Carpenters
新商品あり

Carpenters (カーペンターズ) プロフィール

Carpenters | プロフィール | CD、DVD、ブルーレイ(BD)、ゲーム、グッズなどを取り扱う【HMV&BOOKS online】では、コンビニ受け取り送料無料!国内最大級のECサイトです!いずれも、Pontaポイント利用可能!お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!

カーペンターズの音楽は1970年代を代表する陽性なポップスの象徴であり、また白い歯と当時の中産階級向けの保守的で安全なポップスといったものを連想をさせもする。そうしたイメージからか特に本国アメリカではノスタルジー以上の楽曲単位での再評価が受けられにくいといった事情があるように思われる。それに比べると日本の音楽ファンは、彼らの作り出したその美しいメロディ、王道ポップス的な良さ、明るいと同時に切ない情感をも紡ぎだすカレン・カーペンターの稀有なヴォーカルの表現力、といったものに対して比較的ストレートにその「良さ」を認める傾向があり、現在に至るまで日本では世代を越えてカーペンターズは愛されてきているといえる。

またその一方では、90年代に入ってからのソニック・ユースらオルタナ勢による イフ・アイ・ワー・カーペンター〜カーペンターズ・トリビュート(1994年発表)の例に顕著なように、前述したようなカーペンターズの持つ「米サバービア感覚」的側面にスポットを当てる風潮も出てきている。これはカーペンターズ評価における一面的な見方に風穴を開ける出来事といえた(これに先駆けソニック・ユースは1990年のアルバム Goo でカレンに捧げる曲を発表。また1987年に遡るとトッド・ヘインズ監督による Superstar:The Karen Carpenter Storyというアメリカの幸福な生活の裏に潜む闇、といったものを炙り出した映画が公開されており、ソニックスらはこれにインスパイアされたとのこと)。こちらの見方もまた一面的になる危険性があるが、実際のところカーペンターズのあのどこか悲劇的な佇まいは、グランジやオルタナティヴを通過したアメリカン・インディにも通じる不気味なほど過剰な何もなさや、闇の部分、孤独感をも内包しているように思える。

カーペンター兄妹はコネチカット州ニュー・ヘイヴンに生まれた。兄のリチャード・カーペンターは1946年10月15日生まれ、妹のカレン・カーペンターは1950年3月2日生まれ。彼らの家では父親のレコード・コレクションが年中響き、音楽が流れていたという。そんな中で育ったカレンは特に外見上の特徴のない普通の女の子であったというが、同年代の女の子が遊ぶようなお人形遊びといったものよりも、スポーツや音楽のほうに熱心だったという。一方の兄リチャードどちらかというと物静かな傾向をもっていたが、早くからピアノを習い始め、その才能の頭角を早くも現していた。リチャードは僅か12歳でエール大学のミュージック・スクールに通い、16歳のときには初レコーディングを経験してもいる。そうした中、カレンが10代前半の頃、1963年にカーペンター一家はカリフォルニア州ダウニーに移住。ロサンゼルスからほど近い場所で、ここでカレンとリチャードは思春期を過ごすことになった。

LAに移り、この地でリチャードは年長の友人とともにグループを結成、セミプロ的な活動を始めているが、やがてこの優秀な兄の才能の前に萎縮しがちだったカレンも音楽への興味を表明していくことになる。カレンはドラムスに興味を持ち、彼女は1965年頃、15歳のころにドラムを叩きたいと家族にねだったのだった。はじめはキッチンの椅子を叩いて練習し始めたカレンは、とうとうドラムを買ってもらうことになったが、すると彼女は周囲が驚くほどのリズム感とフィルのセンスを見せる演奏を兄を含めた周囲の人々にいきなり聴かせたのだった。

1965年夏にリチャード・カーペンター・トリオが結成された。メンバーは当時高校生のカレンがドラム、リチャードがピアノ、友人のウェス・ジェイコブスがベースとチューバを担当。1966年になると、彼らはハリウッド・ボウルで催されていた有名なイヴェント「バトル・オブ・バンズ」に参加する。そこで彼らは見事優勝の栄冠を勝ち取りRCAとの契約を取り付けることになるが、結局は会社側と折り合いがあわず契約は破棄。またその直後、オーディションでカレンの歌を気に入ったというジョー・オズボーンが自ら立ち上げたローカル・レーベルから、彼らのレコードが出るという幸運にも恵まれている。彼らはスタジオでレコーディングをし、ソロ歌手・カレンとバック・バンドという形でシングル“ルッキング・フォー・ラヴ/アイル・ビー・ユアーズ”を発表するが、これはローカル・レーベルから出ていたとはいえ全く成功とは程遠いものに終わっている。それでもリチャードとカレンは音楽をあきらめず、サマーチャイムズ、スペクトラムといったグループを組み活動する。そんな時期にもずっと彼らを裏から応援してくれたのがジョー・オズボーンだった。彼はリチャードとカレンのために無料でスタジオを提供。リチャードはここでオーヴァーダブなどを使ったサウンドにカレン・カーペンターの歌が乗るという、カーペンターズ・サウンドの基礎となるサウンドを模索していった。

