie 1'34
アンドレ・ペパン,フルート

組曲第3番ニ長調, BWV.1068
8 Overture 6'52
9 Air 5'56
10 Gavotte I-II 3'50
11 Bouree 1'20
12 Gigue 2'56
Rec:November 1961 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

リスト
13 フン族の戦い 14'48
Rec:November 1959
スイス・ロマンド管弦楽団

ロッシーニ
風変わりな店,抜粋(編曲.レスピーギ)
14 Tarantella 2'08
15 Andantino mosso 2'40
16 Can-Can 2'06

シューマン
謝肉祭 Op.9, 抜粋
(管弦楽版.グラズノフ,リムスキー・コルサコフ)
17 Pierrot 1'10
18 Reconnaissance 1'36
19 Pantalon et Colombine 1'08
20 Aveu 1'10

ショパン
レ・シルフィード,抜粋 (管弦楽版.ロイ・ダグラス)
21 Prelude 1'47
22 Mazurka 1'56
23 Valse 5'42
Rec:January 1959 Kingsway Hall, London
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団

Disc 30

ラヴェル
1 高雅で感傷的なワルツ 15'41
クープランの墓
2 Prelude 3'37
3 Forlane 5'32
4 Menuet 4'53
5 Rigaudon 3'01
Rec:November 1960

6 ツィガーヌ,演奏会用狂詩曲 10'16
Rec:March 1959
ルッジェーロ・リッチ,ヴァイオリン

ダフニスとクロエ第2組曲
7 Lever du jour 6'03
8 Pantomime 6'43
9 Danse generale 3'44
Rec:November 1960 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

デュカス
10 ラ・ペリ:ファンファーレ 2'18
11 ラ・ペリ:舞踏詩 18'09
Rec:April 1963

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 31

ビゼー
交響曲 ハ長調
1 Allegro vivo 7'32
2 Adagio 8'18
3 Allegro vivace 4'26
4 Allegro vivace 6'53

子供の遊び Op.22
5 Marche:Trompette et tambour 2'16
6 Berceuse:La poupee 2'28
7 Impromptu:La toupie 1'01
8 Duo:Petit mari, petite femme 3'24
9 Galop:Le bal 1'50

「美しきパースの娘」組曲
10 Prelude 3'57
11 Serenade 2'09
12 Marche 3'10
13 Danse bohemienne 3'08
Rec:October 1960

オッフェンバック
14 「天国と地獄」序曲 8'57
15 「美しきエレーヌ」序曲 8'37

エロルド
16 「ザンパ」序曲 7'54
Rec:May 1960

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 32

ラロ
スペイン交響曲 Op.21
1 Allegro non troppo 7'46
2 Scherzando; Allegro molto 4'29
3 Intermezzo; Allegretto non troppo 6'10
4 Andante 6'18
5 Rondo:Allegro 8'25
Rec:March 1959
ルッジェーロ・リッチ,ヴァイオリン

6 「イスの王様」序曲 11'53

トマ
7 「ミニヨン」序曲 8'21
8 「ライモンド」序曲 7'32

オーベール
9 「黒いドミノ」序曲 6'58
10 フラ・ディアヴォロ」序曲 7'47
Rec:May 1960

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 33

ストラヴィンスキー
交響曲ハ長調
1 Moderato alla breve 10'48
2 Larghetto concertante 8'01
3 Allegretto 5'03
4 Largo:Tempo giusto alla breve 7'18

3楽章の交響曲
5 ? = 160 10'33
6 Andante 5'49
7 Con moto 6'23

8 管楽器のための交響曲 9'14
Rec:1960

グリンカ
9 カマリンスカヤ幻想曲 6'52
Rec:February 1961 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
10 「皇帝に捧げた命」序曲 9'18
Rec:February 1961 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 34

ストラヴィンスキー
妖精の接吻
1 Scene I:Prologue 8'25
2 Scene 2:Une fete au village 11'05
3 Scene 3:Au moulin 14'42
4 Scene 4:Epilogue, Berceuse des demeures eternelles 8'50
Rec:1963 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

詩篇交響曲
5 Psaume XXXIX 3'36
6 Psaume XL 7'12
7 Psaume CL 10'33
Rec:1961
Ch?ur des Jeunes & Ch?ur de Radio, Lausanne
Chorus master:Andre Charlet

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 35

メンデルスゾーン
1 「真夏の夜の夢」序曲 Op.21 11'52

付随音楽「真夏の夜の夢」 Op.61 , 抜粋
2 Scherzo 4'41
3 Notturno 6'32
4 Wedding March 5'03

シューベルト
ロザムンデ, D.747, 抜粋
5 Overture:Die Zauberharfe, D.644 9'50
6 Ballet music No.1 in B minor 7'55
7 Entr'acte No.2 in D major:Andante 3'07
8 Entr'acte No.3 in B flat major:Andantino 6'49
9 Ballet music No.2 in G major 6'42
Rec:January 1960 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

