CD 輸入盤

レオニード・コーガンの芸術(20CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
AN117
組み枚数
:
20
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


レオニード・コーガンの芸術(20CD)

ソ連屈指のヴァイオリニスト、レオニード・コーガンの定評ある録音を集めたセット。写真うつりが真面目過ぎるせいか、かつては演奏のイメージもクールとか冷たいとか規定されてしまっていたような印象もあるコーガンですが、実際の演奏は、高度な技巧と豊かな表現力を駆使した情熱的で思い切りの良いものが多く、無数のソ連国内公演に加え、10回に及ぶアメリカ・ツアーや8回の日本公演など多数の世界各地での公演も実施、さらに映画にまで出演(エリック・ロメール監督『モード家の一夜』ヴァイオリニスト役)するなどして、次第に疲労も蓄積していったようで、58歳のときに国内公演に向かう途中の列車内で心臓発作のため亡くなっています。
 若い頃からパガニーニを得意とし、スピード、切れ味とも申し分のない演奏を聴かせる一方、バロックから現代にいたる作品を音楽史的にとりあげるシリーズ公演も展開するなど、各時代の作曲様式について考慮した活動も展開。同時代作品にも熱心で、ベルクのヴァイオリン協奏曲のソ連初演のほか、ブリテンもとりあげ、また、ソ連作曲家同盟の発表する作品も積極的に紹介していました。

 このセットには、コーガン全盛期の有名な演奏が数多く収録されており、パガニーニ、ラロ、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアン、プロコフィエフ、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、メンデルスゾーン、バッハ、ヴィヴァルディ、ヴュータン、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲のほか、ベートーヴェン、ブラームス、グリーグ、ロカテッリなどのヴァイオリン・ソナタ、奥さん(ギレリスの妹)との2台ヴァイオリン作品集、そして多くの小品を聴くことができます。

スピード狂コーガン
1960年11月、2度目のアメリカ・ツアーでボストンを訪れたコーガンは、車(オールズモビル)で送迎をしてくれていたボストン交響楽団ヴァイオリン奏者のハリー・ディクスンに対し、リハーサルの後、自分にディクスンの車を運転させてくれるよう願い出て、まるで狂ったかのような猛烈なスピードで走行したため、ディクスンはそのとき逮捕されることも覚悟したと述べています。
 コーガンがアメリカの車で難なく高速を出せたのは、当時モスクワで乗りまわしていた新車が「ビュイック・スペシャル」だったからで、オールズモビルを運転させてくれたディクスンに対して、コーガンは「自分の車はもっと良い」と豪語しており、そのスピード狂ぶりが窺えます(余談ですがジノ・フランチェスカッティとジョージ・セルもビュイックでした)。
 コーガンはテクノロジーが大好きで知識も豊富、趣味は写真で、賞を取るほどの写真家だった父親譲りの写真技術はプロ級、自動車の修理も自分でおこない、自宅には数々の音響機器や映像機器が備えられ、はんだごてから削岩機に至るさまざまな道具も駆使して趣味の世界をつくりあげていました。ショスタコーヴィチがまだ自宅でテープ再生できなかったときに訪れたのもコーガンの家だったのだとか。


