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mimia さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/12/07

    「史上最高のベートーヴェンを聴く」

     こんな見出しを付けると反発される方もきっとおられるだろう。私自身、これが一番とか、これ以外に無いと断言されるのは嫌だし、そういうふうに決めつけたくはなく、いろいろな演奏を聴いてきた。
     しかし、戦時中のフルトヴェングラー の演奏を聴いていると、これこそベートーヴェンだ!と心で叫びたくなる。
     別の何かと比べてではなく、かつてこんなベートーヴェンが鳴り響いていたのだという唯一無二の時間に想いを馳せる。録音であっても、その時間を共有している興奮と喜びに魂が震えるという体験だ。
     
     邪悪で圧倒的な政治の力が支配する世界の、時に空爆でコンサートを中断しなければならない現実の恐怖のなかで、指揮者も楽団員も、そして聴衆も渾身の気力で音楽を生きていた。1945年1月23日、戦時中のベルリンフィルとの最後となったコンサートについて、ジャーナリストで話し相手であったカルラ ヘッカーが伝えている。
     演奏会の最中に突然灯りが消える。モーツァルトの優しい旋律が少しずつ消えていく。フルトヴェングラー も指揮棒を静かに下ろす。当てのない時間の中で、観客の誰一人帰ろうとはしない。団員は皆固まって、その中にフルトヴェングラー が立っている。これが最後だと自覚せざるを得なかつた。
     I時間後演奏が再開されたとき、始まったのは、ブラームスの交響曲第一番だった。
     そのブラームスを、第四楽章だけだが聴くことができる。
     本来なら一瞬で消え去るはずだった夢や希望の時間は、当時ドイツ国内で画期的に改良された磁気テープによって記録された。この幸運のおかげで、記録は人類全体のかけがえの無い記憶となったのだ。


     同じ音源によるレコードやCDはこれまでも多くのレーベルで聴く事ができた。
     ベルリンフィルレーベルによるこのセットの一番の良い点は、年月順でコンサートごとにまとめられている事だろう。プログラムの演目全てが収録されているコンサートは少ないのだが、例えば、1943年6月のコンサートはオール ベートーヴェンで、交響曲第四番、コリオラン序曲、交響曲第五番が演奏順に2枚のCDに収められている。それに、多分コンサートに先駆けて収録されたと思われる、交響曲第四番の観客なしのゲネプロもあって、この2枚を順に聴いていくと、ある特別な一日が追体験できる。
     
     
     戦時中のベルリンフィルコンサートがこれだけ体系的にまとめられているセットは他にないのではないだろうか。しかも非常に丁寧な作りで私たちに提供された。

     付録のDVDも見応えがある。
     ベルリンフィルのカラヤン時代以降のコントラバス奏者だった元団員が、コリオラン序曲の冒頭を聴き始め、穏やかな笑顔が一変する。これは凄い、と何度も繰り返し、縦線は合ってないがそんなことはどうでもいい、と言う高潮した顔が印象的。ここに実は、他とは全く違うフルトヴェングラー の響きの鍵の一つがある。それぞれの楽団員の音が微妙にずれるように開始させる。どのような響を引き出すか、そのテクニックにかけては誰もフルトヴェングラー のまねが出来なかった。
     フルトヴェングラー の指揮姿の映像もいくつか収録されています。これだけでも価値があります。現在の再発されたセットにも付いているようですよ。
     

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     2021/12/03

    「ヒトラーの第九」という呼び名は本当にやめてください。

     シュタイナーさんの意見に大賛成です。
     ナチスが政権を取って以来、ユダヤの人たちや、ナチスに批判された人たちを守る努力を続け、公然と異議を唱えた唯一の文化人だったのがフルトヴェングラー だった。にもかかわらず、戦後も一部の激しい攻撃を受け続け、不条理な10年間を生きなければならなかった。
     亡くなってやがて70年にもなるというのに、まだ誤解を招くような書き方をされたのでは、ご本人に代わって嘆きたくなる。
     勿論悪気で付けたネーミングではないとは理解している。CDケース内蔵のブックレットには、中川右介さんの要点を押さえた論説が掲載されていて、これを読めばフルトヴェングラー の事情に詳しくない方でも、ヒトラーとの関係を理解してもらえるだらう。
     だが、オビだけではなくケースの背表紙にまで「ヒトラーの第九/フルトヴェングラー 」と表記されていては、店頭で見ただけの人には誤解を与えるだろう。何より、このネーミングが一人歩きして欲しくない。

     ( ついでだが、今だに言われ続けている「ウラニアのエロイカ」もやめましょう。フルトヴェングラー にとってピッチの狂ったレコードは我慢ならなかった。本来の音程とテンポの演奏記録は、戦時下のエロイカ、あるいは、1944年のウィーンフィルによるベートーヴェンの交響曲第三番、で良いのではないでしょうか?)

     ブックレットの内容についてもう一つ書きます。
     この演奏についての宇野功芳さんの過去の批評が掲載されています。宇野さんらしい激賞、劇評でちょと笑ってしまいますが、一点同意出来ない事がある。
     この演奏と比較して、ほぼ一か月まえ、1942年3月の演奏を、「問題にならない」と切り捨てている。
     3月の演奏は当時のベルリンフィルの充実度、気合のこもった激しさなど、決して4月19日の演奏に引けを取らない。さらに静謐な気品さえ感じさせるものだ。録音の良さを含めると、戦時中の第九として、どなたかに薦めるとしたら、断然こちらになる。
     宇野さんが、あくの強い主観一本の批評を書くのは自由だし、私も愛読していたが、CDのブックレットを読んだ方が、それによって3月のかけがえのない演奏を無視されないよう、反論を書かせて頂きました。

     販売元に苦言を書いてしまいましたが、KING INTERNATIONALさんには感謝する事が多い。特にtahraの音源を復刻して下さっているのはありがたい。最近も、スウェーデン放送音源を発掘する貢献がありました。フルトヴェングラー ファンには、なくてはならないレコード会社です。
    ありがとうございます。

     さいごに、このCDの音楽的内容について。
     フルトヴェングラー の戦時中のライブ録音は、当時ドイツのメーカーによって大幅に改良された磁気テープによって、驚くほど良い音で残された。その中でこの録音は、なんで?と思うほど良くない。けれど真剣に聴き続ければ、そこそこのものが聴こえてくるから不思議だ。演奏に力があるからだろう。特に第四楽章に入ると、十分とまで思えてしまう。
    ただ、やや高音が強調された音なので、第四楽章出だしのティンパニーが会場をつん裂くように突き刺さってくる。それも、物凄いという印象を与えている要因だと思う。物凄いには違いないが、ものすごく爆発しちゃっているように聴こえるのだ。同年3月の演奏をtahra盤で聴くと(ベルリンフィルレーベルのSACDもあるが、この曲に関してはtahra盤の方が力強い音だ)やはり物凄いが、爆発はしていない、ティンパニーの音がする。
    このCDの一番の良さは特別なライブ感だ。
     開始前の会場音は、観客のマナーの悪さを想像させる。当然ながら、ナチス党員が大半だっただろうし、なかには傍若無人な者もいたかもしれない。フルトヴェングラー も、騒然とした音が止むのを待っているような気配をかんじるが、
    やがて指揮棒を静かに下ろし始める(多分)。
     音楽が始まれば、全てを忘れ音楽だけに没頭する。
     ベートーヴェンが第九に込めた思い、特に第四楽章で伝えたかった思想はヒトラーの考えとは対極にある。あなたたちは、このベートーヴェンをどう聴いているのか?という思いがよぎったとしても。
     終演後の拍手は整然としている。

    私は妄想してみる。
     ナチス党員の全てがヒトラーに傾倒していたわけではなかった。組織内からの暗殺計画は多数あり、1944年には失敗したとはいえ、実行にうつされている。
     1942年のあの日、フィルハーモニアの会場にいた誰かがその暗殺実行者の中にいなかっただろうか。
     ベートーヴェンは、そしておそらくフルトヴェングラー も
    、芸術の力が人間性を高めると愚直なまでに信じられる人間だった。
     1945年1月、フルトヴェングラー はついに亡命を覚悟し、スイスへとのがれる。ゲシュタポがいよいよフルトヴェングラー の逮捕を決定した情報を知らせてくれたのはナチスの高官だった。少なくともその瞬間、芸術の力がヒトラーを、政治を超えたのだ。
     このCDの最大の価値はやはり歴史的ドキュメントの記録だという事にある。

