Rage Against The Machine

Rage Against The Machine (レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン) プロフィール

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Rage Against The Machine

「No Samples, Keyboards Or Synthesizers Used In The Making Of This Recoding」

これはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのデビュー・アルバム『レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』にクレジットされている文章である。この決意表明ともとれる宣言は首尾貫徹して、最後の最後まで貫き通された。

メキシコ人としてアメリカで初めて認められた画家であり、警察の暴力批判や、農場労働組合の運動を、絵画を通して主張した人物である父親と、公民権運動や検閲反対運に関わった反戦活動家であった母親を持つザック・デ・ラ・ロッチャ。
ケニアの民族過激派マウワウ団の一員である父と検閲反対運動の活動家である母を持ち、ハーバード大学を首席で卒業後、クランストン上院議員の秘書を経験したこともあるトム・モレロ。
この二人の侠(おとこ)の出会いが、後に伝説のロック・バンドとなるレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの誕生の切っ掛けとされている。

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのメンバーはザック・デ・ラ・ロッチャ(vo)、トム・モレロ(g)、ティム・ボム(b)、ブラッド・ウィルク(dr)の4人。バンド名はザックがかつて在籍したハードコア・バンド、インサイド・アウトの未発表楽曲からとられている。ここでのマシーンとは機械(意志を持たない構造/システム)であり、「警察暴力から経済機構、社会組織全てにおいて、理解力や慈悲を持たない今の社会構造」を表現したものである。要約すると「現代社会に対しての怒り」という意味が込められている。

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは91年に結成され、 デビュー前から相当の話題を集める存在であったという。早くからパブリック・エナミーパール・ジャムといった大物のオープニング・アクトを務め、ライヴ会場で売られていた12曲収録のカセット・テープは5千本以上を売り上げ、噂を聞きつけたメジャー・レーベルの間でレイジの争奪戦が繰り広げられた。マドンナが運営するレーベル、マーヴェリック・レコードからもオファーを受けていたそうだが、「物欲的女性と関わるつもりはない」という理由でそのオファーを一蹴している。結局レイジは「バンドの方針に一切干渉しない」という条件付きで、メジャーのエピックと契約を交わした。

そして92年、衝撃のデビュー・アルバム『レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』がリリースされた。痛烈な社会批判を盛り込んだザックの鋭く切り込むラップとトム・モレロの前例を見ないトリッキーなギター・プレイ、ヴェトナム戦争に反対して焼身自殺した僧侶の写真をジャケット・アートワーク…全てが革新的で衝撃的であった。その革新性が広く伝わるようになったのは93年のロラパルーザ・ツアーのフィラデルフィア公演である。PMRC(歌詞規制団体)への抗議のためメンバー全員が口をガムテープで塞ぎ、胸に「PMRC」の4文字を刻み込み全裸で登場。その後15分立ちっぱなしで演奏を一切しないパフォーマンスが話題を呼び、世界中から注目を集める存在となった(保守派からは危険分子と見なされた)。

96年4月には2nd『イーヴィル・エンパイア』をリリース(全米初登場1位を獲得)。このアルバム・タイトルはレーガン元大統領が、当時はまだアメリカと冷戦状態にあったソ連を指して放った言葉「邪悪な帝国」を皮肉ったもので、アルバム・ジャケットの少年はアメリカを象徴し、にこやかに笑みを浮かべてはいるがその内側には邪悪な心が潜んでいるという事を表わしている。サウンド的には1stと比べやや薄味とされる向きもあるが、妥協のようなものは一切見受けられない。“ピープル・オブ・ザ・サン”“ブルズ・オン・パレード”といったファンから人気の高い楽曲も収録した作品でもある。

翌97年には日本初の本格野外フェスとして話題を集めた「フジ・ロック・フェスティバル ’97」に出演。豪雨の中の圧倒的なパフォーマンスは今も語り草であり、伝説と呼ぶに相応しいステージであった。レイジの後に出演したメイン・アクトのレッド・ホット・チリ・ペッパーズはバンド内のコンディションも優れていない事もあり、レイジの圧倒的なテンションとパフォーマンスに引けをとることになってしまった。多くのオーディエンスは世代交代の瞬間を生で感じたという(後にレッチリは復活するのだが)。また同年、人気コミックの映画版『スポーン』のサウンドトラックにてプロディジーと共演も果たし、これも大きな話題となった。