コーガンと海外公演
コーガンはボストンでの出来事の7年前にあたる1953年、スターリンの没後から海外ツアーを開始しており、1955年にはEMIと契約、多額の外貨を獲得するようになり、1958年11月の来日公演の際には大量の家電製品を購入し、1960年にはアメリカからの輸入高級車「ビュイック・スペシャル」も手に入れていました。
 コーガンの多くの趣味の実現に、海外公演が役に立ったことも確かなようですが、当時はソ連国民の海外滞在日数は年間90日までと決められていたので、規定日数消化後、海外公演をとりしきるゴス・コンサートは、客演要請に対してコーガンは病気で出演できないなどと返答してもいました。おかげでコーガンは病弱といううわさが流れてしまったこともあったようです。
 スターリンの死後、税制が軽減傾向となり、政治的にも「冷戦」状態が緩和、外貨を獲得できる音楽家や作家、バレエ・ダンサー、スポーツ選手などの生活水準を大幅に引き上げることにも繋がり、報酬の半分以上は税として国庫に消えるとはいえ、やがてロストロポーヴィチのように大きな別荘に車4台、農地とトラクターまで取得するというすごい人物も登場するようになります。
 高高度偵察機U2撃墜やキューバ危機といった大きな事件があっても、ソ連アーティストによる西側公演に影響が無かったのも、当時盛んになっていた西側諸国への輸出と同じく、需要な外貨獲得手段だったからだと考えられ、コーガンのアメリカ・ツアーも計10回に渡って実施されていました(日本公演は8回)。
 ちなみにソ連は、1947年7月に発表されたアメリカの西側諸国への経済援助&自国輸出の増進政策である「マーシャル・プラン」に対抗するため、同年12月に「モロトフ・プラン」を立ち上げ、東側諸国への経済援助&自国輸出の増進政策をスタート。輸出体制に移行するため、通貨ルーブルを90%も切り下げたので、外貨のもたらす為替効果には非常に大きなものがありました。
 その為替効果の恩恵は西側通貨に限ったことではなく、たとえば、リヒテルやムラヴィンスキーといったソ連アーティストによるプラハ公演が1953年以降急増したのも、同年にチェコスロヴァキアで実施された金融改革を受けてのことですし、その他の東欧諸国や北欧諸国など社会主義経済圏へのツアー増加についても、同じような経済面での理由が背景にあったようです。
 また、戦前のソ連で、ドイツ・オーストリアやフランスなど海外のアーティストによる公演が大量におこなわれていたにも関わらず、戦後はほとんどなくなってしまったという現象も、実際には「冷戦」云々よりも為替効果の影響の方が大きいと考えるべきなのかもしれません。第1次大戦以降、イギリスやドイツは、ロシアの赤軍が支配していない地域を支援して独自の通貨を発行させるなど通貨の混乱をもたらしますが、赤軍が各地域で勝利を収め地方通貨を廃止することで1921年にはソ連通貨に一本化。その後、ソ連政府が正式に成立し、コンサート体制も整うようになると、クレンペラーやシュナーベル、クナッパーツブッシュ、クレメンス・クラウスなど海外アーティストが多数来演するようになります。

スターリンのひとことで叶ったコンクール出場
1951年、ベルギーのエリザベート王妃は「ウジェーヌ・イザイ・コンクール」を戦後再開するにあたって、より国際的なものにするため、「エリザベート王妃国際音楽コンクール」と改称して大規模化。
 ソ連に対しては、1937年ウジェーヌ・イザイ・コンクール優勝者であるオイストラフを審査員として招聘。同時にソ連では出場者を決めるオーディションも開始されますが、コーガンはなぜかオーディションへの参加が許可されず、オイストラフ門下のミハイル・ヴァイマンのほか、アレクセイ・ゴロホフ、オリガ・カヴェルズネヴァなどの出場が決まります。
 しかしヴァイオリニストでもあるエリザベート王妃からスターリン宛にコンクール開催の挨拶とソ連音楽家の出場要請の手紙が届いたことで事態は一変。スターリンはこの要請を受け、コンクールに音楽家を「送って、勝つように」と指示。
 慌てた政府関係者がオイストラフのもとを訪れて誰なら勝てるのか相談すると、オイストラフは、優勝できるのはコーガンだけだと回答。
 コーガンは当時、ヴォルガ川流域を回るツアー中でしたが、強制的に中断のうえモスクワに連れ戻されています。
 当時すでにソ連最高の腕前と目されていたコーガンの演奏はさすがで、決勝前にソ連の外交使節団から「1位になってください。さもないと、私たちにとって非常に悪いことになるでしょう。」と言われて極度の緊張を強いられはしたものの見事に優勝。パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番のカデンツァは驚異的な演奏と伝説になっています。

コーガンの使用楽器
コーガンのヴァイオリンは国家コレクションからの貸与でしたが、ヴァイオリニストとしてのステイタスが高かったので、グァルネリとストラディヴァリの銘器を使っていました。生涯に使用した楽器は、グァルネリが1726年製、1731年製、1743年製の3台、ストラディヴァリが1707年製の1台でした。