     できるだけよい状態で世に送り出そうとしてくれたメーカーさんにあらためて感謝です。
     それにしても、こういう音源が発掘され、さらに再発される。フルトヴェングラー ならではの事だろうか。ずっと聴き継がれてほしい。
     ナチス政権下でドイツに留まり演奏を続け、戦後には、巨匠とか、孤高の天才とか、帝王とか言われるようになった指揮者は他にも何人かはいる。
     しかし、公然とナチスと対立し、多くの命を守る努力を続け、稀有の名演奏を残した指揮者は、フルトヴェングラー ただひとりだった。


     

     

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     2021/12/01

    すばらしい企画です。
    私を含めて熱心なフルトヴェングラー ファンはかなりな割合で重複するのだと思いますが、買って損は無いと思います。
     いくつか良い点などをあげます。
     まず、WARNER傘下だけでは無く、UNIVERSAL傘下のレーベルが保有している録音が網羅されている事。これでフルトヴェングラー のセッションによる録音は全て揃うことになる。しかも、リリースすべきかどうかの判断を勝手に決めないで、存在するもの全てを出してしまうのが良い。
     例えば戦前のポリドールによる一連のSP録音の場合、ドイツグラモフォンが1990年代にまとめて3枚組のCDで出した際は、最初の録音であった、1926年の2曲が除外されていた。DG責任者自身の言によれば、録音状態に難があるからという事だったが、ファンとしてはそれを承知で聴きたいのだ。実際にその2曲に関しては今回のCDは市販SPからの板起こしのものよりずっとききやすくなっていた。ただWARNERが借りることができたのは、メタル原盤ではなくコピーされたマスターテープで、DGの、原盤から直接音取りされた曲と比べると、響きの輝きが減じている。比べれば、というレベルだが。
     この時期の録音の中ではもう一つ、シューベルトのロザムンデの曲が1929年と1930年の二度録音されていたという謎があったのだが、1930年のものはコピーであって、それにもマトリックス番号が誤って付けられたのだと解説にあった。
    こういう事をきちん調べているというのは、本気の良い仕事だと思う。

     1937年以降のHMVによるSP録音はなかなか手に入れるのが困難なものがあると思うが、一気に揃う。しかも別テーク(test recordingと表記)が数曲収録されている。嬉しい。

     1951年バイロイトの第九では大きな発見があった。
    開始前の拍手、多分フルトヴェングラー の足音、楽団員に話掛けたような小声が入っているのだけど、これは東芝が発売した日本向けのCDだけに存在するという、ある評論家の言葉を信じて、東芝の愚かな編集だと思っていたのだが、今回のWARNERのスタンスからするとEMIの保管するマスターテープに入っているという事である。
     この場合はふた通りの事が考えられる。一つは別物を持ってきて編集した。もう一つは実際の音源だが、この場合はこの録音が本番ではなくゲネプロのものだということ。なぜなら、本番にフルトヴェングラー がこんな事をするはずがないからだ。(親しい人の証言もあるそうだ。)特別なイベントのコンサートだったから、観客に向けての挨拶があったとも考えられるが、その場合は、もっとはっきりした声が収録されているだろう。
     つい最近発売されたスウェーデン放送からの第九のCDによって、EMI盤がゲネプロであることはほぼ確定だと思うが、だからといって、このEMI(WARNER)盤の演奏に価値がないというのではない。名演には違いない。(スウェーデン放送音源によるBIS盤のレビューも書いたので読んでみてください。)
    また、このCDには楽章間がそのまま残されている。一、ニ楽章間はI分近く、これはスウェーデン放送からのCDとほぼ同じ長さで、この日のゲネプロと本番が同じ真剣さで演奏された事の証にならないだろうか?ニ、三楽章間では独唱者の入場だと思われる足音が聞こえるが、入場すると、早々と三楽章を始めるようだ。気になるのは、三、四楽章間で、本番(スウェーデン放送盤)では間髪を入れずというほどではないにしても、一息入れてすぐ開始したが。ゲネプロ盤では、少し間があく。ニ楽章後に独唱者を入場させたのなら、一気に四楽章を始める設計だとおもえる。だがここで、三楽章を惜しむような、没入する時間が訪れたのだと想像したい。
     フルトヴェングラー の演奏で、荒れ狂っている、という表現を使う評論家がいるが、好意的に言っているとしても間違っていると思う。どんなに激しい演奏でも、荒れてもいないし狂ってもいない。むしろ、第九の第三楽章の集結部のようなところで瞑想的にこの世界を離れる一瞬があったのかもしれない。そんな事を妄想させてくれるインターバルだった。
     従来のEMI盤で楽章間をカット無し(多分)で聴いたのは初めてだった。
     ただ、終演後の拍手は編集に違いなく、これはいただけない(WARNERの責任ではない)。ちなみに、スウェーデン放送からのCDでの観客の拍手は最高の反応で素晴らしい。こうでなくちゃ!

     1951年以降のHMV DGによるテープ録音では音質が安定してくるが、WARNERのマスタリングが従来のものより格段に良くなったとは言えない。例えば、10年ほどまえのEMIによるSACDはとても聴きやすい音で手放す気はない。
     今回のWARNERのものはほとんど手を加えず、あるもの全てをそのまま取り出す、というかんじに聴こえるが、良い状態のアナログレコードの音が懐かしい方には、少しざんねん。
    通常CDの限界かな、と思う。でも音に関してはまだ改善の余地があるのではないか。SP録音はHMV録音も含めてメタル原盤から直接音取りする、SACD化するなど。三年後は、没後70年ですよね、期待します。

     ともあれ、素敵なセットです。割引を利用すれば、一枚あたり200円ですから、重複は気にしないで、迷っているひとは買いましょう。人類の宝を絶やさないためにご協力を。
    (私はWARNERの関係者でも、回し者でもありません。)

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     2021/11/30

    論争決着。
    2007年に日本フルトヴェングラー センターから、後にORFEOから発売されたバイロイトの第九は衝撃だった。それまで多くの人に愛されてきたEMI(HMV)の演奏と別バージョンだったからだ。
    戦後復活したバイロイト音楽祭のオープニングコンサートの第九は本番の前に、聴衆を入れて通しのリハーサルがおこなわれた。EMI盤とセンター盤のどちらが本番なのか?という謎が生まれた。当たり前に考えれば、演奏会をLive放送したバイエルン放送局が収録したテープをCD化したセンター盤が本番だと考えられる。
     ところが、従来のEMI盤を本番だとかたくなに主張する評論家の方々もいて、その理由は、聴いた印象からという曖昧なものがほとんどで、愛着からの主観に過ぎない。だが決定的な物証が無いので結論は闇の中のままだった。

     この、初めてリリースされたスウェーデン放送の録音テープからのCDが信頼にたるものであるなら、二種ある録音のどちらが本番のものかの、かなりの物証になる。
     はたして、予想通りセンター版と同じ演奏であった。しかもラジオ放送された時のアナウンスや、楽章間のインターバルもそのまま収録されているので、信頼性は高い。
     ただ、これもまた悪意のある編集だと言い出す者が現れるとも限らないが、BISというスマートなレーベルがそんな小賢しい細工をしてリスクを犯すとは思えない。

     これで、センター及び ORFEO盤が本番、EMI盤がリハーサルの収録と確定したとして良いと考えられる。
    しかし私は、EMI版が価値を失ったと考えているのではない。リハーサルといっても、聴衆が入った会場で全曲通しの演奏をするにあたって、フルトヴェングラー が気の抜けた演奏をするはずがない。
    ソプラノを担当したシュワルツコップの回想によると、この日は出演者の緊張は大変なものだったという。それは本番よりも先に演奏された通しリハーサルの方が強かったかもしれない。そして、実際に多くの人が認めるように、通しリハーサルの演奏は非常な名演なのだ。
     では本番の演奏はどうか。このBIS版とORFEO版をあらためて聴き返して、紛れもなく名演だと確信した。本番の方が丹精に聴こえる。これは勿論どちらがより良いというものではない。どちらかはもういらないという事でもない。
     
