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2012年7月23日 (月)

連載 鈴木淳史のクラシック妄聴記 第38回

「チェリビダッケのベルリン・フィル復帰演奏の凄まじさ」

 再発を含むチェリビダッケの映像がゾクゾクと登場している。生誕100周年というアニバーサルのチカラか。それとも、息子で遺産相続人のチェリビダーキさん家の冷蔵庫の中身が寂しくなり始めたのか。いずれにせよ、ファンにとってはありがたやありがたやと西方に向かいて手を合わせるのみ。
 その割には、新発見の録音があまり出てないのは気になる。録音は拒んだけど、ライヴの映像収録は許可したという、かつての故人の思いに配慮したのか。

 チェリビダッケの場合、映像というパッケージで出た場合、ちょっとした(場合によっては甚大な)メリットがある。音声部分がエンジニアによって過剰にいじられていることが少ないからだ。映像ソフトなのだし、そこまで手間ひま掛けてらんないでしょ、という一見手抜きな姿勢が、逆にメリットになるのだ。
 生演奏を聴いた人はすぐ理解してもらえるだろうが、チェリビダッケのオーケストラ・バランスは、恐ろしく精密だ。これをマルチ・マイクで収録して、エンジニアが事細やかにコントロールする、なんてことをした時点で、ほとんど消え去ってしまう。チェリビダッケ自身、あるいは彼と同じくらい超弩級のセンスを持つ人が調整卓で操作しなければ、あのバランスを再現するのは、ちょっと難しい。
 その点、放送音源のような基本的に手の込んでない音は、逆に音場感を捉えていたりする。個々の楽器の音の輪郭にこだわらないおかげで、全体がぼんやりと浮かんでくるというわけだ。
 こういうものは、オーディオ的にはチープすぎる、と指摘されるかもしれない。レコード会社からしてみれば、いい音で届けたいという善意で音を操作する。あるいは、音をいじらないのは、プロとして沽券に関わると思いがち。でも、そうした善意やプロ意識がネックになることだってあるのだ。
 
 チェリビダッケがベルリン・フィルを38年ぶりに指揮した記念碑的演奏。曲は、ブルックナーの交響曲第7番だ。
 かつて追い出されるようにベルリン・フィルを後にしたチェリビダッケ。ヴァイツゼッカー大統領の口利きにより実現し、ドイツの新聞では「放蕩親父の帰郷」などといった見出しで、たいへん話題になった公演だ。
 この映像、以前テレビでも放送されたらしいのだけど、わたしはこれまでちゃんと見たことがなかった。周囲のチェリビダッケ・フリークの評判は最悪、チェリビダッケ本人も「あれは無しにしたい」と言わんばかりの言動だったし。恐らく、オーケストラとしっぽりいくことなく、「不幸」に終わった演奏だったのだろう。そんなものをわざわざ見なくてもいいもんね、ブルックナー聴きたきゃミュンヘン・フィルとの録音があるもんね、時間は有効に使うもんね、などと思っていたのだった。

 今回、改めて見てみると、これが格別に興味深いものだった。
 ただ、チェリビダッケならではのブルックナーをどっぷり堪能したいわねえ、という人には積極的に薦めるわけにはいかない。そういう人には、他レーベルから出ているミュンヘン・フィルとの映像のほうがいいだろう。
 なにしろ、この演奏、チェリビダッケのブルックナーと言うには、その最低条件を満たしていない。
 それぞれの楽器の主張が強すぎて、音が立体的に組み立てられていない。流れは停滞しがちで、響きがホールすみずみまで広がることがない。
 テンポの遅さが、いつもより如実に感じられるのもそのせい。チェリビダッケにしても、この曲でもっとも遅い部類の演奏なのは事実だ。テンポはホールの音響によって決まる。わんわんと残響が鳴りがちなシャウシュピールハウス(現コンツェルトハウス)だから、こういうテンポ設定になったはずなのだ。
 それでも、むやみに「遅い」と感じてしまうのは、チェリビダッケの意図したバランスで音が響いていない、ということだ。
 チェリビダッケの表情もやけに渋い。彼は意図から外れたオーケストラの響きがすると、途端に顔をしかめる。逆に、うまく行けば満面の笑顔になる。表情がくるくる変化する指揮者なのだ。チェリビダッケの映像を見ることの面白さはそこらへんにもあり、音だけよりも彼の意図がよくわかってしまうのである。
 しかし、この映像は、顔をしかめ怒りを表明するというよりも、ほとんど全編に渡って悲しい顔をし続けるのである。こんなチェリビダッケの指揮姿を見たのは初めてだ。
 
