60年代に入るとレコード・ショップを経営する傍ら、自らのレーベルも主催するボビー・ロビンソンからのたっての願いで録音されたのがライトニンの名盤、いやブルースの名盤として名高いモージョ・ハンドである。またモージョ・ハンドと同じ60年に録音されたLightnin' In New Yorkも熱心なファンから人気が高く、この時期のライトニンがいかに脂が乗っていたかが窺い知れる。聴衆が黒人から白人に移った後も己のスタイルを崩す事無く、1982年1月30日、癌でこの世を去る最後まで生涯ブルースマンで在り続けた。