     フルトヴェングラー の第九は現在、13種(1951年のバイロイトを2種とする)聴くことができる。このうちの1937年ロンドン、1942年4月ベルリン、1954年バイロイトは録音状態が良くないので、その真価は伝わり難いが、(1954年のバイロイトに関しては、現地で実際に聴いた、吉田秀和さんが、『私が彼から受けた最も深刻な感銘はバイロイトできいたベートーヴェンの第九交響曲の演奏からきたものである。あれはすごかった。』と書き残している。この批評家は感性も文章も信じられるので、さぞかしすばらしい演奏だったのだろう。)フルトヴェングラー の指揮による第九は全て名演として良いと考える。
     これまでEMI盤の第九が特別扱いされてきたのは十分に理解できることではある。なにしろ、70年近く前、フルトヴェングラー による第九のレコードが初めて紹介されたのが、この演奏で、多くの人が夢中になったのだ。私だって聴いたのは70年代だったけど、当分の年月の間、これでなくてはならなかった。
     
     ところでこのBIS盤とORFEO盤を比べてみる。
     演奏は勿論同じ。
     録音状態はORFEO盤が良い。BIS盤はSACDのメリットもあまり感じさせない。多分テープの保存状態もORFEOの方が良いのだろう。第四楽章など、EMI盤と比べても目の覚めるような音になっている。
    しかし、BIS盤はラジオ放送のすべてが収録されていて、あの日の一大イベントの臨場感いっぱいというのが嬉しい。
    楽章間のインターバルもそのまま残っていて、第一楽章と第二楽章間が一分近くもあって、フルトヴェングラー の第九観がうかがえるかもしれない。
     純粋に曲と演奏に浸りたいひとはORFEO盤を、歴史の瞬間を疑似体験するならBIS盤がお勧めです。フルトヴェングラー が好きで仕方のない方は両方を。こういうレアで残したいCDは買って下さいとお願いします。レコード文化を絶滅させたくないのです。

    少し気になる事があるので蛇足をお許しください。

     国内仕様盤は平林直哉氏による日本語解説付きです。という予告があったので、危惧していることがある。
     平林さんはご自身の著書「フルトヴェングラー を追って」のなかで、おそらくORFEO盤がリハーサルだとしている。その理由としては、ORFEO盤の出だしが何となく演奏者の気持ちが乗っていないという印象で、EMI盤は最初から最高の燃焼度を示している、というもの。私の印象は全く違っているのだが、そもそもフルトヴェングラー の第九の演奏は、戦時中のものを例外として、だいたいが力を抜いた感じで始まってくる。勿論、楽団員の気が乗っていないというのとは違う。全体の構成を考えての演出である。
    私の印象はともかく、平林さんの判断はただの個人の印象からだけにすぎない。
    これに関連してもう一つ、1953年5月30日と31日の第九の演奏に言及しておられる。二つの盤に違いのある箇所を四つ五つ取り上げて解説しているのだが、この結果だと二つは別の演奏という事になるはずなのに、平林さんの判断は、誰かがなんらかの目的で加工した音源で、30日の盤はほぼ31日と同じものという事だった。飛躍しためちゃくちゃな論理だ。
     私が二つの演奏の第三楽章で、第一主題部、第二主題部、変奏部などに分けタイムを実測してみたことがある。一日違いとは思えないほどの違いがあった。聴いた印象も別物と判断した。
     BIS盤で平林さんはどんな解説をするのだろう。

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     2020/09/13

    「ベートーヴェンのゲルニカ」

     ミサ・ソレムニスには謎がある。
     ベートーヴェンのなかでも屈指の大曲であり、力作である。キリエ、グローリア、クレドの三章はミサ曲としても全く素晴らしい。教会権力とゴシック建築工学の粋を尽くしたどんな壮麗な教会の中で鳴っても、堂々と対峙し得る音楽である。
     だが、サンクトゥスの後半ベネディクトゥスはどうだろう。美しすぎる。
     モーツァルトやシューベルトのミサ曲にも美しい箇所はたくさんあるけれど、このベネディクトゥスの美しさは、なんというか質が違う。宗教的であるより、もっと親密な人間の歌であるように聞こえる。
     典礼文はいらない。バイオリン独奏が主役の音楽。これが協奏曲の緩徐楽章だったら、全体としてどんな素晴らしい曲だったろうと、夢のような空想をしてしまう。
     さらに私を困惑させていたのは、アニュスデイだ。この章は大きく二つに分けられる。前半のアニュスデイは真実の嘆きで、全世界の悲しみを一身に背負ったかのような、ベートーヴェンの慟哭だ。
     後半のドナノビスパーチェムに入って、軽やかに、少し希望を感じさせるような音楽がしばらく続く。(ここで終わってもよかった。終わってくれればよかった。)
    そして、曲全体を壊しかねない蛇足のような部分になる。突然、ティンパニーとトランペットが行進曲風に、場違いに入ってくる。続いて、女性の悲鳴!
     たった一声だが、阿鼻叫喚の悲鳴に聞こえる。そして、どうしても連想してしまうのが、ピカソのゲルニカ」だ。スペイン内戦で空爆された町ゲルニカを描いた絵の両端に、天を仰いで大きく口を開けた女性が描かれている。ひとりは死んだ赤児を抱いている。
     ベートーヴェンは、ドナノビスパーチェムが始まるところの楽譜に、「内と外の平和の祈り」と書き込んだ。
    この場合は、「外の」が特に重要だろう。ベートーヴェンのドナノビスパーチェムは、戦争の惨禍からの平和を希求する音楽だ。
     ここまでは多分、ベートーヴェンが書きたかったことを、私は聴き取っているだろう、と思う。もやもやしているのはここからだ。ベートーヴェンは、外の平和を神に祈って、内なる心の平和を得ることができたのだろうか。
     ミサ・ソレムニスをクレンペラーやベーム、バーンスタインで聴いてきた。いずれも名演だと思う。ただ、アニュスデイの謎、もやもや感はずっとあり続けた。何かごまかされているような終わりかたに聴こえる。ごまかすというのが言いすぎなら、謎なんか無い、こんなもんだろ、という結末の仕方に聴こえる。
     アーノンクールの指揮は、ありのままだ。
     ティンパニーの少し乾いた音がいっそう戦争を思わせるし、アルトの叫びから「ゲルニカ」を連想してしまったのは、この演奏からだった。そして、ベートーヴェンともあろう者がこんな終わり方をしたらダメじゃん、というままの終結。勝利の高揚感もなく、逆に静かな諦念の内なる平和におさまるのでもなく、諦めのように突然、思考が停止する。
     この中途半端で、ダメな終わり方にこそ、ベートーヴェンの誠実さと苦悩の深さを聴くべきなのかもしれない。
    「外の平和」は神に祈ってもだめなのだ。人間のもたらす災いは人間が解決する他はない。では、どうすればいいのか、それがわからない!
     その思いのまま、このミサ曲を終わらせるしかなかった。
     アーノンクールの演奏から、こんなふうに聴き、私のもやもやはとりあえず解消された。

     ここからは、アーノンクールに触発された私の推察である。間違っていてもアーノンクールに責任はない。
     ミサ・ソレムニスでは答えを見いだせず、中途半端な終わり方をしてしまったベートーヴェンだが、その誠実さと苦悩の深さによって、ついに「外の平和」に至る哲学を見いだすことができたのだった。それは、第九を書いている最中だった。
     思い出せ!少年のころからずっと持ち続けていた思いだ。シラーの詩に出会った時から、否、それ以前、嵐のような新しい思想にもまれていた時代に確かに獲得していたもの。
     自由、平等、友愛。
     
     ベートーヴェンは予定していた最終楽章の楽想を取りやめ、シラーの詩をもとにした合唱を導入する。
     「友よ、このような音ではない」これは、シラーではなく、ベートーヴェン自身の言葉である。このような音、という射程は、第九の第一楽章を超えて、ミサ・ソレムニスにまで届いている。
     