生地エカチェリノスラフ
コーガンの生まれたエカチェリノスラフ(現ウクライナ、ドニプロ)は、ソ連(ロシア帝国)有数のユダヤ人居住地域で、1903年にはチェロのピアティゴルスキーも生まれていました。
 同地には19世紀なかばにユダヤ人の大規模な農業コロニーがつくられ、以後、鉱山開発もおこなわれて冶金業も発達、内陸でありながら、大河のドニエプル川(ドニプロ川)が流れていたため、輸送拠点として港湾労働人口も増加し、商業も栄えるなどして多くのユダヤ人が流入、19世紀の終わりには4万1千人を超え、エカチェリノスラフ総人口の約36%がユダヤ人という、ロシア帝国でも有数のユダヤ人居住地域として発展。
 20世紀に入ってしばらくすると、科学学校、鉱山学校、女子学校ほか多くの学校が設立(コーガン私立中学校という名前の学校も)、内戦時にはロシア各地からユダヤ人が疎開して人口が2倍近くに膨れるなど、オデッサ、キエフに次ぐユダヤ人の町として知られていました。
 コーガン家は1934年にレオニードの英才教育のためにモスクワに転居していますが、その7年後の1941年8月、独ソ戦開戦から間もなく、エカチェリノスラフはドイツにより占領され、10月にはドイツ軍などにより、逃げ遅れたユダヤ人約1万2千人の財産強奪と虐殺がおこなわれて渓谷に遺体が隠され、12月には追加で約5千人が射殺されています。
 ちなみに直前の9月末には、同じドニエプル川沿いの約400km上流にあるキエフで約3万4千人のユダヤ人がドイツ軍などにより虐殺され(バビ・ヤール大虐殺)、遺体が同じく渓谷に隠されていました(キエフでの累計犠牲者数は約10万人)。


【年表】

1924年(0歳)
◆ペトログラード、レニングラードに改名。
◆1月、レーニン死去、スターリンが最高指導者に。
◆1月、ソ連憲法制定。
◆2月、紙幣の種類に、25,000ルーブルが追加。
◆8月、ソ連政府、酒類販売を許可。10年間の禁止期間中に、モルヒネやコカインなど麻薬中毒患者が増えすぎたため。一方でアルコール中毒患者も増加するものの、麻薬中毒よりは社会的影響が少ないという判断。
◆ソ連政府、麻薬販売を違法とし、違反者には懲役10年の刑。これにより麻薬使用者が激減。
●11月14日、レオニード・ボリソヴィチ・コーガン、ソ連ウクライナ地方のエカチェリノスラフに誕生。父はボリス・セメノヴィチ・コーガン、母はソフィア・リヴォーヴナ・コーガン。父は賞を取るほどの写真家で、スイス製の機材を購入して革命前からエカチェリノスラフで写真店を営んでおり、アマチュア・ヴァイオリニストでもありました。ちなみにウクライナ語読みではコーハンとなります。同じくウクライナ人のホロヴィッツは、ロシア語読みではゴロヴィッツですが、ロシアにはあまりいなかったのでウクライナ語読みが普及、コーガンの場合はウクライナにはあまりいなかったのでコーガンというロシア語読みが普及しています。

1925年(1歳)

1926年(2歳)
◆エカチェリノスラフ、ドニエプロペトロフスクと改名(その後、1991年にドニプロペトロウシク、2016年にドニプロと改名)。

1927年(3歳)

1928年(4歳)
◆6月、フランスのレイモン・ポアンカレ首相兼財務大臣が、フランを約5分の1に切り下げ。国内債務の大幅な削減と輸出条件の向上による経済再建策。

1929年(5歳)
◆ソ連政府により憲法の宗教に関する部分が改正。すべての宗教の社会的・教育的・慈善的活動が禁じられ、宗教団体の拠点も当局指定の建物に限定、布教活動も不可能となり、また、教会を国と切り離して民間団体として扱い、聖職者には重税が課せられることとなりました。1918年には教会の土地・財産は没収されていたので、これで財政基盤が極度に弱体化し、さらに学校では無神論を教えるようになります。
◆トロツキー、国外追放。
◆スターリンによりレーニンの新経済政策(ネップ)否定。市場経済の廃止。
◆戦闘的無神論者同盟発足。
●コーガン、子供用ヴァイオリンを買ってもらいます。

1930年(6歳)
●コーガン、ドニエプロペトロフスク音楽学校でフィリップ・ゲンリフ・ヤンポルスキーに師事。ヤンポルスキーはレオポルト・アウアー[1845-1930]の弟子で、サンクトペテルブルク音楽院でその助手を務めていたこともありました。

