Johnny Mathis
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Johnny Mathis プロフィール

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1960年代から1970年代にかけてを全盛期に活躍し、現在も世界的に有名な男性シンガーとして君臨しているジョニー・マティス。デビュー後すぐにシングル曲を立て続けに発表し、シングル・チャートを賑わせました。そして、リリースされたアルバムの多くは、ゴールド・ディスク、プラチナ・ディスクとして、全世界で愛され続けています。ソフト・ロックにも通ずる優しい歌声と軽いメロディーは、ソフト・ロック・ファン必聴のサウンドです。そんな、ジョニー・マティスの生い立ちから触れてみたいと思います。

1935年9月30日 Gilmerで生まれる。サンフランシスコへ住居を移し幼年時代を過ごす。ジョニー・マティスが8歳の頃、父がアップライト・ピアノを購入してもらい、以来、毎晩のようにピアノを弾くようになってゆく。父はバック・ミュージシャンとしてピアノの演奏やヴォーカルをし生計を立てながら、ジョニーに音楽を教え込むようになっていき、ジョニーは、ゴスペルから伝統音楽、ポップ・ミュージックまで何でも弾けるようになっていった。

13歳のころ、ジョニーは父の知り合いでもあるヴォーカル教師のコニー・コックスの前でその才能をみせ、コックスにその後6年間のあいだヴォーカルを学ぶ。ジョージ・ワシントン大学へ進学したジョニーは、シンガーとしてでなく、バスケットボール選手や陸上選手にも憧れ、1954年、ジョニーは19歳でサン・フランシスコ州の大学へ進学、体育教師・英語教師になるための勉強に励む。ハイ・ジャンプの記録はオリンピック記録よりわずか2インチの差という記録も持っているほど、スポーツ・センスも抜群だった。

体育教師やスポーツ選手への夢を抱きながら、大学で勉学に励むが、ミュージシャンとしてもナイトクラブで演奏をしていた。1995年に週末にクラブで歌う仕事を本格的に始めたころ、ジョニーのステージを見たコロムビア・レコードのGeorge Avakianの目にとまり、ニューヨークのコロムビア・レコードへ誘われる。アメリカのオリンピック選手代表の夢を捨て、1956年、ニューヨークへ旅立ち、コロムビア・レコードと契約。

1957年にはマイルス・ディヴィスのプロデューサーをしていた重鎮、テオ・マセロの指揮によるオーケストラ編成でレコーディングした”A New Sound In Popular Song”でデビューを果たす。コロムビアのA&Rレーベルのミッチ・ミラーがジョニー・マティスの歌声を高く評価し、同年の秋にセッションをする。そこから生まれたのがあのヒット曲”Wonderful Wonderful”や"It's not for Me To Say"。この2曲は1957年のビルボードチャートの上位に食い込むといったビッグ・ヒットとなった。コロムビア・レコードで2年間歌いつづけた1958年、”グレイテスト・ヒッツ”をリリース。このベスト版は、先例のない、何と490週連続でビルボード・チャート上位を独占、という空前の大ヒットを巻き起こした。この記録はギネス・ブックにも掲載されている程。

1970年代に入ってから今日に至るまで、誰もが知っている国民的歌手として、英国王室、レーガン、ブッシュ前大統領、最近ではクリントン大統領夫人ら、世界中のVIPの前でその歌声を披露し続けている。現在も歌手として活躍しており、ジョニー自ら、過去のヒット・チューンを歌い続けている。趣味はゴルフと料理だとか。

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