     ミサ・ソレムニスのウィーンでの初演は、1824年5月7日、あの有名な第九の初演日である。この時、全曲ではなく、キリエ、クレド、アニュスデイの三章が演奏された。
     作曲が始められたのは1819年の春ころ。弟子であり、友人であり、後援者でもあったルドルフ大公が大司教に就任する式典に合わせてのこと。時間はまだ一年近くあったが、間に合わなかった。
     式典のためという目的が消えたことで、ベートーヴェンは否応なしに自身の宗教観、あるいは時代や世界観をこの曲に投影してしまうことになったのではないか。
     ヨーロッパ全体を戦火に巻き込んだナポレオン戦争はとりあえず終わった。だが、ウィーン体制と呼ばれた極めて反動的な警察国家が誕生し、密告と検閲のなかで、多くの人が血の粛正にあっている。ベートーヴェンも自由主義、共和主義者として、スパイを送り込まれ、マークされていた。こんな社会が平和と言えるだろうか。こういう現実を見据えながら、完成までに、遅筆のベートーヴェンとしても異例の四年をかけた曲であったが、あるいはそれゆえに、当初思い描いていたのとは違う地点に、着地せざるを得なかった。
     出版に際して、ベートーヴェンはこの曲はオラトリオとしても上演可能だと出版者や知人に書き送っている。なるべく高く売りたい(金が必要だった)宣伝文句だったろうが、教会だけでなく、一般の演奏会でも演奏して欲しいという願いもあったはずだ。
     第九も前例の無い、オラトリオ的な交響曲である。
     この二曲は、続けて演奏されることを望んでいるのだろうか。
     ベートーヴェンは最後まで信仰を手放さなかった。最後に謎があるとは言え、ミサ・ソレムニスの、特にはじめからの三章がそのことを雄弁に語っている。同時に、青少年時代には新しい、現代にまで続く哲学の激しい波にさらされた。古い中世時代の価値観が人格の底にあり、その土台の上に近代的な思想を築いていった。
     ミサ・ソレムニスと第九はその二つの世界の表現の到達点だ。
     二つの世界観をつなぐものとして、ドナノビスパーチェムの、あの「蛇足」がある。もちろん、はじめから意図していたものではない。結果としてそうなってしまうことが、ベートーヴェンのように、その生き様と創作が一体である者だけに起きる必然である。
     この二曲を並べた演奏会は、演奏する方も、聴く方もたいへんだろう。しかし、想像してみることはできる。そこにはベートーヴェンの広大な世界が広がる。
     その内に二つの世界を抱えている人間がいることを想像してみることは意味のあることだと思う。
     ベートーヴェンの大いなる矛盾、それは同時に価値観の違う二つの世界の矛盾であり、現代の私たちの世界もまた、それを含む矛盾を克服してはいない。

     ベートーヴェンはその後、一連の最後の弦楽四重奏曲で融和と統一を果たしたのだろうか。私はそれを聴きとることができるだろうか。

     蛇足の追記。
     ベートーヴェンのオーケストラ曲の多くを、私はフルトヴェングラーの演奏で教えられた。ミサ・ソレムニスを戦後は一度も演奏していない。戦前は演奏していたが、録音は残されなかった。そのことが残念だったが、最近この曲に関するフルトヴェングラーの言葉を知った。
     「私は長い間、この曲に没頭し、熟知し、暗譜したけれど、この中に隠されているものを引き出すことができなかった。」ーエリザベート夫人への手紙
     フルトヴェングラーも謎を解きたかったのかもしれない。あまりにも偉大で、尊敬していたベートーヴェンだから、あの終わり方が理解できなかったのだろうか。ごまかすことはできない。だから、ありのままでよかったのではないだろうか。
     そんな演奏を聴きたかった。
     
     
     
     

     

     

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     2020/08/23

    ディアベリ・プロジェクト。ベートーヴェンのプロジェクト。

    ディアベリ変奏曲が作られたいきさつは、よく知られている。ベートーヴェン以外の作曲家によるディアベリ変奏曲は、これまでも録音はあったが、聴く事はなかった。
    このアルバムの2枚目には、8人の作品がおさめられている。モーツァルトの息子や、10歳前後だったリストの名もあり、興味を惹かれるが、通して聴いてみると、同じような印象を残す曲が多く、案外つまらない。
    中では、シューベルトがさすがだ、と思わせる。
    もし、ディアベリが出版した50人の変奏曲を全部並べても、ベートーヴェンが一人で作った33の変奏曲には、その多彩さに於いてもかなわないのではないか、と想像できる。
    しかし、ディアベリの意図を無視して、ベートーヴェンが破格の曲を作ったおかげで、(ベートーヴェンの曲は別枠で出版された)ディアベリの名が音楽史に残ったわけで、この人もほねをおった甲斐があったというものだ。

    ディアベリの目論みから200年、ピアニストのブッフビンダーが、現代の幾人かの作曲家に同じ主題で変奏曲を委嘱する。
    現代の作曲家は当然、ベートーヴェンの曲を知っているので、ディアベリに委嘱された作曲家たちとは心構えがちがう、はずだ。
    こちらはなかなか聴きごたえがある。同時に、この200年の間にたどった音楽の進化、変遷というものを端的に感じさせてくれる。ブラームスもワーグナーもこの中には無いが、それらを経てきた果ての音楽なのだと思える。
    多様性、構成の瓦解、哲学の混入あるいは排除。良い、悪いということではなく、そうならざるを得なかったのだ。そうなってしまったのだ。
    それはまた、ベートーヴェン自身が作曲活動の中で見通したいくつかの方向の先にあった可能性だった。

     ベートーヴェンのディアベリ変奏曲は、最後の三つのソナタとミサソレムニスの完成後、第九に取り掛かっていた頃に書かれている。ベートーヴェンの創作活動の中でも非常に重要な時期だ。「エロイカ」の時期に匹敵すると思う。
    その生涯を重ねてみると、(あくまで私見です)三つのソナタとミサソレムニスは、それまでの生き様を引きずりながら、答えを見いだせない魂の放浪者の音楽である。
    ベートーヴェンは第九の作曲の過程で、晩年の思想を探しあてたのではないか。
    そういう時期に書かれた。

    この曲は、ベートーヴェンの中では、私にはとっつき難いものだった。ベートーヴェンの曲にはストーリーがある。もちろんそれは、言葉で、事象を語れるというものではなく、感情が時間の流れに乗って波打ち続けるという類のものだ。
    この曲にはそれを感じなかったが、今は違う。

    まず、変奏の数、33を考えてみる。
    音律、音階はピタゴラスまで遡れるように、音楽と数学は関係が深い。
    バッハをはじめ、作曲家が数字に無関心ではありえない。特に意識的に作曲したベートーヴェンが、30も超える変奏を作り、その総数に無頓着だったと考えられるだろうか。
    この33の意味についての解説を読んだことは(私は)無いので、私の推量である事をお断りしておきます。
    一つの仮説は、フリーメイソンにおける最高位の数が33であり、それにならったというもの。
    フリーメイソンというと現在では秘密結社というオドロオドロしたイメージがあるけれど、当時は新しい哲学を信奉する知識人たちの開かれたクラブのようなものだったのではないかと思う。ベートーヴェンに影響を及ぼしたひとたちのなかにも、この人もこの人もと、たくさん名を連ねている。
    ゲーテ、モーツァルト、ネーフェ。時の神聖ローマ皇帝ヨーゼフ二世はフリーメイソンを容認している。
    その自由、平等、友愛の理念は当然ベートーヴェンの理想とするところでもある。

    ベートーヴェンは非常な読書家でもあり、インドなど東洋の哲学にも通じていた。仏教に於いても、33は聖数である。西国三十三箇所とか、三十三間堂とか、日本でもお馴染みです。ベートーヴェンは33の数字に世界共通の特別な意味を見たかもしれない。

    もう一つの仮説。
    ベートーヴェンはそれまでに、作品番号付きのピアノソナタを32曲書いていた。この曲は、それらの総決算であるという意識を込めたのではないか。
    ベートーヴェンは、もっと20年近く前に、32の変奏曲をつくっている。これは、自作のテーマで、それも数に入れると33になる。この時までには、ソナタの数は20台なので、この仮説は当たらないのだが、次に書くつもりの別のストーリーから見えてくる視点に立つと、これも捨てがたい。