1931年(7歳)
◆12月、スターリンにより、高さ103メートルという世界最大の正教会建造物である「救世主ハリストス大聖堂」が爆破(ハリストス=キリスト)。教会への弾圧はロシア革命初期の1917年から始まっていますが、それでも1930年にはまだ3万の教会がありました。しかし憲法改正後の1931年からは、閉鎖や爆破、収容所への転用などが本格化し、1939年には実際に使用されているソ連の教会は数百ほどにまで減少しています。



1932年(8歳)
◆ソ連・ポーランド不可侵条約締結。
◆ユダヤ系のカガノーヴィチによる民族主義運動抑圧政策でウクライナ国境封鎖。ソ連の輸出を支えていたウクライナ農作物の過剰な収奪により、人工的な大飢饉(ホロドモール)となり、栄養失調により免疫機能の衰えたウクライナの農民たちは、翌年にかけてチフスなどで約700〜1000万人(国連共同声明数値)が犠牲になります。また、民族主義運動の可能性があるということで、ウクライナ人、ウクライナ・ドイツ人の文化人や知識層も追放などされていましたが、ユダヤ系は除外されており、飢饉下でもオデッサなど都市部では普通の生活が営まれていました。

1933年(9歳)
◆モスクワにトロリーバス開通。
●コーガン、ドニエプロペトロフスク音楽学校の大会で優勝。
●コーガン、ハリコフで全ウクライナ・コンクールに優勝。
●コーガン、ウクライナの名教師ストリヤルスキー[1871-1944]に師事するため母ソフィアとウクライナのオデッサに滞在しますが、そこに父ボリス急死の電報が届きます。
●コーガン、母と共にドニエプロペトロフスクに戻りますが、母は無職だったため、モスクワで職を探し、コーガンに教育を受けさせることを決意。

1934年(10歳)
●コーガンと母、モスクワに転居。母はモスクワ中央音楽学校の清掃員として働きます。
●コーガン、モスクワ中央音楽学校に入学。アブラム・イリイチ・ヤンポリスキー[1890-1956]の天才児クラスに編入(ラスにはエリザベータ・ギレリスも在籍)。ヤンポリスキーはコーガンの才能に惚れこみ、徹底的に指導。ちなみに彼らの住居は同じアパートの建物の中にありました。


●コーガン、アメリカからモスクワを訪れたハイフェッツの演奏会を鑑賞。衝撃を受けます。
◆9月、ヤゴーダが内務人民委員に就任。任期中の2年間に粛清を進めるものの、スターリンからはあまり好まれず、左遷となります。

1935年(11歳)
◆モスクワに地下鉄開通。
◆11月、ルーブルの為替相場をフランス・フラン基準に設定。1ルーブル=3フランス・フラン。

1936年(12歳)
◆4月、フランス・フラン切り下げにより、1ルーブル=4.25フランス・フラン。
◆11月、スターリン憲法制定。官僚制を強化。
●コーガン、指揮者としてモスクワ音楽院小ホールで演奏。

1937年(13歳)
◆モスクワ放送でテレビ放送開始。
◆7月、ルーブルの為替相場を米ドル基準に変更。5.3ルーブル=1米ドル。
◆ニコライ・エジョフ[1895-1940]率いるNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)による「大粛清」の開始。1936年9月に内務人民委員に就任したエジョフ長官の方針は、ソ連で政敵の排除に多用されてきた「スパイ嫌疑」を最大限利用するものでした(ある人物がスパイではないことを証明するのは不可能に近いため)。
 エジョフ長官は、スパイを捕えるためには無実の人間をいくら犠牲にしても構わないというようなことを実際に発言していましたし、「自白」に追い込む「拷問」も、前長官のゲンリフ・ヤゴーダ[1891-1938]の時代をはるかに上回る残虐さで徹底、多くの政府関係者と軍関係者を手早く処刑し、さらにそこに国民による爆発的な数の「密告」も加わって、数百万人とも言われる膨大な犠牲者を生み出すことになります。自分にとって都合の悪い人物を、魔法使いや魔女だとして密告する「魔女狩り」の20世紀版です。
◆エジョフ率いるNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)のおこなった「ポーランド作戦」により、ソ連在住のポーランド人約63万6千人のうち約14万4千人が逮捕、すぐにそのうちの約11万1千人が処刑され、数十万人がポーランドに強制送還、その後、逮捕の効率が下がったため、電話帳を見てポーランド風な名前の者を逮捕・処刑するというデタラメな作戦も展開、計約31万人が殺害されています。当時、電話のある家には財産もあることが多かったので、金品を盗むことができるというNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)側の大きなメリットも被害の拡大に繋がったものと考えられます。

