幽霊が出た

2022年02月28日 (月) 11:30 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第297回

 戦争が始まった。
 私はその方面の専門家ではないし、誰の言い分が正しいのかもわからない。ただ、人が殺されると、もちろんその人の人生が終わってしまうと同時に、家族や友人が癒されない悲しみや怒りや憎しみに囚われてしまうことは知っている。そういう感情は、年月が経っても消えるものではない。とにかく犠牲者が少ないことを願うばかりである。


 ところで、前回はあるCDについて述べるつもりだったのだが、サヴァールのベートーヴェンが出て、これが強烈だったし、正月だったし、後回しにすることにしたのだけれど・・・。
 折も折、またこれを無性に聴きたくなった。ファブリツィオ・キオヴェッタのモーツァルト集だ。
 もし幽霊が出たら、みなさんはどうしますか。夜、静かに仕事をしていたら、すうっとドアが開いて・・・。私はギクリという言葉では足りないくらい驚いて、思わず声をあげてしまった。
 こんな驚きの中身を書いてしまっていいのかと思う。せっかくの機会なのに、推理小説の種明かしみたいに明らかにしてしまっていいのか。次にまたここで書くことにしようか。
 このCDを手に入れたら、絶対に再生を途中で止めないこと。そうすれば、あなたの部屋にも幽霊が出る。
 幽霊は怖い。しかし、怖いだけなのか。髪の毛の長い女性の幽霊は、美しくもあれば、このうえない悲しみの表情を見せているのではないか。そういう幽霊。
 何度かこの幽霊に会ったら、徐々に怖さが薄れて、美しさ、悲しさ、諦め、慰め、愛おしさといったものを感じるようになってきた。
 今書くことはしないけれど、それに曖昧でもったいぶったいぶっているように感じられるかもしれないけれど、あえて今回はこれだけしか書きません。この神秘感を薄れさせないために。

 キオヴェッタはスイスのピアニストで、バドゥラ・スコダの弟子とのこと。シオヴェッタとも表記されている。イタリア語読みのほうが正しそうだが、フランス語読みにするとシオヴェッタ。
 たまたま1年ほど前に発売されていたベートーヴェンの最後のソナタ3つを、最近聴いたのである。以前、ここで連弾ものについて「ユートピアのベートーヴェン演奏」というのを書いたけれど、あれに近いかもしれない。闘争的な面は際立てられない。冷たい美しさ。冷たいやさしさ。冷たい陶酔。さっぱりしたレガート。連打される和音を力いっぱいひっぱたいたりはしない。石造りではなくて、ガラスとコンクリートの現代建築にふさわしいベートーヴェン。がならない。叫ばない。優美。

 キオヴェッタは何枚ものCDを発売しているが、完全にツボに入るものとそうでないものが混雑しているように思える。チョ・ソンジンみたいだ。って、キオヴェッタのほうがはるかに年上なのだけれど。
 シューベルトの最後のソナタ。第1楽章で、第1主題と第2主題を特に強く描きわけたりしない。そういうことはいらないという感じで、淡々と、平然と、でもやっぱり狂気。別に他人に聴かせたくて書いたわけではないし、解釈なんていらないだろうに・・・みたいな雰囲気。そうしたほうが、静かに狂っている感じがする。アファナシエフや内田光子は、いかにもおかしい感じがするのだけれど、キオヴェッタのほうは一見まともに見える人が実はおかしいみたいな。暗くない闇、明るい光の闇。もしそんなものがあるなら。


 そして、ポゴレリチの新譜が出た。ショパン。ノクターン、ファンタジー、ソナタというおなじみの曲。で・・・強烈。超強烈。おお、ああ、これだよ、聴きたかったのは。
 一時期、ポゴレリチは異常の極致みたいな演奏をしていて、昔からのファンでもさじを投げる人がいたくらいだ。サントリーホールのコンサートで、休憩後に空席が増えたほど。だけど、私などは、そのころが一番よかったとすら思う。いや、よかったとかではなくて、すごかったと言うか。そのあと、何だかおとなしくなってしまって。以来、このCDは久々の衝撃である。
 この人はもう死んでいるのではないかというくらいの陰気。匂いがしない死臭というものがあるなら、それがあたり一面に漂うとでも形容しようか。心がこの世にないという感じ。生きた人間が奏でた音楽そのものではなくて、その痕跡みたい。
 ポゴレリチが一番極端な演奏をしていたころは、ドイツの新聞で、「こんなものは音楽ではない」とまで書かれた。演奏回数も減ったはずである。おそらくこのCDも、普通の愛好家や評論家にはついていきかねる演奏である。ありえないでしょ、と言うピアニストもいるだろう。いいさ、それはそれで。住んでいる世界が違うということで。ひとりひとりがみんな別の世界を見ている。これはポゴレリチが見ている、暮らしている世界。
 7分以上かかるノクターン作品48の1。それひとつだけ聴けば、満たされる。この7分の中に人生の甘いもの、苦いもの、幻、現実、情熱、死、すべてがあるから。
 ソナタ第3番のゆっくりした楽章の、天に吸い込まれていくような美しさ。それでいて、ずたずたのボロボロになって、でもなぜかまだ立っている明日のジョーを私は連想した。
 もういいんだよ、ショパンではなくても。そんなのはどうでもいいことだ。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

評論家エッセイ情報
キオヴェッタ
ポゴレリチ

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