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0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2026/06/02
ヴィオラという楽器の良さを存分に味わえるディスク。仄暗い、といっても温かな体温を感じさせるヴィオラの歌は、疲れてしまった私の心に静かに沁みこんでくれる。 ここで演奏されるのは音楽という絆で結ばれた友人たち(ブラームス、ヨアヒム、そしてシューマン夫妻)の作品。予想していたより活気があふれた演奏ではあるが、ブラームスの晩年は…という既成概念でなく、晩年の彼が持っていた心の奥にそっとしまってある熱い想いが発出した演奏と考えれば得心がいくと思う。 シューマン夫妻のロマンスも、ヨアヒムの小品集(初めて聴いたが美しい詩集を読んでいるような気持ちになれる)も、どれもが心にやさしく寄り添ってくれる。ヴィオラという奥ゆかしく慎ましい歌声を持つ楽器は時折無性に聴きたくなる時が訪れるのだが、今がその時。そんな時にツィンマーマンの味わい深いヴィオラがリリースされている。手にして聴いてみて、とても心の底から充実感が満ち足りたことを喜んでいる。 皆さんにはないだろうか、ヴィオラに癒されたい時は。もし、そんな時があればこの一枚をおすすめしたい。別に癒されたいわけでなく、ヴィオラの懐の深さを実感できる一枚を所望される方にもおすすめしたい。
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0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2026/05/31
豊かな想像力から、自由な空想力から音楽がほとばしる。 ルイサダのこのアルバムはレビューにある「ファンタジーの飛翔」そのままの音楽を愉しむことができる。 シューマンのファンタジーを紡ぎだす彼の両手、私は特に左手の音楽に惹かれた。シューマン作品でおなじみのオイゼビウスとフロレスタンというふたつのキャラクターが、このディスクでは右手と左手と言えそうな気がする。どちらがどっちではなく、曲やフレーズによって入れ替わるが他の演奏者より左手の「主張」が強く、それがとても愉しいのだ。楽譜的な詳しいことは分からないからあてずっぽうだが主旋律以外のあちらこちらに面白いエピソードが詰まっていて、その音符たちが入れ代わり立ち代わり浮かび上がって歌ってくるような気がする。ルイサダの演奏は楽譜から音符たちの「主張」を次々と紹介し歌わせているような印象だ。 昨日(2026年5月30日)、浜離宮 朝日ホールで開かれたショパンのマズルカ集の演奏会に同席した。2008年に録音した盤と同じ曲を演奏したが、そのディスクから更に深化した味わい深い「ショパンの生涯の日記」を聴かせてもらった。そこでも感じたが彼の演奏は音符を音にするというより、音符から想像されるファンタジーを解き放っているように思える。 ショパンであれ、当盤のシューマンであれ、ルイサダの「大いなる詩情」は楽譜に収まった音符たちに心躍るような冒険をさせている。そんな彼の演奏に耳を傾け、心躍らせてほしい。おすすめです。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2026/04/19
鈍い色の光沢を湛えた、じんわりと心にしみこむ曲たち。シューマン夫妻の「在りし日」に思いをはせるような肖像画として五嶋みどりが捧げたディスクと感じた。 メインはヴァイオリン協奏曲だが、この曲を愛する方が考えても「古今で最高の名曲」とは言わない気がする。歌う楽器であるヴァイオリンが活躍するはずのこのジャンルにしては歌の要素が少なくなり、つぶやきや語りが多くなっていると私は感じている。そんな地味でパッとしないはずの曲だが聴いているとしみじみとシューマンのまなざしが想像できる。どこを見ているのだろう、何を思っているのだろう、そんな気持ちにさせてくれる。五嶋みどりもおそらくそんなことをイメージしながら奏でているような気持になる。聴き終わった後に残るのは高揚感でなく、ロベルトの心の中を覗き込んでしまったような不思議な感覚。名曲でなかろうと、みんながこぞって拍手する作品でなかろうと大切にしていきたい「想い」を共有できるような曲だと思う。五嶋みどりをしてそこに焦点を当てて大切に弾きこんでいるように思うし、だからこそ大切に聴いていきたいディスクでもある。 後に演奏されるシューマン夫妻の小品たちも、大切な「思い出」として表されているように思える。