マーラー(1860-1911)
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マーラー(1860-1911) レビュー一覧 5ページ目

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  •  クック版に果敢に手を加えた演奏である。デリック・...

    投稿日:2023/04/20

     クック版に果敢に手を加えた演奏である。デリック・クックは自身の研究成果に「A Performing Version of the Draft for the TENTH SYMPHONY」という控えめなタイトルをつけた。クックは自身の版を絶対視していない。そのため、クック版を採用しながら、独自に手を加える指揮者も多い。ザンデルリンクによる加筆は多岐にわたり、かつ大胆である。だが、基本的にはクックの意図を汲んでいるため大きな違和感はない。このザンデルリンク盤は、マーラーの音楽から逸脱することなく、第10交響曲の表現の可能性を提示する貴重なディスクである。ザンデルリンクのテンポ設定は、第1・3・4楽章は中庸、第2楽章は遅く、第5楽章は速めである。このテンポ設定は、1984年のニューヨーク・フィルとのライヴ演奏でも同様である。  マーラーが遺した草稿には随所にメッセージが書き込まれている。第4楽章の表紙には、Der Teufel tanzt es mit mir. Wahnsinn, fass mich an,Verfluchten. …(悪魔が私と一緒に踊る。狂気よ、私をつかまえろ、この呪われた者を・・・)とある。第2楽章と対をなすこの楽章は、悪魔的なスケルツォと優美なワルツが共存し、主部とトリオが頻繁に交替する。ヴァイオリンやヴィオラによるワルツの音色は夢見心地である。ザンデルリンクの演奏は、アンビヴァレントなこの楽章の性格をうまく表現していて好ましい。第5楽章は、クライマックスのトーンクラスターの再現の後、第284小節(11:47)で第1楽章冒頭のヴィオラによる主題に回帰する。この15小節は、クック版ではホルン4本とトランペットのみだが、ザンデルリンクは弦を厚く重ねている。第3部が始まる第299小節(12:45) から第313小節までは、クック版ではヴァイオリンを全休符としている。ザンデルリンクは第307小節(13:29)からヴァイオリンを加えている。このヴァイオリンの加筆は、第3部の初めからヴァイオリンに主旋律を担わせるカーペンター版など他の亜流に近いものといえる。主旋律を歌うヴァイオリンを加えて「分かりやすさ」を追求するか、マーラーの遺したパルティチェルに思いを馳せるかは、聴き手の好みが分かれるところであろう。ザンデルリンクは、以降、コーダまでテンポを落とすことなく音楽を推進し、高揚感を重視している。どのようなテンポ設定であっても、感動的な音楽は感動的である。このディスクで聴くことができるベルリン交響楽団の弦の誠実な響きやホルンの暖かい音色も、私は気に入っている。

    宗仲 克己 さん

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  • 若造(失礼!)の演奏と思えない立派なマーラー第6で...

    投稿日:2023/04/13

    若造(失礼!)の演奏と思えない立派なマーラー第6です。 先ずノックアウトされたのは第1楽章19分の「アルマのテーマ」でぐっとテムポを落して歌う箇所です。 そう。マーラーの第6は「こうであらねばならない!」のです。 テムポのやたら速いカラヤンやショルティ、オザワ等何も分かっていないな、と(個人的には)思います。(オザワは何をやってもダメダメです。最早「老害」でしょう。早く引退すれば良いのに。其の点潔く「僕は舞台人だから幕は自分で下ろす」と引退を表明しておられる井上道義こそ真の「マエストロ」だと言えます。) 其の点で「合格」なのはシノーポリ及びザンダーのフィルハーモニア盤、シャイーのコンセルトヘボウ盤、井上道義新日本フィル盤でしょう。 ライブ録音に優秀なCDが多いのも「第6」の特徴でしょうか? 第6の全楽章を通じて万人にお勧め出来るのはアッバードのベルリンフィルライブ盤です。 さて前記「アルマのテーマ」と同じ事はアンダンテ楽章にも言えます。 13分30秒辺りの旋律の歌わせ方等、実に泣かせます。 此処まで聴いて約1時間(54分)なのですから、ネトピルが如何に丁寧にマーラーの音楽を扱っているか分かります。 最終楽章も井上道義盤やザンダー盤に比べるとやや劣るものの実に堂々たる歩みでカウベルの音もしっかりと捉えられています。勿論ハンマー打撃の迫力も充分合格点です。ブーレーズの様に「ゴン」ではお話になりませんし、バーンスタインの様に3回叩けば良いと言うモノではありません。新たな世代が老巨匠以上のパフォーマンスをしているのですから、驚きの音源です。スタジオ録音乍ら、僅か2日のセッションで終わっているのも指揮者とオケの信頼関係あればこそだと思います。 「6番はバルビローリに限る」なんて思い込んでいる方にこそ聴いて頂きたいお勧めの名盤です。