その後も契約を取り付けるのに四苦八苦していたリチャードとカレンは、紆余曲折を経て、結局ハーブ・アルパートらが運営するレーベル、A&Mと契約。1969年にビートルズのカヴァー曲であるシングル“涙の乗車券”とアルバム オファリング(後に 涙の乗車券(Ticket To Ride) というタイトルに改められた)でデビュー。シングルは全米54位とそこそこの結果に終わり、アルバムもそれほどの評価を受けなかったが、次のセカンド・シングル“クロース・トゥ・ユー”カーペンターズは早くも成功を手にした。1970年に見事、全米ナンバーワンとなったこの曲はバート・バカラックとハル・デヴィッドという名コンポーザー達のペンによるものだった。

この後、カーペンターズ“スーパースター”(1971年、全米最高位2位)や“イエスタデイ・ワンス・モア”(1973年全米2位)、 “トップ・オブ・ザ・ワールド”(1973年、全米1位)はじめ数多くのヒット曲を放ち、70年代を代表するポップス・グループとなっていく。彼らは勿論、古き良きシングル向きポップスを奏でたわけだが、一応この間にリリースされたアルバムを列挙しておくと…1970年 遥かなる影(Close To You) 、1971年 スーパースター(Carpenters) 、1972年 トップ・オブ・ザ・ワールド(A Song For You) 、1973年 ナウ・アンド・ゼン(Now & Then) 、1975年 カーペンターズ・ライヴ・イン・ジャパン(Live In Japan) 、1975年 緑の地平線- ホライズン(Horizon) 、1976年 見つめあう恋(A Kind Of Hush) 、1977年 ライヴ・イン・ロンドン(Live At The Palladium) 、1977年 パッセージ(Passage) 、1978年に企画盤の クリスマス・ポートレイト(Christmas Portrait) 、1981年 メイド・イン・アメリカ(Made In America) ....とここまでがカーペンターズ消滅までの作品となる。

表向き明るいポップス・デュオというイメージの裏で彼らがさまざまな苦しみを経験したことはよく知られているところだが、最大の問題は精神的な病ともいえたカレンの拒食症の問題だった。カレンは1983年2月4日、拒食症が原因による心臓発作でこの世を去った。32歳という若さだった。そして、このカレンの死をもってカーペンターズの歴史は幕を閉じた。

カレンの死後8ヶ月が経った1983年の秋に、遺されたリチャードは彼女の生前に録られていたニュー・アルバム用のマテリアルに手を加えたヴォイス・オブ・ザ・ハート(Voice Of The Heart)カーペンターズ名義で発表。その後、ベスト盤はじめ、未発表音源から作られたクリスマス・アルバムや未発表曲集、あるいはカレン・カーペンターnoロ作や、リチャード・カーペンターのソロ二作などがリリースされ、そのたびに話題を集めている。特に1995年に人気TVドラマの主題歌に起用され話題となった“青春の輝き”含むベスト盤青春の輝き〜ベスト・オブ・カーペンターズ がここ日本でかなりの好セールスを記録し、本格的なブームを捲き起こしたことはまだ記憶に新しいし、2001年の今年には、ドラマ主題歌という形で脚光を浴びる“レインボウ・コネクション”を含む未発表作品集 レインボウ・コネクション〜アズ・タイム・ゴーズ・バイ がリリースされるなど、まだまだカーペンターズの音楽に対する再評価は、彼らを知らない世代のリスナーをも捲き込んで繰り返されていくように思える。

カレン・カーペンターのあの天性のものと思われる独特のアルトの歌声は、ポップスとしてはかなり深みのある味わいを持った独得の質感を誇っており、またその声は、カーペンターズのサウンドに乗るとき、えも言われぬ魅力を放つ。 “スーパースター”などマイナー調のメロディではどこか哀感漂う感触に、 “トップ・オブ・ザ・ワールド”などテンポのよいメジャー・キーの曲では、どこかほのぼのとした雰囲気(と同時に、非現実的な夢見心地な雰囲気)を醸し出す。バカラック=デヴィッドやロジャー・ニコルスポール・ウィリアムスなど優れた職業作曲家達の楽曲を、70年代のポップ〜ショウビズ界というメジャー・フィールドで存分に響かせたカーペンターズ。彼らが作り上げた誰にも真似のできない不思議なポップスの魅力――とりわけ、カレン・カーペンターの人の心を捕らえて離さない魅力を持った歌声――は21世紀に入った今後もポップス・ファンの心に残り続けていくだろう。

%%message%%