ロベルトとクララ、そしてヨアヒムなどごくわずかな登場人物たちのモノローグを順に聴かされる劇をイメージさせる。輝きや艶、絢爛とした芳香はなく、前述の鈍い色の光沢が似合いそうな曲たちに耳を傾けてみてほしい。 なんとなく、このディスクは★満点という評価より一つくらい★を控えた(★を落とす、ではない)方がしっくりきそうな感じがする。演奏の良しあしではなく、このディスクに収められた曲たちの性格を表すために★4つで称えたい。変な基準で申し訳ないが、聴いていただければ少しだけ理解してもらえる、かもしれない…。おすすめです。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2026/04/05
第1部の導入からして、そして導入の1曲だけでもピションとピグマリオン達の目指すところがはっきり判る。尋常ではない緊張感をはらんだ通奏低音。弦楽器の音は軋み、弓を楽器にそれこそ叩きつけるように使われ、これから始まる受難のドラマが決して美しいものでなく、そのまま人間の心のきしみや歪みを表し、生々しい人間の心理劇であることを物語るよう。木管楽器たちは嘆き、叫び、悲痛な訴えを投げかけてくる。合唱も然り。いかにも彼ららしくテンポやダイナミクスを揺らし、私たち聴くものの心を鷲掴みにする。ユリアン・プレガルディエンが務める福音史家もドラマを進行するものという立場を超え、歌い、嘆き、時には叫ぶことすら厭わない。 このテンションがずっと続いていくことになる。私たち聴くものもそのドラマから耳が離せなくなる。元からして劇的で感情を強く揺さぶる作品ではあるが、そこに激しさを増してピションは訴えてくる。ただこの激しさは演奏や歌唱を荒々しくする表面的なものでなく、私たちの心の内側にひそむもろもろの感情を揺さぶるような内向的なものと感じる。このヨハネ受難曲で歌われているドラマが決して2000年ほど前の一人の若者の死をめぐるだけのものでなく、今も考えねばならない「現実」をえぐり出す表現にも聴こえてくる。 待望のディスクが手元に届いたのが今年(2026年)の聖木曜日。聖金曜日に聴き始め、聖土曜日も繰り返し聴いてみた。まだ聴き方が足りないのであまりあれこれ書けないが、少しでも多くの方にこのディスクの「切実な生々しさ」を感じてもらい、聴いてもらいたく、取り急ぎ投稿してみる。おすすめです。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2026/03/11
クルターグが長年月かけて創作している小曲集「遊び」。当盤はその曲集の中のほんの一部を(夫人との)自作自演したもの。 どれも小さい曲だが密度は大変なもの。でも聴いていて疲れるという印象はない。それは前のレビュアーさんと全く同じ。現代音楽なのに聴いていて癒されるし、心に沁みてくる。バッハの曲と交差し、綿密な織物を想像させる。ミニチュアな音楽はどれも真摯。演奏者(作曲者)の音、そして沈黙に対する感性と尊敬は一聴の価値あり。 この盤の録音が1996年。そこから30年経った2026年にようやく感想を書くに至った。2025年にピエール=ロラン・エマールがPentatone Classicsから「遊び」の抜粋を集めたディスクを発表し、私もそれを愛聴している。さらにエマールは今年(2026年)の夏にこの「遊び」とバッハ、シューベルトを編み込んだプログラムの公演を予定している。その経緯もあって聴きなおし始めたがやはり良いものは良い。これに尽きる。大切に聴いていきたい一枚、おすすめです。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2026/02/09
個々の楽器たちの音が次々に立ち現われ、今まで聞こえてこなかったフレーズが浮かび上がっては他のフレーズが入れ替わる…。そんな新鮮な響きがここで感じられる。個人的な好みでいえば偶数楽章(特に第6楽章)に思い入れがあるのだが、このディスクでひかれたのは奇数楽章のテノール。活力があり、音楽の自由が感じられ、こちらも自然に元気をもらえるような感じだ。対する偶数楽章はコントラルトの穏やかで知的な歌に、心が静かな平原にそっと導かれ立たされるような思いがした。奇数楽章のテノールと偶数楽章のコントラルト、両者のバランスがとても良く、少しセピアがかった懐かしい映画を眺めているような心持になった。 フランソワ=グザヴィエ・ロト(録音の日付でみると、ロトの例の騒動が現在進行形であった時期と思うが、指揮者もオケのメンバーとも「それとこれとは話が別」だったのだろうか…)の解釈はガンガンあおる感じには聴こえない。分析的でもなく感情をストレートにぶつける感じでもない。