    シュタイナー さん

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  • ヴァンスカ先生によるマーラーのシリーズはすべて聴い...

    投稿日:2023/04/02

    ヴァンスカ先生によるマーラーのシリーズはすべて聴いてまいりましたが、録音の優秀さとミネソタ管の技術の高さに感心しつつも、いまひとつ心を動かされることがありませんでした。第6番などどうも裃を羽織っているような硬さがどこか付きまとい、繰り返し聴くディスクの私のリストには入っていません。第7番なんかもペトレンコ先生のような勢いがなくて微温的といいますか、あまり・・・しかし今度の第9番、ついに真打登場ですね。これはもう届いたばかりですがすでに通しで数回も繰り返して聴いて感心しております。この9番に関しては硬さはすっかり消え、ヴァンスカ先生はご自身やりたいことを忠実に実現させているのではないかと感じられます。堂々たる古典的威容の第一楽章、中間楽章の闊達さ、勢い、そして終楽章の深い情感・・・ぜひこのディスクはSACDマルチチャンネルで再生してください。とくに第一楽章の複雑な対位法の透明度、明晰さ、まるで指揮台で聴いているかのようなオケ全体の見通しの良さは卓越しております。その昔カラヤン大先生のディスクがCDで登場した時に録音技術の発展がマーラー第九の浸透に貢献するといわれましたけど、これほどの質の最新録音を聴くと、さしものカラヤン先生の名盤も古く感じられてしまいます。

    John Cleese さん

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  • この日本に「マーラーの9番はすごい曲だ」という印象...

    投稿日:2023/03/26

    この日本に「マーラーの9番はすごい曲だ」という印象を与えたのは、もちろん、バルビローリが初めだと思うが、私の年代だと、とにかくこのジュリーニ盤である。当時はクラシックの新譜をNHKーF Mで放送してくれて、そこでこのディスクを聴いた時の衝撃は忘れられない。当時の私はまだこの曲の第一楽章がどれだけすごいのか、ということがわからず、曲全体の雰囲気に惹かれ、とりわけ第四楽章に耽溺していた。年月を経て、この曲の第一楽章が西洋音楽史上、どれだけの価値があるのかを知って、(これは村井先生の著作のおかげでもある)このジュリーニの演奏がどれだけ凄いのかということも理解できた。春の祭典の凄さを世に広めたのがブーレーズなら、マーラーの9番についてはジュリーニなのである。特に第一楽章については、このジュリーニの演奏が白眉である。だから、この曲が好きならば、この演奏を聴かねばならない、とすら言いたい。このジュリーニの演奏を聴けば、他の演奏もわかってくる。このディスクを聴かれたことない方には強く勧めたい。

    てつ さん

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  • 交響曲第6番についてレビューします(評価の星もこの...

