Lightnin Hopkins

Lightnin Hopkins (ライトニン・ホプキンス) プロフィール

Lightnin Hopkins | プロフィール | CD、DVD、ブルーレイ(BD)、ゲーム、グッズなどを取り扱う【HMV&BOOKS online】では、コンビニ受け取り送料無料!国内最大級のECサイトです!いずれも、Pontaポイント利用可能!お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!

「ブルースとは何か?」ブルースが生まれたとされる現場アメリカから海を隔て、遠く遠く離れた小さな島国に住む自分にその明確な答えなど知る由もないが、彼のあのアルバムを聴けば少しだけブルースとは何か分かる気がする。拳骨が赤い壁を突き破るアートワークが余りにも有名すぎるライトニン・ホプキンスモージョ・ハンド(Mojo Hand)を聴けば...。

ライトニン・ホプキンス(Sam Hopkins)は1912年3月15日、テキサス州センターヴィルに生まれる。そのライトニン・ホプキンスの名前の由来はピアニスト、サンダー・スミスから譲り受けたものだとされている。

兄のジョエル・ホプキンスからギターを学んだというライトニンは、20代に差し掛かる頃から本格的に音楽活動を始める。その名前を頂戴したサンダー・スミスのサポートやテキサス・カントリー・ブルースの第一人者ブラインド・レモン・ジェファーソンやテキサス・アレクサンダーのバックとして地元センターヴィル周辺のジューク・ジョイント(ブルースが演奏されるバーの事。大雑把に言うと今で言うライヴ・ハウスと考えてよい。)で活動していたという。特にテキサス・アレクサンダーとは長い付き合いで、40年代も後半になろうかという時まで街頭演奏を共にしていた。

現在までに100枚以上リリースされているとされるライトニンの作品だが、意外な事にレコーディング自体は30台半ばの1946年がはじめてだというから驚きだ。その46年に初めてアラディンに録音し、発表したKaite Meaがヒット。一躍テキサスにライトニン・ホプキンスありと、その名を全土に轟かすのであった。

その後ゴールド・スター、RPM、シッティン・イン・ウィズ、マーキュリー、ヘラルド....様々なレーベルに数多くの録音を残すが、当時の音楽シーン(と呼べたものではないかもしれないが)ではブルース人気が低迷していた為、しばらくレコーディングの機会から遠ざかった時期もある。その後起こった白人間でのフォーク・リヴァイヴァルも相俟って59年、後にライトニンのマネージャーを務める事になるマック・マコーミックに引き戻され(ここではしばしば「再発見」という言葉が使用される。)、再び表舞台に立つのであった。

60年代に入るとレコード・ショップを経営する傍ら、自らのレーベルも主催するボビー・ロビンソンからのたっての願いで録音されたのがライトニンの名盤、いやブルースの名盤として名高いモージョ・ハンドである。またモージョ・ハンドと同じ60年に録音されたLightnin' In New Yorkも熱心なファンから人気が高く、この時期のライトニンがいかに脂が乗っていたかが窺い知れる。聴衆が黒人から白人に移った後も己のスタイルを崩す事無く、1982年1月30日、癌でこの世を去る最後まで生涯ブルースマンで在り続けた。

正確な数は把握していなく恐縮だが、1982年1月30日、癌でこの世を去るまでに100枚以上の作品を残している。スタイル的にはどれもさほど代わり映えはなく、どれも同じとの声も聞こえなくはないが、しかしこの創作意欲には尊敬を払うべきではないだろうか。

大の飛行機嫌いで滅多にツアーを行う事のなかったライトニンだが、ただの一度きりだけだが78年にここ日本の土を踏んでいるのだ。資料によればウィスキーのギラスを傾けつつ、飾り気のないシンプルでリラックスした雰囲気に包まれていたという。

もし本稿でライトニンに興味をもたれた方がいたら、数あるカタログの中でもまずはやはり、モージョ・ハンドから手にしていただきたい。「ブルースとは何ぞや」という永遠のテーマをベースとドラムだけだが力強いバックに守り立てられるブギの表題曲や、泥臭いスロー・ブルースが語ってくれているから。

イカついサングラスにくわえタバコの堅気の人間ならば思わず引いてしまうこと必至なその風貌そのままのワイルドでダーティで不良っぽくて泥臭い音楽は一点の曇りもない最強で最高のブルースだ。

%%message%%