詩の内容としては諦観がイメージされるのだが、実際に当ディスクを聴いてみると楽器の音が微温的に耳と心に入ってきて、ドロドロしない程度の上品な陶酔感の方が勝っていると思う。 マーラーがベートゲの訳詩に自分の詩(または想い)を加えた(のはこの箇所だと思うが違っていたらごめんなさい)第6楽章最後のあたり(このディスクだと24分過ぎたあたり)の弦が思いのたけをあふれさせるような箇所も静かにスーッと伸ばしていき「Die liebe Erde 〜〜」と歌っていく。なにかえもいわれぬ陶酔と「もう過ぎ去ってしまった過去」を慈しみ、微笑みを湛えた哀しみを詩と演奏に表しているように感じた。 レ・シエクル(演奏家たちと楽器たち)と二人の歌手の活躍に支えられたロトの「大地の歌」。室内楽のように心にそっと沁みこんでくる当ディスクを耳にしてみていただきたい。おすすめです。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2026/01/31
「堂に入る」とはこんな状態なのかな…当盤のメインであるパルティータの冒頭から聴き始めてまずそう感じた。 予定で全17集?のうちの11集となると折り返しを過ぎ、いよいよここから更に面白みが増すことと思う。今までの録音の感覚から、早めのテンポでサクサク演奏するのかなと思っていた。実際に聴かれたのは程よくこなれて、どのフレーズも弾き飛ばすことなく意味が含まれているように思えた。楽器の音もすばらしく、録音としてもキンキンうるさくない自然な音響に収められていると感じる。 バッハの作品を年を追う形で、技術の進化の過程を追うように録音しているのだから、アラール自身がその進化を追体験しているわけで、そこからくる確信(そして革新)があるのかもしれない。 くわしい事情は知らないがパルティータはバッハの「作品1」を冠して初めて出版されたそうだ。バッハとしても相応の気概をもって出版に至ったであろうこの作品を、その気概をもって演奏してくれているように感じる。 二つのチェンバロを使い3枚にわたる充実した作品を聴ける喜び…。「作品1」の巻頭文にあるように、「…愛好人士の心の憂いを晴らし、喜びをもたらさんことを願って」このディスクをお勧めしてみたい。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2026/01/29
独特な音の世界をそぞろ歩きできるディスクと感じた。 ショパンの曲を軸に、その「軌道」を角野隼斗の自作などが行き来する。 演奏が元からそうなのか、ミキシングによるものか分からないが、どちらかというと小さめの声で歌うような音作りだろうか。 また音の重心が上の方に置かれているように思える。拍というのかリズムの取り方?も独特。 軽い、というのとは違う。何か時間が浮遊するような不思議な感覚は他であまり聴かない作風。聴いていてふと思い出したのは有元利夫の絵。時間が止まり、人物や空気が浮遊するような有元利夫の画風と当盤の音楽や音がどことなく合うかな・・・と感じた。有元利夫の絵といえば昔、DENONの古楽シリーズのジャケットを飾っていた記憶がある。それと性格は違うが、絵が持つ雰囲気はこのディスクにも通じるように思う。 ショパンの各曲は、いかにもショパンらしく弾くというより角野隼斗の中で醸成されたショパンの物語を音楽にしたといえばいいのかもしれない。そしてそのショパンの対(軌道)として奏される曲たちがまた魅力的。角野の自作は押し付けることなく豊かな表情をもって静かに広がっていく。エオリアン・ハープ(エチュード)に対する「リディアン・ハープ」はその浮遊するような軽みを引き継ぐ形で、ショパンの曲に対するリスペクトを含んだ「変奏」の一種としても聴ける。「ラルゲット(ピアノ協奏曲第2番の第2楽章による)」は少しジャズ的な装いも混ぜ込んでみせる。おそらく、角野の頭の中(そして心の中)はこのディスク内の自作のように多くの音が、そして音楽が鳴っているのかもしれない。 ショパンを聴くというより、また角野の作品を聴くというより、ショパンと角野の「呼吸」を愉しむディスクだと思う。おすすめです。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2025/12/29
ショパン国際コンクールで「キングメーカー」となっている感のあるダン・タイ・ソン。その彼がショパンのノクターンを弾いている。しかもフォルテピアノ(1849年製エラール)で。全体通して押しつけがましい部分はなく、ノクターンが醸し出す静寂で詩的な雰囲気で包んでいる。彼がキングメーカーなのはショパンの「手」を教えるのではなく「心」を伝えるからなのではないだろうか。そんなこともふと思わずにはいられない。しかし、かれがキングメーカーであろうとなかろうとこのディスクに収められたノクターンは詩情豊かで誠実な美しさを湛え、そして儚い。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2025/10/26
