ユートピアのベートーヴェン演奏

2021年11月24日 (水) 18:00 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第294回

 この秋、東京で内田光子のリサイタルに二度行った。すみからすみまで理解し、意志が通った「ディアベリ」はすばらしかったですよ。作曲家の思っていることがじかに伝わるようで。満員のサントリーホールが呆然。ドイツ・オーストリアの本流をたたきこまれた人の、まるでバックハウスやケンプを思い出させる本格的な響き。シューベルトの即興曲では、霧のような幻想性、じわじわとふくらんでいく様子がもろにフルトヴェングラー。これぞドイツ・ロマン主義。やはりどうせ聴くのならこういうレベルのものでないと、と私などは思う。
 幸いなことにピアノ、ヴァイオリン奏者の来日はある程度復活してきた。そのあともアファナシエフ、ファウストを楽しんだ。



 さて、実は少し前にあるベートーヴェンのCDを聴いて、少なからずショックを受けたのである。ピアノ連弾版による交響曲全集。ピアノデュオ・アナスタシア・リウボフの演奏。特に考えることもなく第5番の頭から聴いたのだけど・・・なに、これ。この力の抜け方。やる気あるの? で、数秒で聴くのを止めた。
 だけれど、しばらくしてからまた気になって、第4番を聴いた。腑に落ちた。時代が変わったと。古楽演奏とか、そういう話じゃありませんよ。もっともっと大きな変化。
 この前選挙があった。自民党が案外勝ったとか、野党がどうとか、いろいろ言われた。たぶんね、与党とか野党とかという考え方がもう古いのだ。今は全員が気分的には与党なのだ。おそらく共産党であってすらも。誰もこの世界を壊したくない。どう直したいか、維持したいのか、ただそれだけ。日本に限らず、先進国は。
 これはそういう時代のベートーヴェン演奏ということ。もう闘争はいらない。この名作は、誰も否定できない名作としてここにある。ならば私たちもそれを弾いて楽しみましょう。空気を吸うごとく自然に。そういう気楽さ。のびやかさ。
 もし私に娘が2人いて、隣の部屋でこれを弾いていたら、うちは何と平和な家庭かと喜び満足するに違いない。つまり、不穏なところがまったくない。おふざけが爆発している第8番もさらさらとやさしいし。コントラストが強くない。横線でドラマを作らない。縦線の和音を強調しない。そんな演奏はだめですか。だめだと私も思いますよ、基本的には。この子たち、何を学んだんだ、何もわかっていないじゃないかとおっしゃる? その通りだと私も思いますよ。ところが、これを聴くと、まったく見当違いの演奏から得られる満足があるのがわかる。何というゆるい心地よさ。
 こういう演奏でなければ、家族がベートーヴェンを弾いていたら、嫌だな。ベートーヴェンは本来禍々しい音楽を書いた。その根底を壊しちゃったのがこの演奏。孤独、唯我独尊、不安、恍惚、そういうものがいっさいない。あの髪の毛ぼうぼうの怖そうな作曲家が、「いや、これは風で乱れただけなんだ」とニコニコ笑っているような。貴族とすれ違うときはちゃんと挨拶したり。使用人をどなりつけたりしないし。狂ったような激しさでピアノを弾いて隣人から文句を言われたりもしない、お坊ちゃんと化したベートーヴェン。みんな裕福になると、金持ち喧嘩せずでお行儀よくなるみたいな。幸せに育って、世の中には不幸があるなんてまったく想像もできないような人間が弾いたベートーヴェン。グロテスクも暴力もない、お花畑のベートーヴェン。昔、コブラという指揮者がいろいろな曲で超のろのろの変な演奏をして話題になったことがある。それ以来のショックだ。これに比べれば、チェリビダッケもフルトヴェングラーもアーノンクールもケーゲルもみんな古い、過去の遺物、遺跡だ。
 念のために書き添えておくと、最初は平坦に聞こえるかもしれないが、薄味なりに変化は考えられているし、機械的でもない。だからゆるゆるとした気分で聴き続けられるわけ。特に第5番の第2楽章以下はリラックスして気持ちよくうとうとしてくる。こんな第5番は空前か。第7番の第1楽章終わりのほうは、ベートーヴェンがすごく変な書き方をしていることがよくわかる。第2楽章は、互いの顔を見て弾くジャズのセッションみたい。微笑みがこぼれそうな第4番。音楽はすてき。世界はすてき。そう言いたいのかもしれない。環境少女グレタとは別種の少女たちの、箸が転がっても笑い出してしまいそうな幸せな遊戯。
 私は皮肉を言っているのではない。本気で私にとってはショックだった演奏だ。価値観がぐらり。もしいつの日かユートピアが実現されるとしたら、そしてそこでもベートーヴェンが演奏されるとしたら、このような演奏であるしかない。気が付くと何度も繰り返して聴いている不思議な全集。え、それとももしかしてユートピアは実現してしまっている? 闘争、すなわち歴史は終わっている?

 もうひとつ、想像以上におもしろかったのが、近衛秀麿とNBC交響楽団の「新世界」。ところどころで19世紀的なロマンティシズムを感じさせる。ケースが大きいのでDVDだと思って再生装置に入れたのに絵が出てこないのでCDと気づいた。ケースが大きいのは新書1冊に近い解説書がついているから。これがたいへんおもしろい。かのストコフスキーが近衛のために尽力していたとか。時局がおかしなことにならなければ、アメリカの主要オーケストラにもれなく出演できていただろうとか。近衛はまさに世界的指揮者になるほんの手前で寸止めにされたのだ。その無念、いかほどのものであったか。
 もともとはラジオ番組。アナウンサーの声とともに聴くと、時間を超えたような不思議な感覚にとらわれる。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

評論家エッセイ情報
アナスタシア&リウボフ・グロモグラソヴァ →YouTube チャンネル
近衛秀麿


評論家エッセイへ戻る

6件中1-6件を表示
表示順:
※表示のポイント倍率は、ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

チェックした商品をまとめて

チェックした商品をまとめて