1938年(14歳)
◆8月、ベリヤがNKVDの議長代理に就任。スターリンと同じくグルジア正教の家庭の出身。前任のエジョフとその部下を1940年2月に処刑。

1939年(15歳)
◆ロシア正教会の聖職者、900人が処刑。
◆8月、独ソ不可侵条約締結。
◆9月、ドイツ軍、赤軍、ポーランド侵攻。
◆10月、ポーランド分割。
◆10月、赤軍、フィンランド侵攻。
◆10月、ソ連、国際連盟から除名。
◆モスクワでテレビ放送開始。

1940年(16歳)
◆ロシア正教会の聖職者、1,100人が処刑。
◆4月、カティンの森事件発生。NKVD(KGBの前身)が、ポーランド将校ら2万2千人を銃殺。ベリヤが提案、スターリンと政治局が承認。

1941年(17歳)
●3月、コーガン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲で公式デビュー。モスクワの音楽家団体「フィルハーモニー」所属の楽員によるオーケストラとの共演。指揮はベルリンでクレンペラーの弟子を務めていたことがあるレオ・ギンズブルク[1901-1979]。
◆ソ連政府、「ユダヤ反ファシスト委員会」設立。アメリカの投資家たちから莫大な資金を調達。その資金をソ連政府は戦費として使用します。
◆6月、ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻。「バルバロッサ作戦」開始。
◆6月、イタリア、ルーマニア、ソ連へ宣戦布告。
◆7月、フィンランド、ハンガリー、ソ連へ宣戦布告。
◆7月、ドイツ軍によるモスクワへの空爆開始。
◆10月、モスクワ攻防戦(翌年1月まで)。政府機能をクイビシェフに疎開(1944年まで)。多くの政府関係者や学校関係者、文化関連機関関係者が疎開するものの、市民の多くは留まっていました。
●コーガン、モスクワ中央音楽学校と共に疎開。疎開先はモスクワの南西約600kmのペンザで1943年まで滞在。
◆11月、赤の広場で軍事パレード実施。これは約410万人のモスクワ市民のうち、疎開できていたのが、主に政府関係者や学校関係者、文化関連機関関係者だったことから、残された市民が近づくドイツ軍への恐怖から暴動などを起こさないよう安心感を与えるためで、同じ理由からロシア正教への弾圧をやめ、ほどなく復活させることを約束してもいました。


◆11月、ドイツ軍、モスクワから8キロの地点まで侵攻。赤軍必死の抵抗。
◆11月29日、ジューコフ将軍による大攻勢が開始。兵力は極東に展開していた赤軍40個師団、約75万人の精鋭部隊で、すでにモスクワへの移動を完了していました。

1942年(18歳)
◆6月、スターリングラード攻防戦開始(翌年2月まで)。役人など政府関係者の疎開しか認めず一般市民の疎開は禁じられたため、膨大な数の犠牲が出たと考えられています。
●11月、コーガン、兵役年齢に到達。疎開市民や兵士のための慰問演奏活動を開始。まずボリショイ劇場の疎開地であるクイビシェフで、ネボルシン指揮ボリショイ劇場管弦楽団と共演。以後、同地を数回訪れ、グラズノフやミャスコフスキー、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲などを演奏。

1943年(19歳)
◆1月、赤軍、モスクワ攻防戦に勝利。疎開していた組織や市民が戻り始めます。

◆ロシア正教会問題評議会が設立。
◆9月、スターリンとロシア正教会の首脳たちがクレムリンで会見を開き、教会宥和政策を発表。これにより、総主教制の復活、神学校や神学大学の再開、教会機関誌「モスクワ総主教庁ジャーナル」も復刊されることとなり、「戦闘的無神論者同盟」の解散も決定。
●コーガン、疎開から戻ったモスクワ音楽院に入学(モスクワの南東約700キロのサラトフに疎開)。コーガンは兵役に代わる慰問演奏活動をおこなっていたため入学が遅くなりました。