 それでも、わたしはこの演奏に退屈しなかった。
 いかにもベルリン・フィルらしい、ハッキリとした輪郭と密度を持った弦楽パート。第一楽章展開部などでは、まるでワーグナーを思わせるようなウネリ。そのコーダの目のくらむような豪華絢爛さ。
 それぞれの楽器が官能的なまでに絡み合う、スケルツォ楽章のトリオ部もいい。こんな濃厚かつ肉感的な絡みは、ミュンヘン・フィルでは聴くことはできなかったようにさえ思う。この場面、心なしか、チェリビダッケの表情も柔和に見える。
 凍ったように遅いテンポ。長時間に渡る緊張感の持続。鉛のような重いものが、空を舞おうとするグロテスクさ。
 とにかく、圧倒される演奏だった。何なんだ、コレは? とわたしは驚き、戸惑い、そしてボーナス・トラックに入っているドキュメンタリー映像を見、噫と合点がいったのだった。

 ドキュメンタリーの作りはとてもシンプルだ。チェリビダッケのリハーサルの合間に、かつて彼と共演していたベルリン・フィルのメンバーが回想を語り、往時のニュース映像が流されるだけ。
 そのリハーサルが凄まじいことになっていたのである。まず、チェリビダッケは、この世界一プライドが高いオーケストラに向かって、長々と講釈を垂れ始める。オーケストラのあり方とは。ブルックナーの響きとは云々。この時点で、オーケストラのメンバーの表情に暗雲が漂い始めているのがわかる。
 第一楽章の冒頭、ヴァイオリンのトレモロ部分。何度も何度もオーケストラを止め、やり直しをさせる。まったくリハーサルは進まない。学生オーケストラに接しているかのような、細かい指示と説教。
 主題の提示部に入っても同様、チェリビダッケは一小節ごとといっていいほど、事細やかな指示を与えるために、指揮棒を止める。あからさまに不機嫌な奏者、仕方なしに苦笑するしかない奏者の表情をカメラはさりげなく捉える。
 ミュンヘン・フィルであれば、一斉に笑いが起きるような、冗談めいた発言にも、オーケストラはほとんど反応してくれない。チェリビダッケ得意の嫌味っぽいジョークも行き場を失って、宙を彷徨う。
 リハーサルでは、オーケストラにこびりついた「カラヤン的」なものをはぎ取る作業が執拗に続く。映像の最後のほうでは、業を煮やした指揮者が「作品の本質を捉えられていない」「みなさんはこの作品を知らないのでしょう」と、オーケストラを完全にディスってしまう。

 なにしろ相手は世界一プライドの高いオーケストラ。もっともオトナじゃない方法をチェリビダッケは採用しちゃったわけである。
 といっても、チェリビダッケの音楽作りは、そのオーケストラに備わっているものを理解し、それを生かそうという姿勢はもともと希薄だ。彼の信じる唯一の音楽をそこに具現させるために、いかなるオーケストラであっても、土台から作り直そうとする。
 50年前にベルリン・フィルを振っていたときも、若い彼はこのオーケストラに何の遠慮もなく振る舞い、トラブルを起こしていたというから、当時と同じやり方をやっただけ、という見方もあるだろう。
 そう、同じやり方。真っ向からぶつかる自らのやり方を変えないのが、世界一のオーケストラに対する礼儀なのだ。50年前にナニモノでもなかった自分を指揮者としてデビューさせたこのオーケストラに対して。帝王と呼ばれた誰かさんみたいに、みみっちい策を弄するなんて、真っ平御免!
 この映像は、リハーサルのほんの一部を紹介してくれるだけだけど、チェリビダッケの音楽観が彼の口を通して、コンパクトにまとめられている。たぶん、彼は自分が積み上げてきた音楽のすべてをベルリン・フィルにあますところなく伝えたかったのではないか。それも、以前彼らと接したときと同じ流儀で。それが、チェリビダッケなりのベルリン・フィルに対する恩返しだったのかもしれない。

 まさしく、ハイリスク・ハイリターンすぎるチェリビダッケのやり方。それが演奏会を成功させたか、そうではなかったのか、については様々な見方ができるはずだ。
 カラヤンという大時代を経て、このオーケストラ、いやクラシック音楽全体が変わってしまった。本番でのチェリビダッケの悲しげな表情には、和解することの困難が宿っているようだった。
 指揮者の目指すところと、オーケストラの方向性。もっと穿った見方をすりゃ、チェリビダッケの音楽観とカラヤンのそれ。目まいがするような溝の深さ。
 ただし、その両者の拮抗がウネリとなって、強烈な瞬間をところどころに聴かせる演奏になった。
 チェリビダッケの音楽ではない。もちろん、ベルリン・フィルの音楽ともいえない。たぶん、両者とも釈然としねえはずの唯一無二のコラボレーション。
 指揮者とオーケストラとの関係を考える上で、少なからぬ示唆を与えてくれる映像だった。

(すずき あつふみ 売文業) 


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