98年にはハリウッド映画の超話題作『ゴジラ』のサントラに新曲“ノー・シェルター”を提供。そして新作に向けて曲作りに入る。同年中にリリースされる予定が延期に次ぐ延期…新作がリリースされていないにも関わらず、99年夏にはフジロックにヘッドライナーとして出演。そして発売予定からずれ込む事1年、99年の11月にようやく3rdアルバム『バトル・オブ・ロサンゼルス』がリリースされた。「強度」と「しなやかさ」が同居するこのアルバムは90年代ロックを代表する作品とも断言できる彼らの最高傑作である。

そして2000年10月、信じられないようなニュースが世界中を駆け抜けた。

―――――ザック・デ・ラ・ロッチャ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを脱退―――――

かねてから解散の噂が耐えないバンドではあったが、あまりにも唐突な知らせに世界中に衝撃が走った。その衝撃が止む間もなくリリースされたのが事実上ラスト・アルバムとなる『レネゲイズ』である。このアルバムはレイジのルーツを垣間見る事ができるカヴァー集であり、カヴァーされるはMC5や、ストゥージーズマイナー・スレットボブ・ディランブルース・スプリングスティーンサイプレス・ヒルエリックB&ラキムアフリカ・バンバータEPMDといったところで、パンク/ロック/ヒップホップを飲み込んだ彼ららしい選曲である。カヴァー集とは言えど、作品としての完成度は恐ろしいまでに高い。

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンというバンドの魅力の全てがザック一人によるものではないということは皆、百も承知だろうがザックの脱退により、レイジの解散は事実上免れないものとなってしまった。
残ったトム、ティム、ブラッドは新しいヴォーカリスト(サイプレス・ヒルのBリアルが有力候補なんて噂もあった)を加入させ、レイジを存続させるという噂も実しやかに囁かれたが、3人は全く新たなバンドをある男とともに結成した。それがオーディオスレイヴである。ヴォーカリストの座を射止めたのは元サウンドガーデンクリス・コーネル。予想通りというべきかレイジとは趣を異とするオーセンティックなハード・ロックを展開している。そして一方のザックはいよいよソロ・アルバムをリリースする方向で動いている。アメリカ大統領ブッシュがイラク攻撃を決定した日にWEBでのみ発表したプロテスト・ソング“マーチ・オブ・デス”のトラックも手掛けたDJシャドウと、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーがアルバムのメイン・プロデューサーとして制作に関わっており、シャドウとレズナーの半々の割合で制作が進められている模様。しかもレズナーが手掛けたものは荒削りなパンク・ロックとのことだ。

2003年末にはオーディオスレイヴとザックのソロ・アルバムに挟まれる形でライヴ・アルバム『ライヴ・アット・グランド・オリンピック・オーディトリウム』がリリースされた。このライヴは2000年9月12日と13日にロサンゼルスのダウンタウンにある「グランド・オリンピック・オーディトリウム」でのライヴをレコーディングしたもので、ザック脱退の1ヶ月前、レイジのラスト・ギグを収めたものである。ここには腐った社会と戦い続けた4人の侠達の生々しい息吹きが詰め込まれている。

冒頭でも触れたようにレイジの音楽は100パーセント4人の力のみで作り上げられたものである。右から左へスルーすることが許されないメッセージが込められたザックのラップ/ヴォーカル、スクラッチや工事現場のノイズ、サイレンetc...どんな音でもギターひとつで表現してしまう人間技と思えないトムのギター・プレイ、インパクトの強烈なフロントマン2人の陰に隠れてはいるが、バンドの屋台骨として欠かせない存在のティムとブラッドによる強靭なリズム…この代わりのない4つのピースが合わさってこそ出来上がるのが、あの最強のグルーヴなのである。

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