1944年(20歳)
◆1月、赤軍、レニングラードを解放。
●コーガン、モスクワの演奏家団体「フィルハーモニー」に所属。コーガンは、解放されたキエフ、ハリコフ、オデッサ、リヴィウ、チェルノフツィー、バクー、トビリシ、エレバン、リガ、タリン、ヴォロネジ、シベリア、そしてウランバートルにいたる極東各地などソ連全国をまわって演奏し、市民たちを喜ばせました。

1945年(21歳)
◆1月、赤軍、ワルシャワを解放。
◆12月、NKVDのトップ交替。クルグロフがベリヤの後任として内務人民委員に就任。クルグロフはベリヤの部下として、エジョフ派の大量粛清や、チェチェン、イングーシ人の弾圧、ウクライナ民族主義運動活動家の粛清もおこなっていた人物。

1946年(22歳)
◆NKVDの後継としてソ連内務省(MVD)発足。クルグロフが初代内務大臣として1952年11月まで6年間在任するものの、任期なかばから内務省の権限が国家保安省に大幅に移行され収容所管轄省のような状態になったため、1952年にベリヤが国家保安省を内務省に統合、みずから第2代内務大臣となりますが、翌1953年6月にフルシチョフにより逮捕(半年後に処刑)されたため、クルグロフが大臣に復帰。翌1954年には内務省から分離してKGBが発足、1956年1月にはクルグロフがフルシチョフにより解任、以後、左遷ののち1960年に党から除籍されています。
◆2月、第4次5カ年計画(1946-1950)開始。農業が1948年までに戦前の水準となり、工業も1949年までに戦前の規模を回復。

1947年(23歳)
●コーガン、プラハ世界青年音楽祭のコンクールで優勝。
◆9月、コミンフォルム設立。スターリンに次ぐ存在でもあったアンドレイ・ジダーノフ[1896-1948]がスターリンの名のもとに組織したもので、ヨーロッパ各国の共産党との交流・調整を目的とし、アメリカのマーシャル・プランに対抗します。
◆12月、ソ連政府、通貨ルーブルを切り下げ。10分の1のデノミを実施。預金、国債などは優遇措置。

1948年(24歳)
◆2月、ジダーノフ批判。西側コスモポリタニズムを批判し、文化全般についても社会主義リアリズムを重視した方針で統制することをコミンフォルム設立者のジダーノフが宣言。もともとプロレタリア芸術から発展した社会主義リアリズム芸術は、反コスモポリタニズムの視点から反ユダヤ的な方向にも展開しやすく、文学、演劇、音楽、美術、映画などに大きな影響力を持つこととなります。スターリンの死と共に迫害は収まるものの、正式に統制が解除されたのは1958年5月のことでした。ちなみにジダーノフは宣言の半年後、モスクワで52歳で急死しています。
◆5月、イスラエル共和国建国。ソ連はすぐに独立国家として承認する一方、アメリカも承認したため、反共産主義キャンペーンを警戒し、ソ連在住ユダヤ人のイスラエルへの移住は認められませんでした。

1949年(25歳)
◆ソ連政府、イスラエルの親米路線転向に反発し、反ユダヤ・キャンペーンを開始。新聞・雑誌などが大規模に参加。イディッシュ語の文学や演劇に関わる作家や詩人、演出家、俳優などの多くが逮捕。ロシア人であってもコスモポリタン的な人物は同じく逮捕。
◆イスラエルが国連に加盟。59番目の加盟国でした(日本は1956年、オーストリアは1955年、東西ドイツは1973年に加盟)。

1950年(26歳)
◆3月、ソ連、為替をドル基準から金基準に変更。4ルーブル=1米ドルに引き上げ。

1951年(27歳)
●コーガン、エリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝。パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番で驚異的な演奏を披露。

1952年(28歳)
●パヴェル・コーガン誕生。

1953年(29歳)
●コーガン、モスクワ音楽院大学院を卒業。
●コーガン、モスクワ音楽院で指導。
●コーガン、カナダ・ツアー。
◆3月5日、スターリン最高指導者死去。同日にプロコフィエフも自宅で脳出血で急死。プロコフィエフは1941年に妻リナと2人の子供を棄てて愛人ミラとの生活を選択、7年後の1948年にミラとの再婚が認められ、その5週間後にリナが強制労働収容所に送られていました。