ホアキン・トゥリーナ(1882-1949)
幻想的舞曲集 Op.22
10 Exaltacion 5'32
11 Ensueno 5'35
12 Orgia 4'25
Rec:May 1960 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 36

ドビュッシー
管弦楽のための映像
1 Gigues 7'38
イベリア:
2 Par les rues et par les chemins 6'51
3 Les parfums de la nuit 7'10
4 Le matin d'un jour de fete 4'15
5 Rondes de printemps 8'00
Petite suite
6 En bateau 3'46
7 Cortege 2'58
8 Menuet 3'14
9 Ballet 3'25

ラヴェル
10 亡き王女のためのパヴァーヌ 5'53
Rec:February 1961

11 道化師の朝の歌 6'59
Rec:November 1960

マルタン
弦楽合奏のための練習曲
12 Ouverture 4'01
13 Pour enchainement des traits 2'28
14 Pour le pizzicato 3'03
15 Pour l'expression et le sostenuto 3'28
16 Pour le style fugue 6'03
Rec:1961

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 37

フランク
交響曲ニ短調
1 Lento; Allegro non troppo 18'23
2 Allegretto 10'48
3 Allegro non troppo 10'35
4 Le chasseur maudit 14'41
Rec:March 1961

オネゲル
交響曲第2番
5 Molto moderato; Allegro 11'32
6 Adagio mesto 7'33
7 Vivace non troppo 5'14
Rec:January 1961

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 38

プロコフィエフ
バレエ組曲「ロメオとジュリエット」
1 The Montagues and the Capulets 5'40
2 Juliet, the little girl 3'28
3 Madrigal 3'14
4 Minuet 2'41
5 Romeo and Juliet 7'33
6 Death of Tybalt 4'14
7 Masks 1'50
8 Dance 1'52
9 Romeo and Juliet before parting 8'32
10 Romeo at Juliet's grave 6'28
Rec:November 1961 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
The Love of the Three Oranges Suite Op.33 (excerpts)
11 March 1'42
12 Scherzo 2'33
Rec:February 1961 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
スイス・ロマンド管弦楽団

ストラヴィンスキー
組曲「兵士の物語」
13 Marche du soldat 1'42
14 Musique pour scene 1 2'40
15 Musique pour scene 2 2'25
16 Marche royale 2'40
17 Petit concert 2'57
18 Tango; Valse; Ragtime 6'13
19 Danse du diable 1'28
20 Chorale 3'04
21 Marche triomphale du diable 2'13
Rec:1961 Victoria Hall, Geneva, Switzerland
Michael Schwalbe, violin; Hans Fryba, double-bass;
Leon Hoogstoal, clarinet; Henri Helaerts, bassoon;
Paolo Longinotti, cornet; Pierre Aubapan, trombone;
Charles Peschier, percussion

Disc 39

プロコフィエフ
交響曲第1番ニ長調 Op.25「古典」
1 Allegro 4'46
2 Larghetto concertante 4'23
3 Gavotta:Non troppo allegro 1'29
4 Finale:Vivace 4'17
Cinderella suite
5 Introduction 2'39
6 Pas de chat 3'34
7 Quarrel 3'19
8 Cinderella dreams of the ball 3'28
9 Fairy Godmother and Winter Fairy 4'26
10 Mazurka 4'52
11 Cinderella goes to the ball 2'31
12 Cinderella at the castle 6'53
13 Bourree 1'22
14 Galop 4'16
15 Cinderella's waltz; Midnight 4'48
Rec:February 1961 Victoria Hall, Geneva

ストラヴィンスキー
組曲第1番
16 Andante 1'18
17 Napolitana 1'05
18 Espanola 0'58
19 Balalaika 1'00

組曲第2番
20 Marche 1'15
21 Valse 1'59
22 Polka 1'01
23 Galop 2'17

4つの練習曲
24 Danse 1'00
25 Excentrique 1'55
26 Cantique 4'06
27 Madrid 2'48
Rec:1962

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 40

サン・サーンス
交響曲第3番ハ短調 Op.78 「オルガン付き」
Part I
1 Adagio; Allegro moderato 10'56
2 Poco adagio 10'00
Part II
3 Allegro moderato; Presto 7'49
4 Maestoso; Allegro 8'39
Rec:May 1962
Pierre Segon, organ

フォーレ
管弦楽組曲「ペレアスとメリザンド」 Op.80
5 Prelude 5'49
6 La fileuse 3'08
7 Sicilienne 3'47
8 Molto adagio 4'13
9 Penelope, prelude 7'58

管弦楽組曲「マスクとベルガマスク」 Op.112
10 Ouverture 3'28
11 Menuet 2'42
12 Gavotte 3'11
13 Pastorale 4'10
Rec:February 1962

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 41

ハイドン
交響曲第82番ハ長調 「熊」
1 Vivace assai 7'37
2 Allegretto 7'15
3 Menuet 4'22
4 Finale:Vivace 5'54