    次にこの曲の中身について、ひとつ。
    変奏の最後の三曲、31.32.33に注目してみる。この三つは、ピアノソナタno.31の第三楽章とno.32の第二楽章のダイジェストなコピーであるという仮説。
    これは私の発見ではなく、青木やよひさんの著作によっています。また、ロマン・ロランも気づいていたし、このCDの解説にも、「(変奏曲の)コーダが最後のソナタのアリエッタに似ている」という指摘がある。(私の英語力の限りでは、です。間違いがあれば、どなたか訂正してください。)
    ただ、その事の意味にまで言及しているのは、私の知る範囲では青木さんだけです。

    さて、変奏31はソナタno.31の第三楽章の「嘆きの歌」の変奏と言っていい。
    変奏32はフーガ。「嘆きの歌」と、それに続くフーガという構成は、ソナタno.31第三楽章そのもの。
    変奏33はメヌエットのテンポで、曲想も軽快になっているが、音の形はソナタno.32のアリエッタとほぼ同じだ。
    もちろん、ディアベリの主題の中に、この音程の形が含まれているということなのだが、このことに気づいて聴き直すと、もう、そうとしか思えなくなる。偶然なわけがないと思う。
    これは何を意味しているのか。
    ベートーヴェンの意図は何だったのか。

    ディアベリ変奏曲が献呈されたのは、アントーニア・ブレンターノ、「不滅の恋人」である。
    ソナタno.31とno.32はもともとアントーニアに献呈される予定の形跡があり、アントーニアの娘マクシミリアーネに献呈されたno.30とともに、ロマン・ロランはブレンターノのソナタとよんでいたそうだ。
    結局、no.31は献呈者なしになった。これは、余りに強烈な情感に満ちていることが、隠している献呈者との仲を憶測されることへの恐れからだろう。
    no.32は定型のように、ルドルフ大公に献呈された。
    この理由としては、約束していたミサ曲の完成が遅れに遅れていたことへの、とりあえずのつなぎだったのかもしれない。しかし、青木本によれば、ロンドンでの出版では、アントーニアへの献呈になっているそうだ。

    つまり、ソナタno.30以降はベートーヴェンの密かなLove Letterでもあって、ディアベリ変奏曲は、少しづつ形を変えていった愛情の最後のメッセージだったのだと思う。
    そして、ディアベリ変奏曲では、晴れてアントーニアへの献呈になった。
    ここにはもう生生しい愛の情感は、昇華され、普遍化されている。それに、この時期、ベートーヴェンはブレンターノ夫妻に多大な経済的支援を受けていて、献呈する表向きの(実は隠みのの)理由ができた。仲を疑われずに済む。なにしろ、ブレンターノ家もベートーヴェンも超有名人だった。

    この曲が、ベートーヴェンの作曲技法の限りを尽くした、あらゆる変奏曲の頂点にある作品だという一般的な評価に異存はない。だから、聴く者としては、何も詮索せずに、ただそのすばらしい音の構造物を楽しめばいい。しかし、そんな曲の中にさえ、ベートーヴェンがただ一人だけにわかってもらいたい気持ちを込めたことによって、部外者である私たちにさえ切々と伝わってくる情感が、深みや幅を作品に付加しているのだと思う。

     ブッフビンダーの演奏は、テーマが少し急ぎ過ぎではないかというくらいのテンポで始まるが、全体としては堅実で安定している。終曲だけは目立ってゆっくり弾かれる。ソナタno.32のアリエッタとの近似性をいっそう感じさせてくれて嬉しい。

     蛇足ですが、私自身のメモリアルのために。
    生涯にただ一度ウィーンを訪れた際、ムジークフェライン・ザールでベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番を聴いた。隣の席の、大切だったひとが、第二楽章で涙を流していた。
    そのときピアノを弾いていたのが、ブッフビンダーだった。

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     2020/08/16

    リヒテルの怒り、ベートーヴェンの怒り。

    戦後すぐの1947年から1963年までの、ライブを主としたベートーヴェンの演奏。CD 12枚。
    その中で、一つの演奏だけ取り上げる。
    1960年5月レニングラードで演奏された、ソナタno.23 「熱情」。
    1960年はリヒテルが西側での演奏を初めて許可された年で、アメリカでの演奏旅行中にニューヨークでセッション録音された同曲もボーナスとして収録されているが、あえてライブの方を。

    聴き終えて、すごい! けど、なんなんだこれは。
    リヒテルの強い打鍵のせいだ。
    あの「熱情」だから、どんなピアニストも強く打つ。だが、リヒテルのは、強い、激しいというだけではなく、何か他のものが、加わっている。それが、ただ事ではなくこちらに突き刺さってくる。
    何度か聴き直し、恐る恐るそれに言葉を与えてみる。
    怒り、か。

    リヒテルはスターリン時代のソ連を生きた。生き抜くためにただ黙々と音楽に打ち込んでいた。そんなふうに思える。だが、その来歴の中に、ドイツ人であった父親の逮捕、死刑、母親の亡命がある。それに対する憤りはあったはずだし、次は自分が粛清されるかもしれないという恐怖もあっただろう。
    そういう感情を深く隠し、音楽だけを一心に見詰める。
    でも、沈殿していた感情の澱が、ある曲の演奏で噴出する。意識的であれ、無意識的であれ、そんなこともあるのではないか。
    怒りは、そのままでは負の感情である。
    しかし、熟考され、相手を見据え、理性で統制されれば正しい怒りになる。創造のタネにもなるし、時代や社会を変革する最初の刄になり得るものだ。

    それから、この曲もなんなのか。こんな演奏を受け入れてなおかつ、作品として成立しているのか。
    「熱情」である。誰もが知っている。私は、本当には知らなかったのかもしれない。

    ベートーヴェン ピアノソナタへ短調op.57
    「熱情」というのは作者の死後、ある出版社が勝手に付けたニックネームであるが、すっかり一般化している。この曲の本質にふさわしいとして、では、何に対する熱情なのか。
    作曲されたのは、1804年から1805年にかけて。出版は1807年で、少なくとも1806年までは推敲を重ねていたらしい。
    この頃、ベートーヴェンが熱情をかけていたのは何か。
    何と言っても、創作活動だろう。なにしろ「傑作の森」の真っ只中にあったのだから。
    創作への熱情が「熱情」を生んだ。そういうこともあるかもしれない。しかしそれは、好きなのは好きだから、と言っているようなもので、この時期の作品は全て「熱情」になってしまう。
    何かもっと具体的なものはないだろうか。

    ベートーヴェンが、特にピアノ曲を書くときは、女性への想いが契機になっていることが、まま、ある。
    それは献呈者をみればいい。
    ベートーヴェンの献呈者にはだいたい二種ある。
    一つはルドルフ大公をはじめとするベートーヴェンの支援者。感謝を表す、ちょっと公的儀礼的なもの。
    もう一つは、親しい友人に贈る友愛の気持ち。女性であっても、かならずしも恋愛感情ではないが、典型的には、ソナタno.14「月光」を献呈した、ジュリエッタ・グイチャルディは結婚も望んでいた女性だった。
    恋愛ほど熱情にふさわしいものはない。