◆3月、マレンコフが最高指導者に。1週間で辞任。
◆3月、フルシチョフが最高指導者に。
◆6月、ベルリンで反ソ連暴動発生。ソ連軍が鎮圧するものの、この年だけで東ドイツから西ドイツへの流入は30万人を超えます。
◆7月、ジューコフ元帥が戦車部隊2個師団を率いてモスクワに入り、国家保安省本部を占拠、ベリヤとカガノーヴィチを逮捕。
◆12月、ベリヤ処刑(フルシチョフによる粛清)。

1954年(30歳)
●コーガン、ソ連共産党に入党。
●4月25日、コーガンの娘、ニーナ誕生。のちにピアニスト、モスクワ音楽院教授。
◆3月、ソ連国家保安委員会(KGB)発足。初代議長はセーロフ。

1955年(31歳)
●コーガン、EMIと契約。1963年まで多くのレコーディングをおこないます。
●コーガン、ソ連政府により「名誉記章勲章」対象者に選出、勲章を授与。
●3月、コーガン、パリでコンサート開催。「技術的な完成度と音のパレットの豊かさに関してコーガンと比較できる演奏家は世界にほとんどいない」と新聞で絶賛されるなど成功。
●コーガン、パリでグァルネリ・デル・ジェズ(1726)を取得。

1956年(32歳)
●コーガン、ヴァイオリン音楽の歴史を網羅的に紹介することを目的としたシリーズ・コンサートを開催。
●コーガン、ラテン・アメリカ・ツアー。
◆2月、フルシチョフによる反スターリン演説。
◆6月、ポーランドのポズナニで反ソ暴動発生。ソ連軍が鎮圧。
◆10月、ハンガリーで反ソ暴動(ハンガリー動乱)。ソ連軍が鎮圧。

1957年(33歳)
●コーガン、ヴァイオリン音楽の歴史を網羅的に紹介することを目的としたシリーズ・コンサートを開催。
◆6月、反党グループ事件発生。反フルシチョフの最高幹部保守派らによるフルシチョフ解任に向けての政治運動。幹部会11人のうち7名が賛成してフルシチョフ解任動議が可決するものの、フルシチョフは中央委員会でなければ解任はできないと時間を稼いで抵抗、ジューコフ国防大臣とセーロフKGB議長の協力を得て、中央委員会を開催し、反対派を抑えることに成功、反対派幹部を政権から追放していました(ジューコフも11月に解任)。
◆6月、ウラル核惨事発生。ウラル山中の原爆用プルトニウム製造工場で、高レベル放射性廃棄物が爆発、周辺住民45万人が被ばく。カラチャイ湖はのちに埋め立て。

1958年(34歳)
●1〜2月、コーガン、アメリカ・ツアー。
●コーガン、来日公演。
●コーガン、イギリスで開催されたソ連芸術週間に参加。ギレリス、ロストロポーヴィチも同行。
●コーガン、この年より各国国際コンクールの審査員として招聘されることが多くなります(1978年まで)。
◆6月、フルシチョフ、ブルガーニン首相を解任し、第1書記と首相を兼務。
◆12月、ソ連国家保安委員会(KGB)議長にシェレーピンが就任。前年にマレンコフらによるフルシチョフ解任計画をつぶして彼らを追放。フルシチョフに重用されKGB議長就任するものの、末期には寝返ってフルシチョフ解任に向けて活動していました。

1959年(35歳)

1960年(36歳)
◆5月、ソ連軍、アメリカ軍のU2型高高度偵察機を、S-75地対空ミサイルで撃墜。
●11月、コーガン、アメリカ・ツアー。

1961年(37歳)
◆4月、元軍人で前大統領アイゼンハワーのキューバ対策を手ぬるいと批判していたケネディ大統領が、キューバ爆撃を指示、上陸作戦まで実施するものの失敗。
◆5月、ソ連軍、赤の広場のパレードで大陸間弾道弾を披露。


●7月、コーガン、オランダ音楽祭に出演。
◆7月、フルシチョフにより東西ベルリンの境界閉鎖が決定。翌月、ホーネッカーの指揮でベルリンの壁建設開始。
◆ソ連政府、通貨ルーブルを切り下げ。10分の1のデノミを実施。

