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シェーンベルク(1874-1951)

CD Moses Und Aron: Kegel / Leipzig.rso , Haseleu, Goldberg

Moses Und Aron: Kegel / Leipzig.rso , Haseleu, Goldberg

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    伊奈八  |  茨城県  |  不明  |  2021年10月09日

    オペラ「モーゼとアロン」はシェーンベルクの代表作だ。 旧約聖書の出エジプト記を題材としているが、海が二つに割れたりはしない。 口下手なモーゼと雄弁なアロンの、対立や葛藤を軸に物語は進む。 第二幕でモーゼが山に籠ってしまい、不安になった群衆が暴徒と化したため、アロンは禁忌である偶像崇拝を群衆に許してしまう。そのせいで、群衆は退廃と破壊の大混乱に陥る。 その場面、「黄金の仔牛のロンド」が全曲中のクライマックスである。 暴力的な群衆の合唱や管弦楽曲は、シェーンベルクが体験してきた大衆からの攻撃や、ファシズムの時代の恐怖や、民主主義の危機をも反映している。 現代音楽に免疫のない人が聞いたら、冒頭から震え上がるような音楽だが、人類遺産級の傑作である。 ヘルベルト・ケーゲル指揮の「モーゼとアロン」は、同曲の史上6番目の録音にあたる。 1ヘルマン・シェルヘン指揮(1951)(「黄金の仔牛のロンド」のみの世界初演) 2ハンス・ロスバウト指揮(1954)(全曲世界初演ライブ録音) 3ヘルマン・シェルヘン指揮(1966)(舞台ライブ初録音) 4ミヒャエル・ギーレン指揮(1974)(後にストローブ=ユイレによる映画の音源となる録音) 5ピエール・ブーレーズ指揮(1974) 6ヘルベルト・ケーゲル指揮(1976) これらの録音の中で、もっともバランスの取れた名演はブーレーズ盤であるが、実はブーレーズ盤は長所の多くを先行するギーレン盤に拠っている。 野生のトラの如きギーレン盤の演奏から牙を2、3本抜いて、飼い慣らしたのがブーレーズ盤である。 具体的には、録音の遠近感が極端だったり、熱く演奏し過ぎたりしてかえって効果を損なっているギーレン盤の弱点を是正している。 そして、モーゼ役は同じギュンター・ライヒで殆ど変わらないが、ブーレーズ盤ではアロンはよりペテン師的に、祭司はより腹黒くして、登場人物の善悪を分かり易くしている。 ブーレーズもギーレンも、シェーンベルクの音楽上の息子のようなものだが、ブーレーズは父に反抗する息子であり、ギーレンは父に心酔している息子である。 父の音楽をより冷めた目で見ている、その差が、後発のブーレーズ盤を成功に導いた要因とも言える。 ケーゲルは、先行する2人の録音を超えんとして奮闘した。 このように、指揮者同士の影響を論ずることが可能なのは、録音から細部の表現の継承や訂正の跡が辿れるからである。 例えば、第2幕情景1の最後、暴徒と化した群衆が怒号と共に舞台になだれ込んでくるのだが、群衆一人一人がバラバラに喚きながら、そのカオスが次第に大きくなってくるという、(楽譜には記されていない)劇的な方法が使われている。 この方法は、ロスバウトもシェルヘンもギーレンも用いていない。ブーレーズが最初に使った表現をケーゲルも踏襲したのである。(ちなみに、秋山和慶指揮による日本初演でもこの表現が用いられた。) 他方、過剰な解釈は修正が図られた。 ケーゲル盤のアロンはジークリート・フォーゲルで、彼は日本初演でもアロンを歌った。フォーゲルのアロンは悪人どころかむしろ善い人に聞こえるため、アロンに悪意がなくても群衆の暴力を制しきれなかったという、より中立的な解釈となった。 そして、演奏面でも先行盤を凌ごうと、ケーゲルが妥協なく指導した跡が至る所に聴かれる。 オケの音は細部までクッキリハッキリして、ブーレーズ盤でも聞かれなかったモチーフの呼応関係が聴こえてくる。 合唱の鍛えられ方も半端ではなく、音程も発声も実に揃っている。 「グレの歌」でも、合唱部分が異常に優れているので、ケーゲルは合唱にはこだわりがあるのだろう。 テンポは全体的にキビキビ、音型はハキハキして軽快であり、テンポが重めなブーレーズ盤より聴き易い。 しかし、ケーゲルの真摯さが終始演奏に反映され心地良いものの、曲の魅力には直結せずに音楽が流れてしまう傾向が無きにしもあらず。 ブーレーズほど冷徹にも、ギーレンほど熱血にも徹しきれない、ケーゲルの優しさ故であろうか? だが、最大の聴きどころは最後に現れる。 第2幕情景3も大詰め、狂った群衆は遂に破壊と自殺を繰り広げ始める。 ここでケーゲルはぐっとテンポを落とす。 そして、ギーレンもブーレーズも描き切れなかったオケの細部を、この上なく精緻に演奏し始めるのだ。 シェーンベルクが精緻に、冷静に表現した、破壊と自殺の狂宴。 その音楽が遂に真の姿を現したのだ。私は感動に戦慄を覚えた。 そして情景5、モーゼとアロンの対決場面。 ここでギーレンの演奏はカオスとなり、ブーレーズはギーレン盤の弱点を見事克服するも、細部は幾分曖昧なまま残された。 ケーゲルは、室内楽的繊細さを欠くブーレーズ盤の弱点を克服し、シェーンベルクらしい細やかな音楽を丁寧に紡いでいった。 そのせせらぎの如き旋律線の流れが合わさり、遂に大河となったとき、先人の成しえなかった感動的な演奏が生まれた。 これぞ、ケーゲルが残した貴重な遺産。 歴史に残したい「モーゼとアロン」の名演である。

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    ナターシャ  |  東京都  |  不明  |  2008年03月19日

    ちょっとBGM気分で聴きだしたら、あまりの演奏の集中力の高さに耳が離せなくなった。この手の曲にこれだけ共感を持って演奏できる人材は多くない。

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