    投稿日:2023/03/25

    交響曲第6番についてレビューします(評価の星もこの曲の演奏に対してです)。現時点では、シカゴ交響楽団とのこの録音(シカゴ、オーケストラ・ホール、1979年2月&1980年2月)は、このマーラー全集と最近出たDGアバド全集でしか入手できないようですね。なんとアバド&シカゴ響の8枚組セットからは省かれていて、単発でも手に入らない(シカゴ響との1, 2, 5, 7番は廉価盤で出ているのに)という、「みにくいアヒルの子」扱いの可哀想な6番。ここのレビューでも必ずしも好意的に取られてはいないとお見受けします。アナログの録音はパッとしませんね(管に比べて弦、とりわけ第1楽章のヴァイオリンの音が引っ込み気味)。私はこの演奏を、基本的に感情を表出することを目的としたものと受け止めています。もちろんアバドらしく抑制し、構造を冷静に捉えた上での感情表出なのですが、たとえば第3楽章(アンダンテ)の中間部後半の高揚する箇所での恐ろしいまでの盛り上がりはどうでしょうか。第1楽章では、再現部で第1主題が回帰してからの音の張り詰め方。そこまでの抑制はここからコーダへ向かうクライマックスのためだったとわかります。そして、まさにコーダがこの録音の白眉です。ppからffに移る箇所(第382小節、練習番号37冒頭)のシカゴ響の金管(ホルン、トロンボーン、バスチューバ)の均一で強靭な響きを聴くと、一体これほどマーラーを演奏するのに適した金管隊が地上に他に存在するのだろうか、という心持ちになります。また、コーダ終結部(第473小節、練習番号45の直前)のリタルダンドがかかったffのトゥッティの「エモい」響きといったら! 音響として輝かしいばかりでなく、この交響曲全体のエモーションをこの1小節に集約したかのような表現です。1970年代終わりのアバドが打ち立てた金字塔と言ってもいいでしょう。アバド全集で再聴しましたが、ジャケットがLP初出時の「孔雀の羽根」モティーフの色調を忠実に再現していてホッコリしました。なお、ブックレット・ジャケット裏のトラックリストは誤ってアンダンテ→スケルツォの順に記載しています。実際には、初出時と同じくスケルツォ→アンダンテの順の収録です。

    Bartokian さん

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  • 何故か、単売されない、シノーポリのマーラーの大傑作...

    投稿日:2023/03/25

    何故か、単売されない、シノーポリのマーラーの大傑作「第6番」。 現在では「全集」でしか、シノーポリのマーラーは手に入りません。 「第5番」等は何回も単発再盤されていますが、何故か「第6番」は20年程前に一度再発されて以来カタログから消えた儘です。 然し、「大地の歌」も含めたシノーポリ・マーラー交響曲演奏の中で最も特筆すべきなのは此の「第6番」なのです。 抑も「第6番」自体が超個性的でオケにとっても演奏至難な曲ですので、大抵の指揮者はスコア通りにオケをドライブするのが精一杯で、「個性」を発揮するとしたら、テムポ設定とハンマーの扱い位ではないでしょうか?かのカラヤンやショルティは第一楽章のテムポが速すぎて「アルマのテーマ」を台無しにしていますし、2度のバーンスタインの録音もハンマーを3回打撃させる以外に「らしさ」を感じる事は出来ません。 其の点、アッバードの2回目の録音であるベルリンフィルライブが最も安心して聴く事の出来る(戦慄すべきハンマーの打撃も最高!)録音と言えるかもしれません。 さて、此のシノーポリのフィルハーモニア盤の「第6番」ですが、「アルマのテーマ」でテムポをぐっと落して此れ以上無い位美しく再現しています。此れは他のどの指揮者も為し得ていない事で、それ以降の楽章でもまるで「第6番」を初めて耳にしたかの様に感じさせるのは録音後36年以上が経過した現在でも類い希な事ではないでしょうか? ユニバーサルは是非リマスターして此の「第6番」を単売・再発して欲しいものです。 こんなに指揮者の個性が正しく発揮されたマーラー交響曲第6番を聴く機会が無いのは、其れこそ「大損」だからです。

    シュタイナー さん

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  • ここには、マゼールはいません。 感動よ、さようなら...

