Schubert (1797-1828)
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Schubert (1797-1828) Review List

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  • グレイトはこのライブをテレビで見てLPで聴いて好きに...

    Posted Date:2013/02/08

    グレイトはこのライブをテレビで見てLPで聴いて好きになりました。ホルンの迫力、分厚いサウンド、圧倒されました。LPは全てありますがCDはないので心待ちにしていました。予約ランキング上位に5枚全て入っていたので5枚まとめて予約した人が多いのでしょう〔私もです)これを買う人は75年の演奏を何らかの形で聴いたことあると思うのでクラシックファンは50歳前後以上の人が多いんでしょうね。と言うことはレコード会社はいい加減な商売をすると総スカンをくうことになりそうです。確かに皆さんのおっしゃる通りだぶっている曲もあればベト7の様にカットされているのもあり編集の方針が全く見えてきません。また古い録音なのでリマスタリングしているのでしょうか。ただSHMシートに貼り付けただけの様な気がします。来日録音全てをリマスターセットにすべきでしたね。最近どうも日本の会社の発想が理解できない。リストラで企画のベテランがいなくなったのかなあ。不幸なことです。自滅しないようにベテランを大切にしてあげて下さい。

    まっこ .

    21
  • レビューは討論の場では無い事を承知の上で書きます。...

    Posted Date:2011/03/21

    レビューは討論の場では無い事を承知の上で書きます。 旅の途中さん、INVE...さん達のレビューを読むと、クラシック音楽は特別な最高級の教育を受けた知識人のみが享受できる世界と思えてしまいます。 無教養の私なんかは、シューベルトを娯楽で聴いていますが、悪い事でしょうか?これらの美しい曲を聴いて感動していますが、根が浅いのでしょうか?理解しきれて無いのでしょうか? ピアノを少しかじりましたが、これだけ弾くには才能と、どれだけの訓練、鍛錬、努力を必要としたのか? この、高名な世界的なピアニストに対して尊敬の念も無く平気で星一つ、二つ...。まあ、ポリーニがこれらを読んだら「フン、極東の音楽史も無い、音楽文化もろくに無い島国の...」と鼻も引っかけない事でしょう。 第一、シューベルトの時代これは娯楽でしょう? レビューを書く人達、(旅の途中さんとか)、ひけらかす、衒う...。 これらの言葉がぴったり当てはまるように思えます。 例えば、ワインはどこそこの畑の何年物で無くては..と語ると同じ。 音楽も、ワインも、人生を謳歌する為に存在する物、と思えます。 重箱の隅を、爪楊枝でつついて欠点を探し出すような音楽の聴き方。 聴いていて楽しい、ほっとする、とか多分無いのでしょうね。 眉間に皺を寄せて、荒探しで、楽しむ間も無く聴いている御姿が目に浮ぶようです。 しかし、こう言った輩が、クラシック音楽を、初心者等にクラシックは別物、と思わせてしまう弊害は有ろうかと思います。 録音して聴かせて頂ける、と言う感謝の念は無いのですかね。 演奏が気に入らなければ、聴かなければ良い。声高に叫ぶ事は無い。 人間性、品格が問われます。 批評する相手は、世界屈指のピアニスト。演奏が好きか嫌いかは自由ですが、批評するだけの物をお持ちでしょうか???ひけらかし、衒う。 録音に対する評価は仕方が無いと思います。

    瑛 .

    16
  • シューベルトの「怖さ」とは何だろうか?人は「希望」...