    では1804〜05年当時、ベートーヴェンが思いを寄せていた相手はというと、ヨゼフィーネ・ダイムである。
    献呈者は、フランツ・フォン・ブルンスヴィク伯爵だ。
    恋愛感情ではなかったのか。だが実は、フランツはヨゼフィーネの実兄である。
    ヨゼフィーネとベートーヴェンとの関係は親しい人にも秘密だったらしい。
    ベートーヴェンらしい(他の例もある)カムフラージュで、本当は妹へ献呈したかったのだとしたら、「熱情」はヨゼフィーネへの恋ということになる。
    しかし、私がリヒテルの演奏に刺されたものは、怒りだった。恋愛と怒りを同席させることができるだろうか。
    「月光」の人、ジュリエッタはヨゼフィーネの従姉妹である。更にヨゼフィーネにはテレーゼという姉がいる。のちに幼児教育の先駆者として、現在もなお尊敬されている女性で、ベートーヴェンはピアノソナタno.24を献呈している。ベートーヴェン自身を、またその作品を深く理解してくれていることへの感謝の気持だろう。
    そして、「熱情」の表向きの献呈者であるフランツも交えた、ブルンスヴィク家の若い人たちとの交友は、1799年に始まり、30歳前後のベートーヴェンにとって、青春の最後の光の時間だった。
    ベートーヴェンにこんな輝きの時があったということが、とても嬉しい。
    1804年、夫と死別し幼い子どもたちを抱えたヨゼフィーネとベートーヴェンは深く愛し合うようになる。どうもベートーヴェンは苦境にある(美しい)女性を放っておけないらしい。のちにも、同じようなことを繰り返している。
    それはともかく、当時も、その後長い期間も、ふたりの関係は知られていなかったが、140年後に突然ベートーヴェンの手紙とヨゼフィーネの手紙の覚え書きが発見されて、明るみにでた。
    (私は、ベートーヴェンの女性関係については、青木やよひさんの著作に寄っている。一部保留している件もあるが、信頼にたる研究だと思っている。)

    結局この恋は1807年ころに(いったん)終わりを迎える。
    私は、たがいに愛し合いながらの別れだったように思う。
    貴族の子女として教育を受けたヨゼフィーネの古い時代の価値観、宗教観、道徳観が別れの原因の一端だったのだと思うが、そのことはベートーヴェンが死ぬまで闘っていたものだった。
    ヨゼフィーネを深く愛しながらも、ベートーヴェンは怒りとやるせなさを感じていたのではなかったか。怒りは、時代や社会に向けられるべきものだが、美しいヨゼフィーネに体現していたものでもあった。

    ソナタ へ短調op.57に、「熱情」という名がふさわしいのなら、その熱情には、ベートーヴェンの正しい怒りが内在していると思う。またそれは、リヒテルの怒りとも質に於いて同等だ。

    これらのことは、人物たちの事実関係以外は、私の想像に過ぎない。だがこの曲が、ヨゼフィーネとの愛のなかから生まれた作品であることを、切に願う。
    ベートーヴェンの生涯に関わる多彩ですばらしい女性たちのなかでも、とびっきり魅力的で、しかし最も薄幸だったかに思えるヨゼフィーネのためにも。

    もう一つ、この曲にまつわる、別のエピソードから、作品と演奏について思いを巡らせたい。

    1807年、ベートーヴェンは雨に打たれ、持ち歩いていたこのソナタの自筆譜を濡らしてしまう。
    そのままピアニストのマリー・ビゴーに楽譜をみせた。
    マリーは、濡れた手稿にもかかわらず、弾き切った。
    後日、出版した後で、その自筆譜をベートーヴェンから譲り受ける。
    マリーはその後パリに移住する。
    雨に濡れて染みの残る自筆譜は、パリ音楽院に所蔵されている。
    この話のなかで、私が一番興味深いのは、マリーが初見で弾き終えたあと、ベートーヴェンが言ったこと。
    「私がこの曲に与えようとした性格そのままではないが、それでけっこうです。すべてが私のやったことではないにしても、何かより良くなっています。」

    名曲といわれる作品のたぶん全ては、作者が意図した以上のものを含んでいる。優れた演奏者はそれを引き出してみせる。
    ベートーヴェンの音楽は骨董品ではない。
    いつも演奏されることを望んでいる。
    そして、聴かれることを待っている。
    仮に、私がベートーヴェンの意図しなかったことを聴いてしまったとしても、それがひとの美しさをたたえることであるならば、それでけっこうです、と言ってくれるベートーヴェンがいるような気がする。

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     2020/08/10

    美しい曲、美しい演奏である。
    シューベルトはすでに5曲のミサ曲を作曲していて、これは最後の、あの奇跡的な年の、傑作群の中の一曲である。

    シューベルトのミサ曲は、しばしば指摘されるように、歌詞(通常文)に省略箇所がある。大抵は、意味が変わったりはしないささいなものだけど、ひとつだけ捨て置けない箇所がある。
    クレドの中の、「そして 唯一の 聖なる 普遍の そして 使徒継承の 教会を (信ずる)」という一文がそっくり抜けている。
    信仰告白であるクレドは、神を信じます、という言葉で埋め尽くされているが、その中に、教会の権威を信ずるという一文を擦り込みのように忍ばせてある。シューベルトのミサ曲にはその部分が消えている。
    これが意図的であれば、シューベルトの宗教観に関わるのだが、事はそう簡単ではなさそうである。
    ジョン・ワラックというひとは、「ローマ教会の権威がオーストラリアの教会に及ぶのを厳しく制限した皇帝ヨーゼフU(治世1765-90)の統治時代に作られたテキストを使ったためだたろう」と書いている。(J.E.ガーディナー指揮 シューベルト ミサ曲5番のCD解説文より)
    アルフレート・アインシュタインは大著「シューベルト」の中で、シューベルトが教会や僧侶に対して否定的な言葉を残している事を紹介した上で、それでもなお、意図的にクレドの一文を省略したという事の判断を控えている。
    ハイドンが1790年代に作曲した「戦時のミサ曲」を聴くと、やはりその一文は抜けているようだ。ただし、私のラテン語を聞きとる能力はなきに等しいので断定はできません。
    ベートーヴェンは二つのミサ曲とも正規の通常文で作曲している。
    この当時のウィーンでは、ミサ曲に対してそれほど厳格ではなかったという事なのだろう。
    ただ、シューベルトが、正規の通常文を知らなかったとは考えにくい。知っていて、それでもなお、ヨーゼフU時代のテキストを使い続けたという事は考察されるべき事だと思う。
    作曲家の宗教観、人生観を知ることは、ミサ曲など宗教曲を聴く時には、無神論者の私には重要なことなのだ。
    「神々しい山と湖を眺めることができたら、ー中略ー、新しい生のために大地の不可解な力に再び身をまかせるのを大きな幸福と思うようになるでしょう。」(シューベルトの手紙)
    これは、ベートーヴェンの手紙だと言われても信じてしまいそうなほど、大自然への畏敬の念が表明されている。シューベルトの神もまた教会ではなく、大自然の中にいる。
    シューベルトの生きた時代のヨーロッパはフランス革命後のナポレオン戦争、それに続く、悪名たかい反動政治など大混乱にあった。そんななかで、従来の価値観にとどまるのではなく、自らの思想、宗教観を作り上げていったひとたちの一人として、シューベルトの姿が立ち上がってくる。

    ミサ曲全体をふかんしてみると、作曲者の宗教観は、終曲アニュス・デイにいちばん分かりやすくあらわれるように思う。

      「神の子羊、
       世の罪を除かれた主よ、
       私たちをあわれんでください。

       私たちに平和を与えてください。」

    たったこれだけである。が、単純だからこそ、自由な解釈ができる。ここにどんな音楽をつけるのか、というところが作曲者の個性と力量。
    「あわれんでください」の部分はほぼ悲痛な音楽になるが、後半の「ドナ ノビス パーチェム」は様々だ。
    バッハは、上昇する旋律に乗って天に舞い上がる壮大なスペクタルエンド。
    モーツァルトは、依頼主のお好みに合わせて、どんな風にでもやりまーす。
    ベートーヴェンのミサ・ソレムニスは、正直言って、はちゃめちゃ。

    シューベルトの最後の年のこの部分の音楽には、静かな凄みがある。
    どこかモーツァルトのレクイエムを思わせる響きとリズムで始まる慟哭の調べ。
    ここから先は、「死者のためのミサ曲」です、と暗示しているかのようだ。
    一瞬の安らぎがやってきて、美しいけれど、束の間、さらに慟哭が続く。
    後半は、静かに、すでに平和を得ているかのように穏やかに流れていく。
    けれど、終盤にさしかかり突然、慟哭が戻ってくる。
    あの安らぎは見かけだけだったのか。
    いや、穏やかな諦念のなかにも、悲しみはある。
    これはやはりレクイエムなのだ。

