トップ > 音楽CD・DVD > クラシック > ショスタコーヴィチ(1906-1975) > 交響曲第4番 ゲルギエフ&マリインスキー歌劇場管弦楽団(2001)

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

SHM-CD 交響曲第4番 ゲルギエフ&マリインスキー歌劇場管弦楽団(2001)

交響曲第4番 ゲルギエフ&マリインスキー歌劇場管弦楽団(2001)

商品ユーザレビュー

  • ★★★★★ 
    (2 件)
  • ★★★★☆ 
    (0 件)
  • ★★★☆☆ 
    (0 件)
  • ★★☆☆☆ 
    (0 件)
  • ★☆☆☆☆ 
    (0 件)

レビューを書いてみませんか?

レビューを書く

検索結果:2件中1件から2件まで表示

  • ★★★★★ 

    ルシータ  |  東京都  |  不明  |  2015年07月01日

    適度な緊張感を保ちながら、明快に進行する演奏です。この曲の面白さと奥深さが十分伝わってきます。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに 共感する

  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2011年09月10日

    これは素晴らしい超名演だ。ショスタコーヴィチの交響曲第4番には、ラトル&バーミンガム市交響楽団による名演(1994年)、チョン・ミュンフン&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1994年)があるが、本演奏もそれらとともに三強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。同曲は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも最も大胆極まりない書法で作曲されていると言える。冒頭の強烈な不協和音による主題の後は、多種多様な旋律が貨物列車のように連続して連なっており、終楽章の終結部において冒頭の主題が再現されるまでは殆ど脈略がないとさえ言えるほどの複雑怪奇な曲想であると言える。ショスタコーヴィチは、第5番以降の交響曲においては、表向きは旧ソヴィエト連邦政府当局の意向に従って、できるだけ分かり易い作風にするようにつとめたことから、ある意味では第4番こそは、ショスタコーヴィチが自らの才能の赴くままに自由に作曲することができた交響曲と言えるのかもしれない。耳をつんざくような不協和音やブラスセクションの咆哮、霧のような弱音による旋律の繊細さなど、目まぐるしく曲想が変化する同曲にショスタコーヴィチが込めたメッセージを汲み取ることは困難ではあるが、スターリンによる大粛清が行われ、ショスタコーヴィチの知人にも処刑の魔の手が迫っていた中で作曲されたことに鑑みれば、死と隣り合わせの粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、そして独裁者スターリンへの怒りなどが盛り込まれていることは十分に想像できるところだ。したがって、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの演奏では、とても同曲の本質を描き出すことができないことは自明の理であると言えるだろう。本演奏も含めた前述の3強を占める演奏は、いずれも同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みがあると言えるところだ。私なりに、この3つの名演の性格の違いを述べるとすれば、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力を有しているのはラトル盤、ラトルの表現をわずかではあるが抑制的にするとともに、演奏全体の造型をより堅固に構築したのがミュンフン盤、そして、本盤のゲルギエフによる演奏は、ミュンフン盤と同様にラトルの表現を若干抑制的にしつつ、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な表現が施された演奏と言えるのではないだろうか。あたかも、ゲルギエフが指揮する際のこまやかな指の動きを彷彿とさせるかのように、楽曲の細部に至るまで入念かつ精緻に表現し尽くしているとも言えるところであり、他の演奏では聴くことが困難な音型をも聴くことが可能なのも本演奏の大きなアドバンテージと言えるであろう。いずれにしても3強の演奏はいずれも同格の超名演であり、優劣を付けるのは困難であるが、本演奏が有利な点が一つだけ存在している。それは、3強の中で唯一本演奏だけは、マルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤で発売されているということである。マルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる高音質によって、精緻なゲルギエフの演奏の魅力をより一層深く味わうことが可能になったとも言える。もっとも当該SACD盤は入手難であるが、同曲の3強の一角を占める超名演でもあり、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額でもSACD盤の入手をおすすめしておきたいと考える。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに 共感する

検索結果:2件中1件から2件まで表示