    Posted Date:2011/10/16

    シューベルトの「怖さ」とは何だろうか?人は「希望」とか「憧れ」を持っている。普通はそうだ。しかしその「希望」とか「憧れ」が現実と軋轢を生ずる場合、現実と折り合えない場合、現実とかけ離れている場合、そこには必ず現実との摩擦が生じる。それはどうしても現実との歪みとして顕在化してしまう。人同士の関係性とか、システムの因果関係で吸収とか処理できる程度の歪みなら問題にはならないが、現実との軋轢が大きいほど、それは吸収できず、増殖する。その歪みは人の理性やシステムの中では、必ず憎悪とか悪意といった形で表出してくる。それは「希望」や「憧れ」を侵食し、醜く変形させてしまう。「悪意」が実行されてしまうと、「希望」や「憧れ」は消失し、2度と復元されることはない。ギリシャ神話のパンドラの箱の逸話、人の世に巣食う全てのおぞましきもの数々が箱から抜け出たあと、一番底に「希望」が残っていたのは、その「戦慄すべきおぞましき悪意と絶望」の数々は全てが「希望」から生じたものだからだ。だから「希望」は一番「底」に張り付いていたのだ。人はそのような現実を社会で数多く見て学習するのだが、それでも人は「希望」が捨てきれない、それは人の業そのもの、ある宗教ではそれを「原罪」と呼ぶ。それがパンドラの箱の逸話の正体だ。シューベルトは音楽の世界で、それを正面から見据えて、それでも「希望」と「憧れ」を歌い続けた極めて業の深い作曲家だ。20世紀のシューベルト演奏はそれでも「合理的」なものをシューベルトの音楽に求めようとした。まだ20世紀の前半の時代は、合理的な評価がそのまま通用する時代で、それは演奏家の精神や活動に大きな影響を与えている。ヴァントやブレンデルなどの極めて「合理的」な演奏が極めて優れた演奏になったのは当然の結果だったのかも知れない。しかし、今世界は全く「合理的」ではない。いや、「合理的」であろうとすることは、現実との軋轢を生み、悪意に満ちた悲劇を降臨させてしまうことを、特に20世紀後半以降、我々はあらゆる局面で目撃している。日常生活でももちろんそうだ。現在のクラシック音楽の状況はまさに不合理そのもの、無能がコネで幅を利かす時代。その不合理は、現代の演奏家の活動にも影を落としている。「合理的」なものではなく「不合理」なシューベルト演奏。観念的な懐疑ではなく、構造とその構成を極めて高い技術を使って丁寧に洗い直すことで、シューベルトの「不合理」を提示してしまう演奏。不合理に苦しむ様々なものが、その不合理を憎悪するのではなく、その不合理が様々なシステムを支えるために機能する矛盾を見つめる視点。そこから表出する何か。現在の本当に実力のある音楽家は、そのようなものまで「音」にし始めている。ポール・ルイスは現在「世界最高のシューベルト弾き」と評価されている。このようなシューベルトを、これほどの高い技術で奏でる初めてのピアニスト。しかもブレンデルを中心とした、これまでのシューベルト研究の成果を高い次元で身に着けている物凄い逸材。彼のこれまでの録音も最高レベルをいくものだったが、今回は本当に驚かされた。20世紀的な視点でルイスのシューベルトを聴いていたら違和感を感じてしまうが、18番が再録だったため、私自身の先入観と間違いに気付くことができた。18番の深まりは素晴らしく、これまでリヒテル、ブレンデル、アファナシェフでも上手くいかなかった18番だが、20世紀的な視点で、この曲を表現することは軋轢を生じてしまい、曲の表層で格闘するだけの結果に終わることを、この演奏は初めて教えてくれたように思う。海外で一足先に入手して本当に良かったと思った一枚。

    ひのき饅頭 .

    13
  • 内田光子、ブレンデル、ポリーニ、シフ、ツァハリアス...

    Posted Date:2013/10/20

    内田光子、ブレンデル、ポリーニ、シフ、ツァハリアス、リヒテル、アファナシエフ…、いろいろな人を聞いてみました。なぜかケンプだけは聴いていませんでした。シューベルトの寂寥・悲哀を感じる演奏は多々あれど、聴いたあと包み込まれるような暖かさを感じさせてくれたのはケンプだけでした。生きていく悲しみも苦悩もそれでいいんだよと抱きしめてくれるような演奏です。聴いた後、幸せな気持ちでいっぱいになっている自分に驚きました。シューベルトのピアノソナタを聴いてこんな気持ちになるとは!

    teru .

    12
  • ギーレンの盟友と言うことでちょっと行ってしまった系...

    Posted Date:2010/01/02

    ギーレンの盟友と言うことでちょっと行ってしまった系をイメージすると、あにはからんやまったくまっとうであり、かつ極めて魅力的な演奏をしてくれています。細かいバランスは言うに及ばず、一つ一つの音符が飛び跳ねてくるような全集。プライス次第では持っていて損はない内容だと思います。

    小田春永 .

    12
  • フィッシャー=ディースカウの若々しい声が艶やかに深...

    Posted Date:2012/04/11

    フィッシャー=ディースカウの若々しい声が艶やかに深々と響く。ピアノの音がやや後方に下がっているが、モノラルのハンデを全く感じさせないいい録音・マスタリングだ。しかも4枚組で国内盤1枚より安いという超お買い得盤。対訳はいらない人は取りあえず買っておくべし。

    むろ .

    11
  • 改めて申すまでもなくF=ディースカウの最高最大の偉...

