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アマール四重奏団によるヒンデミット弦楽四重奏曲全集 クラシックお買得ボックス・ニュースへ戻る

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2017年1月15日 (日)


ヒンデミット:弦楽四重奏曲全集(3CD)
アマール四重奏団


アマール四重奏団によるヒンデミットの弦楽四重奏曲全集のボックス化。アマール四重奏団といえば、若き日のヒンデミットとリッコ・アマールらによってフランクフルトで結成された弦楽四重奏団として有名ですが、こちらはチューリッヒでアンナ・ブルナーと妹のマヤ・ヴェーバーらによって1987年に結成された弦楽四重奏団を前身とするグループ。結成当初からヒンデミットなど近現代作品を中心に演奏し、ヒンデミット生誕100年の1995年には、フランクフルトのヒンデミット協会からアマール四重奏団の名前を贈られたということです。その後、アルバン・ベルク四重奏団などに教えを受けてさらに腕を上げ、メンバーの交代なども経て現在に至っています。

【ヒンデミットと弦楽四重奏】
ヒンデミットは、少年時代からのヴァイオリンの師でフランクフルト・ムゼウム管弦楽団(フランクフルト歌劇場管弦楽団)のコンサートマスターであったアドルフ・レーブナーが結成した弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として本格的なキャリアをスタート、その後、フランクフルト・ムゼウム管弦楽団のコンサートマスターまで務めています。弦楽四重奏曲第1番はレーブナーとの弦楽四重奏団のために書かれたものです。

その間、第1次世界大戦が勃発、ヒンデミットは兵役検査を受けるものの虚弱な体質と心臓疾患により入隊を拒否され、オーケストラに残ることができましたが、ヒンデミットの父親は1915年にフランスの前線で殺害されてしまいます。また、ヒンデミット自身も1917年には人員不足から徴兵されますが、配属先であるフランクフルトの予備歩兵連隊指揮官が音楽愛好家だったこともあって軍楽隊に配属、太鼓などを担当したほか、ほかの兵士らと共に弦楽四重奏団結成まで認められていました。弦楽四重奏曲第2番はそうした活動のさなかに書かれたもので、同じころにはドビュッシーの弦楽四重奏曲なども演奏したりしていましたが、1918年5月にはついに前線に配属されることとなります。場所は両軍の死者数480万人ともいわれる西部戦線の前線であり、休戦協定までの半年間、膨大な数の兵士や馬の凄惨な死体等を見て衝撃を受けます。

ドイツ敗戦による除隊後は、フランクフルト・ムゼウム管弦楽団に戻りますが、弦楽四重奏団のヴィオラ奏者や酒場のバンドなどでも活動、その後、1920年にドナウエッシンゲン音楽祭の前身である室内楽祭の開催が決まると、弦楽四重奏曲第3番を作曲、ベルリン・フィルのコンサートマスターだったリッコ・アマールらと共に「アマール四重奏団」を結成、1927年にベルリン音楽大学作曲科教授の職を得るまでカルテットに打ち込み、弦楽四重奏曲第4番と第5番のほか、軍楽隊時代の経験を生かしたのか『朝7時に湯治場で二流のオーケストラによって初見で演奏された「さまよえるオランダ人」序曲』『ミニマックス』という弦楽四重奏のための冗談音楽や、その他、弦楽四重奏の関わる室内楽をいくつも書いていました。その間、1923年にはフランクフルト・ムゼウム管弦楽団コンサートマスターを辞任、翌1924年にはフランクフルト・ムゼウム管弦楽団の指揮者ロッテンベルクの娘ゲルトルートと結婚してもいます。

1929年になるとヒンデミットは、クロールオーパーのコンサートマスターのヨーゼフ・ヴォルフスタール、高名なチェリストのエマヌエル・フォイアマンと組んで、弦楽三重奏団を結成、1931年にヴォルフスタールがインフルエンザがもとで亡くなると、ベルリン・フィルのコンサートマスターであるシモン・ゴールドベルクが参加、新作を次々に取り上げて注目を浴びるようになります。

しかし1932年、国民の熱烈な支持を得てのナチ党台頭に伴い、共演者のフォイアマンとゴールドベルクがユダヤ系であることとヒンデミットの妻の祖先の中にユダヤ系がいたという理由などにより迫害が始まり、1934年には、オペラ『画家マティス』の上演が中止にまで追い込まれ、演奏活動も禁じられることになってしまいます。この「ヒンデミット事件」はフルトヴェングラーによる新聞での擁護論などでも知られていますが、状況が好転することは無く、1937年、ベルリン音楽大学作曲科教授の辞任を余儀なくされます。

