CD 輸入盤

平均律クラヴィア曲集全曲 ニコラーエワ(4CD)

バッハ(1685-1750)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
AMC2052
組み枚数
:
4
レーベル
:
:
Korea
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

ニコラーエワ/バッハ:平均律クラヴィーア全曲

タチアーナ・ニコラーエワ(1924-1993 ニコライエワ、ニコラーエヴァとも)は、バッハとショスタコーヴィチの権威として、ロシア・ピアノ界でも際立った存在でしたが、彼女をその道のスペシャリストたらしめるきっかけとなったのが、1950年7月にライプツィヒで開かれた「バッハ没後200年記念祭」でした。
 同音楽祭で開催された第1回バッハ国際コンクールの優勝者でもある彼女は、同行したソ連代表団の団長で、コンクールの審査員でもあったショスタコーヴィチの知己を得、「3台のピアノのための協奏曲」を共に演奏するなど、バッハの作品を通じてショスタコーヴィチと懇意な間柄となります。
 ニコラーエワのバッハ演奏は、現代のピアノを用いてバッハ作品を演奏することの意味をよく理解させてくれるもので、随所に込められた深い感情表現、ドラマの構築は、グレン・グールドとはまったく異なる方向性を示しながらも徹底的に解釈し尽くされたという意味では共通するものを感じさせてくれます。
 当アルバムに収録された演奏は、1971〜1973年、ニコラーエワが40代後半だった時期にステレオ録音されたもので、13年後の1984年と1985年に録音されたVICTOR盤、OLYMPIA盤とは別のものになります。

・バッハ:平均律クラヴィーア曲集 全曲(4CD)
 タチアーナ・ニコラーエワ(p)

 録音:1971-73年[ステレオ]
 エンジニア:ヴァレンティン・スコブロ

【ニコラーエワ・プロフィール】
1924年5月4日、ロシア東部のブリャンスクに誕生。最初、母親からピアノの手ほどきを受け、13歳でモスクワ音楽院ピアノ科に入学し、アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事、卒業後も同音楽院教授のエフゲニー・ゴルブレフから作曲を学びます。
 1950年、ライプツィヒでおこなわれた第1回バッハ国際コンクールで優勝し、世界各国で本格的な演奏活動を開始。1955年にはソヴィエト連邦国家賞を受賞。
 1959年からモスクワ音楽院で教鞭をとり、1965年には教授に就任し、後にはロシア共和国功労芸術家の称号を授与されます。
 幾度かの来日でもお馴染みになった彼女の演奏スタイルは、ロマン的でありながらも端正でスケールの大きなものであり、世界各地で絶賛を浴びていましたが、1993年、サン・フランシスコでのリサイタル中に脳動脈瘤破裂により倒れ、収容された病院で亡くなります。享年69歳でした。

ユーザーレビュー

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これはいい。ところどころ間違いもあるよう...

投稿日:2005/08/21 (日)

これはいい。ところどころ間違いもあるようだけれど、それを含めた上で、切ない。特にディスク2と3はまるでショパンを聴いてるようだ。ではバッハをショパン風に弾くといいのかというと、そういうわけではないのだけれど、この物悲しさは引き潮の渚に立つようだ。でも最後はきちんと、テキストの趣旨どおりにこれがピアノのお手本ですよ、と締めくくる。これが“旧約聖書”なら“新約”も聴かねば。

yamaneko_bucchi さん | 如月の産室 | 不明

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叙情性豊かなリヒテル、鉄のような冷徹さを...

投稿日:2003/11/09 (日)

叙情性豊かなリヒテル、鉄のような冷徹さを持つグールドなど平均律には様々な個性が示されているが、ニコライエワのバッハは心暖まる柔和な感じである。まさに永遠のスタンダードであろう。

KURO さん | 福岡 | 不明

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リヒテルもグールドもグルダの演奏もそれぞ...

投稿日:2003/10/20 (月)

リヒテルもグールドもグルダの演奏もそれぞれに素晴らしいものですが,私にとりニコラーエワさんのバッハ演奏は格別なものです.言葉では言い表しい難いのですが,何というか,肩肘を張らず常に自然体でバッハと向き合った素直な演奏という印象を持っています.  彼女の演奏はLP時代に何度も何度も聴いていましたが,改めてCD化されたことを大変喜んでおります.

Peko さん | 仙台 | 不明

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人物・団体紹介

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バッハ(1685-1750)

1685年:アイゼナハで誕生。 1700年:リューネブルクに移り、修道院付属学校の給費生として生活。 1703年:ヴァイマルの宮廷楽団に就職。 1707年:ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストに就任。同年、マリア・バルバラ・バッハと結婚。 1708年:ヴァイマルに移って宮廷オルガニストに就任。 1714年:楽師長

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