    レクイエムでも終曲はアニュス・デイだ。
    が、パーチェム(平和)が、レクイエム(平安)に置き換えられる。
    シューベルトはほんとうは、レクイエムとしたかったのではないだろうか。
    曲はやがてバッハとは正反対に、内なる自分へと下降し続けていく。

    私はこういうことの全てをジュリーニの指揮するこのCDを聴きながら思った。
    ジュリーニの長い演奏生活の、その引退を間近に控えたころの録音である。

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     2020/08/04

    まことに魅力的な人物であるトーマス・ビーチャムのビゼー。
    大変な資産家で、大戦前にはロンドンp.oを、戦後はロイヤルp.oを設立するなどの経歴や、晩年のかっぷくのよい写真を見ると、いかにもおおらかな(大雑把な?)演奏ではないかなどと以前は想像していた。けれどまったくの間違いだった。
    先に、ディーリアスを聴いていたが、繊細極まるもので、平坦でつかみどころのないディーリアス(あくまで私のイメージです)をちょっと他に類がないくらい優しく美しく、楽しむことができた。
    「アルルの女」のCDがある事を知って、ぜひ聴いてみたいと思った。
    一曲目、二曲目、端正で、これもわるくないぞと思いながら、三曲目で目が覚めた。いや、自分がこんなに静かな気持ちになっている事に気づく。
    こんな曲だったろうか。初めて聴くような気がする。あの美しい旋律を、旋律のかたちが溶け出してしまうぎりぎりまでテンポを落とし、静謐に優しく優しく流れていく。
    4分弱で終わってしまうのが惜しい。いつまでも聴いていたい。
    そういうところは、カリオンの中間部にもある。
    こういう感覚は、たとえば
    フルトヴェングラーの演奏で第九の三楽章を聴いているときに似ている。
    ビーチャムとフルトヴェングラーはかなり違うタイプの指揮者だと思うが、フレーズの最初の音と最後の音にこめる気持ちの配慮が共通して素晴らしい。優れた演奏家の必要条件だと思う。
    それに、オーケストラに愛されていなければこんな音は出てこないのではないだろうか。
    「アルルの女は」クリュイタンスがいい。もし誰かにすすめるのならクリュイタンスを推薦する。でも、あなたがすでに「アルルの女」を聴き込んでいて、クリュイタンスを聴いたことがあるのなら、是非この演奏を聴いてみてください。別世界に誘われます。
    「アルルの女」組曲全体としては、南フランスのキラキラした光よりは、イングランド北部かスコットランド(私は行ったことはないけど)の少しひんやりした風をかんじる。こういうのもわるくないです。

    このCDにはビゼーの交響曲も入っている。
    ビゼー10代の作品で天才の証のような曲で、シューベルトのやはり10代の交響曲を思わせる。ビゼーの個性がはっきり刻印されているのは、第ニ楽章で、このまま「カルメン」に持っていってもいいくらいだ。私の勝手な解釈だが、ビゼーの女性に憧れる気持ちがあらわれている。それをビーチャムは、これもまた実に優しく歌いながす。ビーチャムというひとは、きっと女性に限りなくやさしいおじさん〜おじいさんだったでしょう。
    「アルルの女」は自分のオーケストラ、ロイヤルp.o。交響曲は、フランスのオーケストラに客演している。どこのオーケストラを指揮しても、自分の音をひきだせる真に熟練した達人だと思う。
    大戦前には、フルトヴェングラー時代のベルリンp.o
    も指揮している。どんな響きが鳴っていたのか、聴きたい!

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     2020/08/02

    ベートーヴェンの31番の三枚のCD。
    イリーナ・メジューエワの演奏したベートーヴェンのソナタ31番のCDが手元に三枚ある。

    @1998年 DENONによるセッション
    A2009年 ベートーヴェンのソナタ全曲プロジェクトの一枚 
    B2017年 京都ライブ 

    @とAのあいだに2004年 若林工房のセッション録音があるのだが私は聴いていない。他にもあるかもしれない。

    @はDENONからリリースされた、メジューエワの4枚目のCD。収録曲はバッハ パルティータ2番、ベートーヴェン 31番、シューマン 幻想曲。
    ドイツ音楽のど真ん中を貫く選曲である。
    この時、メジューエワは22歳。若すぎる?
    いや、実はメジューエワは17or 18歳の時にオランダのレーベルで似たような選曲でCDを作っている。
    「IRHNA IN A」とタイトルされた中身は、シューベルト ソナタ14番、バッハ イギリス組曲2番、ブラームス パガニーニ変奏曲。全てイ短調で、これも重量級である。
    メジューエワは始めからピアノの王道を見据えていたのだ。
    このオランダの一枚とは偶然の出会いだった。
    新宿高島屋のHMV(今もあるのかなあ?)でジャケ買した。と言っても、その後DENONから出たCDの、いかにも美少女風の写真を使ったもの(私は好きですが)ではなく、何処にでもいそうな、日本人にもみえてしまう、ちょっと野暮ったいほどの素朴な、そして少しぽっちゃりした(ホントです)少女が、ピアノにむかつている、そのうつむき加減の悲しみをたたえたような瞳に魅了されてしまったのでした。
    ちなみに、このCDの輸入販売元による日本語表記は、イリーナ・メゾォエヴァでした。

    @の演奏をひとことで言ってしまうと、真面目な大胆不敵です。
    この曲は、その書かれた背景をどうしても思ってしまうのだが、そんなことはどうでもよくなって、おおらかに聴いてしまう、私にとってはそんな演奏です。
    2004年録音の若林工房の収録曲は、31番の他はシューマンの幻想曲で、@と同じ。
    という事は、@の演奏が、のちに気に入らなくなったのだろうか。

    Aは2007年から2009年まで二枚づつでリリースされていた最後のアルバムのそのまた最後に収録されていた。
    この辺にメジューエワのこだわりがありそう。よほど、お好きなのでは?

    この曲はとても難しい曲だと思う。
    「嘆きの歌」とフーガが交互に二回づつ歌われる。
    嘆きの歌を第三楽章、第四楽章をフーガで締めくくれば、落ち着きがいいはず。
    全然別の楽想をごちゃ混ぜにしてしまったベートーヴェンの真意を思わないといけない。
    単に、新しい構成のチャレンジとか、演奏効果とかで済ませるような話ではない。と思う。

    30番のソナタはマクシミリアーネ・ブレンターノに献呈された。「これはありふれた献呈ではありません」と、わざわざ手紙を添えている。このソナタが、あなたに深く関わっているという事を知らせているのだ。
    ベートーヴェンが、親しみを込めてマクセと呼んだこの女性は、「不滅の恋人」とほぼ認定されている、アントーニア・ブレンターノの娘である。(このあたりの事情は青木やよいさんの素晴らしい研究によっています。)
    30番と関係が深く、さらに心情的な31番は当然、アントーニアに献呈されるべき作品であると思われるのだが、いわば、不倫の関係だったのではばかれたのだろう。
    さりとて、他の人に献呈するのは、愛がゆるさない。
    で、献呈者なしの作品になった。
    もちろん、アントーニアには充分わかっていたはず。

    そうであるとして、第三楽章を見てみると、現実の嘆きを芸術によって乗り越えようとする決意が聞こえてくる。それは、繰り返し繰り返し決意しなければならないことだった。
    ちょうど、「ハイリゲンシュタットの遺書」と同じことが、ここに再現されている。
    遺書のあと、ベートーヴェンは交響曲3番を生み出し、人類史上最高と言っていいような創作活動に入っていく。
    最後の三つのソナタのあと、何が生まれてくるのか、私たちは知っている。これはそういう音楽なのだ。

    さて、リヒテル、ギレレス、ヴェデルニコフ、内田光子など優れた演奏を聴いてきた。メジューエワの演奏をこの中に入れてもいいと思う。
    けれど、リヒテルでさえ、その先にまだ表現されていない何かがあると思わざるを得ない、何かこころ残りがある。