    投稿日:2023/02/19

    ここには、マゼールはいません。 感動よ、さようなら。 この演奏は素晴らしい、特筆すべき演奏だ。 多くの演奏家に、聴衆は「その人ならではの個性的な解釈」というようなものを期待し、ボルテージの上がる演奏や、磨き抜かれた演奏や、爆音の演奏、細部を強調したり、緩急自在の演奏などを求める。 そして、マゼールの後半生の演奏は、「マゼールはどうしてしまったのか?個性的で隈取りの深い、彼の演奏解釈は蒸発してなくなってしまっているではないか」というような戸惑いと共に語られることが多い。 多くの聴衆には、彼のごく若い頃の演奏のイメージが強く、その後の彼の変貌が上手く受け止められないのである。 それは、通常の演奏では、どうやっても、指揮者の存在を感じることが避けられない。なのに、マゼールの演奏だけは、彼の主張や解釈の存在が希薄である。透明なのである。 ブーレーズの場合と比べれば、ブーレーズは必ず黒板の前に立ち、スコアのあれこれの数学的、楽理的な興味深い諸点について、教授よろしく指摘をしてくれる。 マゼールは?マゼールは一体どこにいるのか?という、マゼールの後半生は、彼が姿を消し、聴衆と音楽、あるいは聴衆とオーケストラしか存在しないという演奏を確立したことが、実は唯一無二の彼にしかできない功績だったのではないだろうか。 この演奏はあたかも個々の演奏家が自由に演奏しているかのようだ。指揮者の指示で演奏する場合、どうしても、指揮者に引きずり回されるかのような微妙なタイミングのずれがあちこちに生じるものだが、この演奏では、「これをこのタイミングで謳わせることを、指揮者が指示してできるものなのだろうか?」というような見事な統率、統率を感じさせない統率!を見せる。 まさに、的もない弓もない、人馬一体の演奏とでもいうべきだろうか。ようやく、私は、長年のマゼールについての疑問を解くことができるようになったように思う。彼独特の解釈は勿論、注意すれば至るところに発見できるのであるが、そうと感じさせない点が、彼の大家であるところだろう。 マゼールはここにはいない。これみよがしの感動も存在しない。

    slave さん

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  • すでに掲載されているレビューは2021年7月以前の投稿...

    投稿日:2023/01/29

    すでに掲載されているレビューは2021年7月以前の投稿ということで,2022年12月発売のグランドスラムによる平林氏復刻盤に関するものではないようである。本日平林氏によるオープンリールテープ復刻盤を入手し,早速聴いてみた。時間がなかったのでまずは1楽章だけでもと思っていたのだが・・・,聴きだしてみると,LP以来これまで数え切れないくらい聴いてきた録音であり,最近はこれが究極かと思ったSACD盤を聴いていたにもかかわらず,音質がどうのこうのなどと考える余地なくあっという間にマーラーとワルターの宇宙に引き込まれ,気がつけば全部を聴いてしまっていた。ワルター/ウィーンフィル+カスリーン・フェリアー+パッツァークによるマーラー「大地の歌」を始めて聴いた気分である。ワルター/ウィーンフィルの演奏,フェリアーとパッツァークの歌声は実演を聴いているように美しく,各パートの演奏音も明瞭で,ナチュラルに美しい。ライナー・ノートに「英『グラモフォン』誌の初出LPの批評」(アレック・ロバートソン)というのが掲載されており,演奏と録音を賞賛しつつも,「青春について」の冒頭でのトライアングルが鮮明度に欠けることや,「告別」の「永遠に」の部分でのチェレスタが十分に聴こえないことを指摘しているが,このオープンリールテープ復刻盤でははっきり聴こえており,完璧であると思う。私にとってはこの盤が究極のワルター/ウィーンフィル+カスリーン・フェリアー+パッツァーク盤という事になる。この演奏の最も優れたテープ音源をCDとして復刻してくださった平林氏に深く感謝する。

    苦沙弥 さん

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  • オリジナルジャケットを使っているか。どなたか教えて...

    投稿日:2023/01/28

    オリジナルジャケットを使っているか。どなたか教えてください。

    おとちゃん さん

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  • 指揮者レーグナーとこのオケのマーラーを聴くきっかけ...

    投稿日:2023/01/25

    指揮者レーグナーとこのオケのマーラーを聴くきっかけは、ケントナガノ指揮のマラ3の第一楽章をしつこく聞いているうちに何か緑芳しい表現がとても気に入ってしまいまして、NMLで片っ端にあれやこれや聴いているとエテルナの新しいリマスターがもう出ているではありませんか。これは聴くしかないと思い、聞いてみたわけです。今となっては古い録音ではありますが、ベストなリマスターによりアナログ感が蘇り、ヒリヒリ感のない音質で大らかでたおやかな名演奏を聞くことができました。ゲルマンの森は深く大きいです。ちょっとお高いですがまた聴きたくなる演奏の筆頭となるでしょう。

    マコシュテット さん |60代

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ありがとうございました

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