円熟と軽みは非なるものでなく表裏一体なものなのだろう。 ゲルハーへルとフーバーのコンビによる当盤を聴くとそのように感じる。 レビュー曰く「ブラームスの歌曲の持つ豊かな響きを表現するには、声の円熟が必要なんです」というゲルハーヘルの意見もごもっとも、と思うくらいにこのブラームスはじっくりと仕上がっていると感じる。 思うに、ブラームスの歌曲は歌手にとって、表現するのが難しいのではないのだろうか。 声の質もあろうが、ただ上手く歌えればよいのではなく、渋いだけでも美しいだけでもドラマチックなだけでもノスタルジックなだけでもダメなのだろう。選ばれた詞と、そこに当てはめられた音楽にひそんだ「味わい」の加減がほかの作曲家と比べても難しいように思う。 この盤で聴かれる二人の音楽は、そんなブラームスにじっくりと取り組んでいる様子が感じられる。民謡に材をとった歌曲から始まり、様々な詩人からの作品を丁寧に採りあげてくれている。声は程よく艶が落とされた落ち着いたビロードの様で、ピアノは決して前に出てこない(でも十分に心に沁みてくる)。 ゲルハーヘルとフーバーが、ブラームスへの尊敬と作品への愛着を込めて歌ったライブ盤をぜひ手に取ってみていただきたい。おすすめです。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2025/10/16
奇をてらうことのない、王道のようなドイツ歌曲の夕べ。派手さはなく、慎ましやかにシューベルト、ワーグナー、マーラー、そしてR.シュトラウスといった歌の花が集まり花束に仕上がっていく。舞台一面に咲き誇るというよりは静かに花たちがたたずんでいるかのよう。どの花も凛として毅然と咲いている。藤村実穂子の歌にはそんな雰囲気があるように思う。彼女の歌は、たぶん一度聴いてすぐに虜になる、というよりも聴きこむことでその歌の美しさや雰囲気がじんわりと届いてくる…。ピアノの伴奏も、その花たちを自然に活かすような滋味深い静かな雰囲気で、藤村実穂子の歌にぴったりと寄り添っているように思う。 彼女による歌曲のアルバムは2025年の現在もリリースが続いているが、当盤はその端緒のディスクといっていいのだろうか。私自身が詳しいわけではないので偉そうには言えないが、歌曲の世界へ、とりわけドイツ歌曲の世界に足を踏み入れてみたい方にお薦めの一枚だ。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2025/10/12
豊かな創意工夫とそれを裏付ける技術、そこへ駆り立てる作品への敬意を感じる。 ガット弦を柔らかく、時に毅然と駆使する佐藤俊介のヴァイオリン、1800年(10番のみ1820年)製作の響き豊かなフォルテピアノで支えつつ表情豊かに奏するスーアン・チャイのコンビ。全体通してことさらベートーヴェンに挑み果敢に火花を散らすというイメージはない(冷めているというのではなく、無駄にアツくなりすぎないという意味)。お互いが楽譜を弾きこんだ上で、そこに何か付け加えていった演奏と思う。さながらベートーヴェンに対する「私達ならこういう音楽であなたのメッセージに応えてみたい」という回答なのかもしれない。 ヴァイオリンの、音と音が続くような奏法は人によっては多少好みがあるかもしれない(私は「フォルテピアノのアルペジオ的処理と呼応するように、音を個々に考えず流れとして繋げている感じで面白いな」と思った)。(現代ピアノと比べて)フォルテピアノが強く音を発しない分、ヴァイオリンも強く演奏せずに済み、むしろヴァイオリンが自然にでる声量で歌っているように思える。テンポは中庸、激しく両者が対して演奏を物すことはない。とって平凡な演奏にならず、室内楽の愉しみとベートーヴェンの作品への新たな光の当て方を提供してくれていると思う。 余談を少しだけ。 この全集と同じ曲目の演奏会が先日、浜離宮朝日ホールで行われた(2025年10月)。 私が行ったのは最終日(第7、8&10番)だった。基本的な演り方はCDと同様だが、時折CDとも違ったアプローチで聴かせてもらい、CDでは味わえない生の音楽体験に浸れたことに感謝したい。