Yardbirds
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Yardbirds (ヤードバーズ) プロフィール

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エリック・クラプトン ジェフ・ベックジミー・ペイジの3大ゴッドが在籍していた・・・!という驚異的な肩書きを持つバンド、ヤードバーズ

ヤードバーズは1963年6月、アンソニー“トップ”トッパム、クリス・ドレア、ポール・サミュエル=スミス、ジム・マッカーティの4人により結成されました。当初、モスト・ブルースウェイリング・ヤードバーズと名乗っていたそうですが、やはり長すぎたのでしょう、すぐにヤードバーズと改名することになりました。由来はチャーリー・パーカーのニックネームから取ったそうです。

リード・ギターを担当していたトッパムは、バンドがリッチモンドにあるクロウダディ・クラブの専属(ストーンズの後任)となる直前、学業に専念するために脱退することになります。ここでエリック・クラプトンが加入する運びとなりました。

1964年、コロムビアと契約を交わし"アイ・ウィッシュ・ユー・ウッド"でデビュー。後にロンドン:マーキー・クラブにて行われたステージを収録した ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ をリリース。このアルバムは人気を博し、とくにエリック・クラプトンが大きく注目されることになります。当時、すでに彼は“スローハンド”と呼ばれていたそうです。しかし、商業的成功を求めたマネージメント側は、フォー・ユア・ラヴ のレコーディングを強要、結果全英2位、全米6位というヒットを記録しましたが、ブルース志向の強かったクラプトンはこのスタイルを受け入れることを拒否、バンド脱退という悲しい結果になりました。

そして次の“ゴッド”加入は、ジェフ・ベックです。クラプトンの後任には、当時売れっ子セッション・マンであったというジミー・ペイジが指名されたのですが、売れっ子なためにこの話を受けることが出来ず、代わりにベックを紹介したということになっていたようです。アメリカでは、ジェフ・ベック加入後初のヒットとなった"ハートに切なく"の他、シングルを独自に編集したアルバムなどがリリースされていたようです。

1966年8月、イギリスでのセカンド・アルバムとなる ジェフ・ベック&ヤードバーズ をリリース。フィードバック奏法など、当時としてはかなり奇抜なリックを使うベック独自のフレーズは、クラプトンの後任などというレッテルは必要ないほどに、ファンにはさすが“ゴッド”なギタリストと映ったことでしょう。そう遠くない未来に3大ゴッドの一人となっていたのですから・・・。

その後、アルバムのプロデュースをも手掛けたベースのサミュエル=スミスは脱退、そして後任のベーシストとして3人目の“ゴッド”、ジミー・ペイジが加入することになりました。そしてそこはさすがにペイジ、セカンド・ギタリストであったドレアをベースへまわし、ここにベックペイジのゴージャスなツイン・リードが誕生しました。しかしベックはこの体制があまり気に入らなかった様子で、体調不良を理由にバンド活動を不参加とすることが多くなっていきます。この頃、時代を反映したサイケデリック調の"幻の10年"、ミケランジェロ・アントニオーニ監督 Blow-Up 欲望 の中で使用された"ストロール・オン"といった楽曲が生まれています。

そして1966年11月、とうとうジェフ・ベックが脱退、ジミー・ペイジがリーダー・シップを取り、新生ヤードバーズの活動がはじまりました。1967年、イギリスではリリースされなかったラスト・アルバム リトル・ゲームス を発表、レッド・ツェッペリンを思い起こさせる実験的な楽曲もあったものの、セールス的にはそれほどのものではなく、1968年夏には解散することとなりました。そしてこのニュー・ヤードバーズは、最終的にツェッペリンの前身ともいえる構成となっていたようです。

さて、ヤードバーズ脱退後、エリック・クラプトンは、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズクリームブラインド・フェイス〜ソロ、ジェフ・ベックはジェフ・ベック・グループを結成、ジミー・ペイジレッド・ツェッペリンと凄いことになっていきました。彼らを輩出したバンド、ヤードバーズ。短い活動期間であったものの、この事実があったことでその名はロック史に永遠に刻み込まれています。そして、ブリティッシュ・ロック創世記において、ザ・フーらとともに大きな指標を残したバンドとも言うことも出来るでしょう。

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