    Posted Date:2010/08/03

    改めて申すまでもなくF=ディースカウの最高最大の偉業です。技術的に上手すぎて「こんな事、俺にしか出来ないだろう」風な歌唱も晩年になるにつれ目立ったが、ここではそれも無く只驚くばかりです。EMIに録音したCD約8枚分の歌唱に比べ、内向的若しくは内省的な歌唱です。それが彼が歌手として加えた年輪なのでしょう。欲を言えば補完的に彼を中心に録音されたシューベルトの二重唱、三重唱、四重唱(LPでは各1枚分づつ)も収録してほしかったです。

    まさやん .

    11
  • 購入してほぼ1年経過、現在3周回目。LP全集に比べた...

    Posted Date:2009/06/10

    購入してほぼ1年経過、現在3周回目。LP全集に比べたら便利このうえなし(LP全集の対訳が今生きている)。演奏(録音も)は理想的、これ以上はないだろうし自分には必要もない。言葉と音楽の不思議、それは人間の不思議にほかならないが、聴くたびに感嘆し、生きているありがたさを噛みしめている。

    gairo .

    11
  • ピアノの音像はやや大きめだが、澄み切った音がはっき...

    Posted Date:2017/01/15

    ピアノの音像はやや大きめだが、澄み切った音がはっきりと捉えられている。ダイナミックレンジの広い演奏で、緩徐楽章は他の演奏家のものよりゆっくりめである。芯があるというか信念を持った毅然とした演奏と思う。遅い部分では、どんどん深みに引きずり込まれてゆき、快活な部分になると救われる気分になる。レオンスカヤは、このCDが初めてだが、感銘を受けた。いずれの演奏も良かったが、即興曲集は、どなたかも書かれていたが、最高の演奏と言えるのではないか。D899の一曲目の出だしで度肝を抜かれてしまった。もっと評価されて良い演奏家と思う。CD6枚一気に聞いたが、最近の大量供給されるCDの中では、こんなことは久しぶりだった。

    Dinkelbrot .

    10
  •  文学、音楽、絵画など芸術を鑑賞する意味は、それに...

    Posted Date:2012/03/13

     文学、音楽、絵画など芸術を鑑賞する意味は、それにより、自分の人生のあり方を問い掛けられるということである。時には、自らの生死の問題にまで及ぶことさえあろう。人生が変わる場合もあるかもしれない。それがなくては、芸術の意味はない。単に楽しみのためだけの芸術と呼ばれるものは、畢竟、芸術足り得ないのである。  ピアノ芸術に限っても、同様のことであろう。現在のピアノ演奏の技巧は、もはや来るべきところまで来てしまった感があり、超絶技巧的な技量の持ち主は数多く存在するのであるが、彼らの中で、聴き手に対して、人生について問いかけて来るようなピアニストは稀である。われわれは、結局なぜ、芸術音楽を聴いているのであろうか。そして、ピアニストはいったい、何のために演奏しているのだろうか。もちろんBGMでありはしない…。これは聴き手の勝手な聴き方の問題ではない筈である。演奏者が演奏する「意味」を持ち、聴き手がその意味をどう受け取るかの問題である。  内田光子の音楽には、常に緊張感がまとわりついている。一世を風靡した彼女のモーツァルト・ソナタの演奏においてさえ、お気楽に楽しむことができないものがある。だがしかし、どの演奏にもわれわれに迫り来る「問いかけ」がある。このようなピアニストは、現代においては、希有で貴重な存在といえる。  しかしこのシューベルトの演奏は、数ある内田の演奏の中でも出色のものと言える。死を意識し続けたシューベルトの薄幸の人生が、内田の音楽性とぴったり符合することがはっきり見てとれる。これは、D.784やD.845の冒頭の楽章を聴いただけでも感じられる。そこには「意味」がある。  それにしても、これらの演奏を聴いていると、内田光子の日常とはどのようなものなのか、つくづく考えさせられてしまう。このような演奏を可能にしてしまう彼女の日常生活は、特別な何かの意識に支配されているはずのものであるからだ。自身の俗な日常性とは無関係に、崇高な芸術性を生み出すことができるのは、モーツァルトのような天才だけである。モーツァルト的音楽家は、もはや出現することがない現代において、内田のこのシューベルト演奏の記録は、現代のピアノ芸術の特別な意義を示していると同時に、芸術性と俗性の関係性の問題を呼び起こしてくる。だから、この録音が、極めて優れた歴史的名演の記録となることは疑いがないであろう。それほどの演奏であるのだから、お気楽には聴けない。しかし、お気楽に鑑賞できないものこそが芸術なのである。

    モデラート宮内 .

    10

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