ヒンデミットはスイスに居を移し、各国へのツアーなどもおこないますが、やがて第2次世界大戦が開戦すると翌1940年にアメリカに移住し、エール大学教授に就任、1946年には市民権も獲得します。1943年に書かれた弦楽四重奏曲第6番と1944年から45年にかけて書かれた第7番は、共にブダペスト四重奏団のために作曲されたもので、初演も彼らがおこなっています。

その後ヒンデミットは、1953年に再びスイスに戻り、レマン湖畔のブロネを拠点にウィーンでの教職活動や各国での指揮活動を展開(1956年にはウィーン・フィルと来日公演も)、多忙な毎日を過ごしますが、1963年に病に倒れ、フランクフルトの病院まで運ばれて同地で亡くなっています。

【ヒンデミットの弦楽四重奏曲】
今回登場するセットは、弦楽四重奏曲全集ということで、恩師レーブナーの四重奏団時代の第1番、軍楽隊の四重奏団時代の第2番、アマール四重奏団時代の第3・4・5番、ブダペスト四重奏団のための第6・7番という全7曲で構成されています。

第1番は1915年の作曲。ベートーヴェンやブラームス、そして後期ロマン派的な複雑な表現も織り込みながら、ベートーヴェン『英雄』の葬送主題に戦時下の不安も滲ませ、さらに終楽章ではフーガも用いるなど聴きごたえのある仕上がりとなっています。ヒンデミットの第1ヴァイオリン、ヘルマン・クラウスの第2ヴァイオリン、ヘルマン・ゲブラーのヴィオラ、ルドルフ・ヒンデミットのチェロで初演。

第2番は1918年の作曲。どこかグルックの『アウリスのイフィゲニア』序曲を思わせる主題で開始される第1楽章は簡潔な構造とほどよい活気のある音楽が印象的。第2楽章は音価の短めの主題による自在な変奏曲。第3楽章は大規模でベートーヴェン風にエネルギッシュな音楽とドヴォルザーク風な抒情が印象的。軍楽隊時代の作品。戦後まもなくレーブナー四重奏団が初演。

第3番は1920年の作曲。アマール四重奏団の結成のきっかけは、この作品をドナウエッシンゲン音楽祭の前身である「現代音楽芸術を擁護するドナウエッシンゲン室内楽祭」で初演するためだったと言われており、記念すべき第1回の作品がこの第3番ということで喝采をもって迎えられています。全体に聴きやすい作風ですが、第2楽章には個性的な楽想による心理描写的な要素も盛り込まれていて、凄惨な塹壕など前線の記憶との関連などについても考えさせる内容となっています。アマール四重奏団が初演。

第4番は1921年の作曲。フガートからロンドに至る短めの楽章5つから成り、強弱緩急自在で和声も面白い凝った作品です。アマール四重奏団が初演。

第5番は1923年の作曲。各楽章の個性の際立つスタイルで、第3楽章の行進曲や、第4楽章パッサカリアの28の変奏など聴きどころ満載。アマール四重奏団が初演。

第6番は1943年の作曲。自身の作品からの引用を含むコンパクトで緊密な構成、演奏効果も十分。戦争景気により、約20%という空前のGDP成長に沸いていたアメリカでの作曲。ブダペスト四重奏団が初演。

第7番は1945年の作曲。第6番と同じく変ホ長調で書かれた作品。明快な構成の聴きやすい音楽。ブダペスト四重奏団が初演。(HMV)

【収録情報】
Disc1 (8572163)
1. 弦楽四重奏曲第2番ヘ短調 Op.10
2. 弦楽四重奏曲第3番ハ長調 Op.16

Disc2 (8572164)
3. 弦楽四重奏曲第5番 Op.32
4. 弦楽四重奏曲第6番変ホ長調
5. 弦楽四重奏曲第7番変ホ長調

Disc3 (8572165)
6. 弦楽四重奏曲第1番ハ長調 Op.2
7. 弦楽四重奏曲第4番 Op.22

 アマール四重奏団

 録音時期:2010年4月(1)、2009年2月(2)、2010年4月(3)、2009年2月(4,5)、2009年12月6,8日(6,7)
 録音場所:チューリッヒ放送スタジオ大ホール
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)
※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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弦楽四重奏曲全集 アマール四重奏団(3CD)

CD 輸入盤

弦楽四重奏曲全集 アマール四重奏団(3CD)

ヒンデミット(1895-1963)

価格(税込) : ¥3,850
会員価格(税込) : ¥3,350
まとめ買い価格(税込) : ¥2,887

発売日:2017年02月23日
在庫あり

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