スーアン・チャイにより迸る音の泉を響かせる美しい木目のフォルムをまとったローゼンベルガー(1830年製作)のフォルテピアノ、ヴァイオリンに柔らかく弓をのせて音楽を創り出している佐藤俊介の柔軟でごく自然な手首と肘の動きを見ながら聴けるのはやはりライブならでは。 表現として適切か微妙ながら…、7番は両演奏者による対決のような厳しい曲に感じていたが、この2人の演奏で聴くと余計な飾りが自然に消え去り、幽玄な何やら情念(それほどどんよりしない程度の)の葛藤も含んだ能を観ているかのよう。8番は一転して快活な狂言。上品で節度を保ったユーモアとおしゃべりを駆使した狂言を観るかのよう。能と狂言が同時に演じられるのと同様、作品30のこの2つ(6番も作品30のひとつだが、ここではそれは置いといて…)がセットで奏されるのは能と狂言と同じだな、と思い立った。 そして最後の10番はそれらを見終わって外に出た時の青空を仰ぎ見るような爽快で満たされた雰囲気。ヴァイオリンもピアノもそして音楽も外に出て、青空に羽ばたいて行くかのような自由さと解放感に似た精神の飛翔……。そんな感想をもったのも付け加えさせてもらいたい。 生で鑑賞するのとCDで聴くのでは違いはあれど、そんなにいつも聴きに行けない身としてはこのCDで彼らの音楽を体験して心に栄養を与えていきたい。ぜひ皆さんにも聴いてみていただきたい。おすすめです。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2025/10/07
オリジナルのリリースと同じ曲目で再販。D958&959はともに切り離して考えにくい、つながりと関連を持っていると思う。それを最も深い情感で表現しているのが内田光子の当盤だと思う。深刻で深くて、重いのに曲の流れはスムーズ。 ベートーヴェンに近づこうと創られたと思われるD958はなるほど、ベートーヴェンのエッセンスと切羽詰まったようなシューベルトの闘いを聴ける。D959ではもはやベートーヴェンを乗り越えてシューベルトにしかできない形で表された新しい境地が表れている。しかし彼に残された時間はもう残っていないのを後世の私たちは知っている。そんなシューベルトの心境をヒリヒリとした真剣さと同一化をもって内田はこのディスクに刻んでいる。ウィーンで録音され、収録当時はまだ健在だった、あのレーベルらしい落ち着いたピアノの音も良い。 私が入手したのははるか昔。この再リリースの盤ではないが、音楽の良さを他の方にも少しでも知っていただければと思い、今更ながらお薦めします。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2025/10/03
どの曲も夜に穏やかな心持ちにさせてくれる小曲を集めてくれているのが嬉しい。ピアノの音が幾分近めでくっきり明るいので眠りに落ちるために聴くというのは少し難しいかなと思う。レビューにある「音に包まれる」感覚もあるが私の印象としては「音が耳に飛び込んでくる」感覚の方が近いだろうか? 私の中では音量を上げずに眠りの前準備として心に深呼吸できるゆとりを作るような使い方になっている。普段あまり手を付けない作曲家のふとした優しい一面に触れられるような曲をちりばめてあり、眠りに結び付けなくともなかなか面白い曲目構成でもあるのでぜひ聴いてみていただきたい。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2025/09/29
夢うつつの中でふと優しく懐かしい歌を聴いた…何となくそんな感想を持ってしまう。プレガルディエンのその優しく美しい歌いぶりはそんな気持ちにさせてくれる安心感がある。そうはいっても外見的な優しさや表面的な美しさではない、真摯な歌がいつもそこに在る。他の盤(それは確かボストリッジだったか)でも書いた記憶があるが、美しい声(当盤のプレガルディエンやボストリッジなど)で歌われるとその美しさゆえに余計に詩・曲の中に滲んだ痛みや苦しみが切実に心に入ってくるような気になる。私の感傷かもしれないが、ここでもその痛みや苦しみがじんわりと伝わってくる。それこそが詩を歌にのせて「歌曲」に仕上げていく意味なのかもしれない。 シューマンの叙情と詩へのアプローチの面白さを紹介しつつ、ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集でロマン派が到達する地平線の果てまで見通すようなプログラムは新鮮。ピアノの伴奏がいまいち前に聴こえすぎる録り方?が少し気になるがそこを置いておき、このコンビならではの息の合った掛け合いも含めてじっくりと向き合う価値がある。おすすめです。
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