’76年、ミック・ジョーンズ(g)、ポール・シムノン(b)、ジョー・ストラマー(g、vo)にてクラッシュは結成されロンドンは伝説のクラブ100クラブでのイベントに参加しをその名を広めていった。彼等は同年のセックス・ピストルズのツアーに同行、更に人気を集め翌年’77年にCBSと契約を交わす。同年3月シングル”White Riot(白い暴動)”にて衝撃デビュー。4月にアルバム The Clash(白い暴動)を早くも発表。“I'm Bord With The U.S.A(反アメリカ)”や“Protex Blue(反逆ブルー)”等過激な内容の楽曲揃い。
'82年、コンバット・ロック(Combat Rock)をリリース。このアルバムよりメンバー・チェンジが行われ、初期のメンバーにては最後の録音となった。このアルバムからは“Rock The Casbah”“Should I Stay Or Should I Go”がヒット。そして’85年、メンバー・チェンジ後(ミック・ジョーンズ、トッパー・ヒードンが脱退)リリースされたアルバム Cut The Crap(カット・ザ・クラップ)。ジョー・ストラマーは健在とはゆえ、かなりの曲を手掛けていたミック・ジョーンズの存在は大きかった、ファンの間でも今一つ評判が良くなかったアルバムである。このアルバムを最後にクラッシュは自然消滅。
後にジョー・ストラマーは映画音楽を手掛けたりするが、’89年自らのソロ アースクウェイク・ウェザー を発表、更には’99年ストラマー自身のバンド、メスカレロスを率いて「FUJI ROCK FESTIVAL」に参加、クラッシュの曲も披露している。2001年にはGlobal A Go Go(グローバル・ア・ゴーゴー)を発表。同年には来日公演も行っている。翌2002年には「朝霧ジャム」にメイン・アクトとして出演。またも観客を魅了した。そして同年12月24日、目を覆い隠したくなるようなニュースが飛び込んでくる。ジョー・ストラマーが50歳という若さで死去。死因は不明だが心臓を患っていたといわれている。