交響曲第83番ト短調 「めんどり」
5 Allegro spiritoso 5'49
6 Andante 5'09
7 Menuet:Allegro 4'21
8 Finale:Vivace 4'02

交響曲第84番変ホ長調
9 Largo; Allegro 6'52
10 Andante 7'41
11 Menuet:Allegro 3'39
12 Finale:Vivace 5'57
Rec:April 1962 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 42

ハイドン
交響曲第85番変ロ長調「王妃」
1 Adagio; Vivace 7'53
2 Romance:Allegretto 7'52
3 Menuet:Allegretto 4'26
4 Finale:Presto 3'30

交響曲第86番ニ長調
5 Adagio; Allegro spiritoso 7'05
6 Capriccio:Largo 5'54
7 Menuet:Allegretto 5'38
8 Finale:Allegro con spirito 6'36

交響曲第87番イ長調
9 Vivace 7'16
10 Adagio 6'18
11 Menuet 4'31
12 Finale:Vivace 4'31
Rec:April 1962 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 43

アルベニス
イベリアから(管弦楽版. アルボス)
1 Evocacion 5'41
2 El Corpus en Sevilla 8'19
3 Triana 4'35
4 El puerto 4'22
5 El albaicin 6'52
6 ナバーラ (compl. Deodat de Severac, orch. Arbos) 5'12
Rec:May 1960

ブラームス
交響曲第1番ハ短調 Op.68
7 Un poco sostenuto; Allegro; Meno allegro 12'36
8 Andante sostenuto 8'48
9 Un poco allegretto e grazioso 4'48
10 Adagio; Piu andante;
Allegro non troppo, ma con brio; Piu allegro 16'34
Rec:February 1963 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 44

ブラームス
交響曲第2番ニ長調 Op.73
1 Allegro non troppo 19'38
2 Adagio non troppo;
L'istesso tempo, ma grazioso 9'50
3 Allegretto grazioso:quasi Andantino;
Presto, ma non assai 5'12
4 Allegro con spirito 9'12

交響曲第3番ヘ長調 Op.90
5 Allegro con brio; Un poco sostenuto; Tempo I 11'51
6 Andante 7'43
7 Poco allegretto 6'06
8 Allegro 8'28
Rec:February 1963 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団

Disc 45

ブラームス
交響曲第4番ホ短調 Op.98
1 Allegro non troppo 11'48
2 Andante moderato 11'25
3 Allegro giocoso; Poco meno presto; Tempo I 6'32
4 Allegro energico e passionato; Piu allegro 9'48

5 大学祝典序曲 Op.80 9'37
6 ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a 16'59
7 悲劇的序曲 Op.81 13'09
Rec:February 1963 Victoria Hall, Geneva, Switzerland

スイス・ロマンド管弦楽団


商品説明:年表シリーズ

指揮者
アルヘンタ
アンセルメ
オッテルロー
ガウク
カラヤン
クイケン
クーセヴィツキー
クチャル
クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル
クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィル
クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル
クナッパーツブッシュ&国立歌劇場管
クナッパーツブッシュ&レジェンダリー・オーケストラ
クラウス
クレツキ
クレンペラー
ゴロワノフ
サヴァリッシュ
シューリヒト
スラトキン(父)
ターリヒ
チェリビダッケ
トスカニーニ
ドラゴン
ドラティ
バルビローリ
バーンスタイン
パレー
フェネル
フルトヴェングラー
ベイヌム
メルツェンドルファー
モントゥー
ライトナー
ラインスドルフ
レーグナー
ロスバウト

鍵盤楽器
ヴァレンティ
ヴェデルニコフ
カークパトリック
カサドシュ
グリンベルク
シュナーベル
ソフロニツキー
タマルキナ
タリアフェロ
ティッサン=ヴァランタン
デムス
ナイ
ニコラーエワ
ネイガウス父子
ノヴァエス
ハスキル
フェインベルク
ユージナ
ランドフスカ
ロン

弦楽器
カサド
コーガン
シュタルケル
スポールディング
バルヒェット
フランチェスカッティ
ヤニグロ
リッチ
レビン

室内アンサンブル
グリラー弦楽四重奏団
シェッファー四重奏団
シュナイダー四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
パスキエ・トリオ
ハリウッド弦楽四重奏団
バルヒェット四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
伝説のフランスの弦楽四重奏団
レナー弦楽四重奏団

作曲家
アンダーソン
ベートーヴェン
ヘンツェ
坂本龍一

シリーズ
テスタメント国内盤

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昔放送局の招聘事業で晩年のアンセルメとス...

投稿日:2021/03/10 (水)

昔放送局の招聘事業で晩年のアンセルメとスイスロマンドを招聘したが、 バレエ音楽とフランスものではスペシャリストであった。 当時はベルリンフィルとウィーンフィルに比べ半額程度で招聘できたスイスロマンドは興行的にはおいしいプログラムであった。

ハッチ さん | 愛知県 | 不明

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