    Bはメジューエワの日本コンサートデビュー20周年記念とうたっているコンサートのライブ録音。
    私は、メジューエワの日本コンサートデビューを聴きに行きました。
    上野の文化会館小ホールだったと思う。
    初めてステージに出てきたメジューエワを見て、正直に言うけど、天使ではないか、と思った。
    たたき出された音を聴いて、二度目の驚き!
    強い、激しい。
    こんな音は、天使には似合わない。
    それから20年ですか。
    想像ですが、メジューエワの音楽生活にとってなんと素晴らしい年月だったろう。
    この人は本当に真摯に音楽と向き合っている。演奏を聴いて感じます。

    そのことはともかく、このCDは、最後のソナタ三曲がそろって入っている。
    コンサートで、そう演奏されたという事が嬉しい。
    というのは、Aの全集では、32番が仲間外れで、一緒の盤になかったことが、ちょっとかなしかったのだ。
    こういう事って、結構私にはたいせつ。
    たかが一枚のCDであっても、そこにちゃんとした統一感が欲しい。
    ちなみにAの盤には、30、31番の他に28番が入っている。28番も美しい曲で、ドロテア・エルトマンという女性に献呈されている。ここにもこころあたたまるエピソードがあるけれど、それはまたアントーニアとは別の物語だ。

    @ABと聴いてきて、メジューエワのこの曲に向き合う姿勢、演奏の基本に変化は無いと思う。比較的ゆったりとしたテンポでたっぷり歌い、響きは重く深い。
    先にあげた、ロシア系のピアニストの流れのなかにある。
    ひと昔前権威的に評価されていた、バックハウス、シュナーベル、あるいはグルダもこの曲に関してはテンポを急ぎ過ぎるように私にはおもえる。特に二回目のフーガのテンポ設定が難しく、ここを速くし過ぎると軽薄な音楽になってしまう。ゆっくり過ぎると曲が終われない。
    気になる演奏が、グレン・グールドのもの。メジューエワが最初に録音した@の時の彼女の年齢とほぼ同じ頃、23歳の演奏。フーガの部分がベートーヴェンの芸術への決意表明ではないかと思いついた、そのきっかけの演奏だ。
    グールドのこの部分は、やはりバッハ的なのだ。
    ベートーヴェンは子供の頃、師ネーフェ(素晴らしい人生の師でもある)にバッハの平均率を徹底的に習っている。
    晩年、もう一度バッハを研究した成果のひとつがこの第三楽章で、ベートーヴェンの「前奏曲とフーガ」であるとも言える。
    とは言え、グールドではベートーヴェンの人生が見えてこない。
    メジューエワの演奏のおよそ10年ごとの3つの演奏は基本的な変化はない。
    しかし、少しづつ何かが違う。セッションとライブの違い。演奏会場の違いもあるだろうが、それより大切な何か。今それを言葉で説明する余裕も能力も私にはないが、そのわずかな違いこそが人生を生きている証かもしれない。そういう演奏家であると、メジューエワを信じることができる。
    あと10年先の、この曲の演奏を聴いてみたい。
    私は生きているだろうか?

    追記。イリーナさんに謝りたいことがあります。
    バティアシヴェリの「CITY LIGHTS」のレビューの中で、イリーナさんの出身をウクライナと書いてしまいました。イリーナさんのファンであることを自認している者として、考えられないミスです。本当にすみません。
    この文章がイリーナさんに届く可能性はほぼないのでしょうが、もう一つ過去の後悔を書き留めます。
    1997年か、98年のことです。イリーナさんの師であるトロップさんが渋谷のHMV(今もあるのでしょか?)でミニコンサート、サイン会を持った時のこと、イリーナさんもトロップさんに付き添うようにいらっしゃいました。
    私もその場にいました。
    サイン会が始まった時、イリーナさんもテーブルの前に座っておられたので、私は急いでトロップさんのチャイコフスキーの四季のCDを買って、イリーナさんの前に立ちました。イリーナさんは、それは私のものじゃないというふうにけげんな顔をされましたが、サインはしてくださいました。実はイリーナさんの発売されているCDはすでに全て持ってしまっていたのです。
    重なってもいいから、イリーナさんのCDをあの時買うべきでした。不快な思いをされたとしたら、ごめんなさい。

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     2020/07/30

     こういうアルバムをつくれる人は人間として豊かなのだと思う。
     1、2曲の名曲を録音したもの、あるいはいくつかの耳触りの良い小品を並べただけのものとは違い、明確なコンセプトのもとに、困難な作業に演奏者自身が主体的に関わっていかなければならない。
     結果として、バティアシュヴィリの心情告白を聞くような極めてパーソナルな、しかも普遍的な美しさにあふれたアルバムになっている。

     チャップリンに始まって、ミシェル・ルグラン、エンニオ・モリコーネ、シュトラウス1などの名前を見ると、お気軽なアンソロジーなのかな、と思ってしまいそうだが、決してそんなことはない。
     バッハと同じように最大限の敬意の感じられる編曲、演奏である。

     一番の特徴は、チャップリンを前奏曲として、11の都市に一曲づつ当てられていること。
     聴いている私は次々と旅をする。
     しかし、単なる旅ではないという予感が、最後のトビリシに至って、確信となる。
     人生を旅とたとえることが正当なら、この旅は、彼女の人生なのだ。
     トビリシが首都であるジョージア(グルジア)はバティアシュヴィリの故郷である。ここでかなでられる曲は同じくジョージア出身のカンチェリの音楽。
     このアルバムのもうひとりの主役であり協力者のNikoloz Rachveliがカンチェリのテーマを使ってメドレーに編曲したものという。
     これが素晴らしい。
     どこまでがカンチェリでどこからがRabhveliなのか、私には聴きとることはできないけれど、こころをわしづかみにされて、トビリシに連れさられてしまう。

     トビリシの曲を聴いたあとで他の都市を思い返してみる。
     たとえばニューヨークは新世界交響曲のラルゴ。ドヴォルザークの郷愁を通して見ていた街だった。他のどの街にも幾分悲しみを帯びたノスタルジーが感じられてしまうようになる。

     タイトルの「CITY LIGHTS」はチャップリンの1931年の映画「街の灯」からとられている。
    浮浪者と盲目の女性の物語。
    街の灯とは、ひとのこころをともすあかりの事でもある。その街の魅力はその街に暮らすひとが素敵だから、その街が好きなのは、好きな人がその街に住んでいるから。
     選ばれた11の街に、バティアシュヴィリのきもちはいつも在り続けているのだろう。

     私はこのアルバムを眠れない夜などにききたくなる。
     グルジアという国の伝えられているつらい歴史、バティアシュヴィリの華やかな経歴が私と交差することはないけれど、彼女の中の、ひとがみな共通に持っている普遍的な喜びや悲しみを、寝静まった夜の暗さのなかで聴いている。
      

     余談になるが、同じジョージア出身に、カティア・ブニアティシヴィリがいる。近くのモルドバには、コパチンスカヤ。ウクライナ出身には作曲家のシルヴェストロフ、日本在住のピアニスト、イリーナ・メジューエワ。地理的には少し離れるが、エストニアの作曲家、ペルト、ラトヴィアのクレーメルなど、良い意味で特異な感性を感じさせる音楽家たちを列挙したが、このひとたちの出身国に共通するのは、旧ソ連を構成していた国だということ。
     ここに何かがあるように思うのは、わたしだけ?

     さらに余談。クレーメルには「LE CINEMA」というアルバムがあり、ジャケットにはチャップリンの「モダンタイムス」のラストシーンの写真がつかわれ、一曲目はそのテーマ曲。
     バティアシュヴィリと聴きくらべるのもおもしろい。
    どちらもホントにステキです。

     さらにさらに余談。興味のある方だけよんでね。

    「街の灯」が公開された1931年の翌年、フルトヴェングラーとチャップリンが会っているということが、フルトヴェングラーの秘書であったガイスマーの回想録に書かれている。
     イギリスからドーバー海峡を渡る連絡船に偶然同乗したらしい。ガイスマーがチャップリンの秘書に会見の申し込みに行ったところ、その秘書はフルトヴェングラーを知らず、怪訝に扱われてしまった。けれど、あとでチャップリンが会いたいと言ってきて、下船まぎわにほんの短時間会ったそうだ。
     その時フルトヴェングラーの残した言葉から、少なくとも「黄金狂時代」は観ていたことがわかる。
     のちに、「独裁者」はみたかしら?

     
     


     
     
     

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