1962年(38歳)
◆10月、キューバ危機。

1963年(39歳)
●コーガン、来日公演。
●10月、コーガン、ウィーン・コンツェルトハウスでリサイタル。
●コーガン、モスクワ音楽院教授。

1964年(40歳)
●コーガン、ソ連政府により「ロシア人民芸術家」対象者に選出、勲章を授与。
●5月、コーガン、ボルドー・フェスティヴァルに出演。
◆10月、フルシチョフ最高指導者失脚。
◆10月、ウクライナ生まれのロシア人ブレジネフが最高指導者に。
●11〜12月、コーガン、アメリカ・ツアー。

1965年(41歳)
●コーガン、ソ連政府より「レーニン賞」対象者に選出、メダルを授与。1962年から1964年までの演奏会実績が評価されたもの。
●5月、コーガン、ウィーン・コンツェルトハウスでリサイタル。
●6月、コーガン、ウィーンでロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放響と共演。
●コーガン、来日公演。



1966年(42歳)
●3月、コーガン、イタリアの作曲家で指揮者のフランコ・マンニーノのヴァイオリン協奏曲を初演。
●8月、コーガン、ザルツブルク音楽祭に出演。アバド指揮ウィーン・フィル
●コーガン、ソ連政府により「ソ連民芸術家」対象者に選出、勲章を授与。
●12月、コーガン、アメリカ・ツアー。

1967年(43歳)
●コーガン、ゲヴァントハウス管弦楽団創立225周年記念フェスティヴァルに招聘され出演。
●3月、コーガン、ウィーン・コンツェルトハウスでリサイタル。
◆ソ連国家保安委員会(KGB)議長にアンドロポフが就任。

1968年(44歳)
●コーガン、ソ連短編映画『レオニード・コーガンは演奏する』に出演。
●コーガン、フランス映画『モード家の一夜』にヴァイオリニスト役で出演。エリック・ロメール監督による映画。
●コーガン、来日公演。
◆8月、チェコ事件発生。25万人から成るワルシャワ条約機構軍(ソ連、ポーランド、ブルガリア、ハンガリー)が、戦車2,000輌、軍用機800機の規模でチェコスロヴァキアに侵攻し、すぐに全土を占領。ピーク時の展開人数は約50万人、戦車は6,300輌に達しましたが、チェコ軍は一貫して無抵抗、武装市民による攻撃をやめさせるための展開となり、死者は武装市民側が137人、占領軍側が112名という結果。また、一般市民の国外脱出に特に制限が無かったため、人口の約0.5%にあたる7万人の市民が国をあとにしています。



1969年(45歳)
●2月、コーガン、アメリカ・ツアー。
◆3〜9月、中ソ国境紛争。
●コーガン、モスクワ音楽院教授。ヴァイオリン部門の責任者。

1970年(46歳)
◆8月、モスクワ条約締結。西ドイツによるソ連国内での資源開発の本格化を受けたソ連・西ドイツ間の武力不行使条約。西ドイツはカリーニングラードなどの東方領土を正式に放棄し、両国間の経済活動を大幅に拡大。
◆ソ連政府、西側とのデタント(緊張緩和)が進む中で、西側の影響を懸念し、政府との関係に問題のある人物つについては急遽凍結することとなり、たとえばグリンベルクのオランダ公演とムラヴィンスキーの日本での指揮は「中止」となっています。一方で、オイストラフ、リヒテル、ロストロポーヴィチ、ロジェストヴェンスキーなど政府との関係の良い人物については「許可」という具合に、明暗が分かれています。

1971年(47歳)
●1〜2月、コーガン、アメリカ・ツアー開催。ピッツバーグ交響楽団との共演については、チェロ奏者に亡命者がいたことを理由にキャンセルしていました。
●コーガン、家族共演による3台のヴァイオリンのための協奏曲を含むヴィヴァルディ作品集をメロディアで録音。



1972年(48歳)
●1月、コーガン、ミュンヘンでカール・リヒターとバッハのヴァイオリン・ソナタをレコーディング。メロディア=オイロディスク。
●コーガン、来日公演。

1973年(49歳)
●8月、コーガン、ザルツブルク音楽祭に出演。小澤征爾指揮ロンドン響と共演。

1974年(50歳)
●コーガン、ソ連政府により「レーニン勲章」対象者に選出、勲章を授与。

1975年(51歳)
●4月、コーガン、カール・リヒターとドイツ・ツアー実施。曲目はバッハのヴァイオリン・ソナタが中心。
●5月、コーガン、レニングラード・フィルの来日公演に同行。体調を崩し6月2日の公演で弾けなくなったためギドン・クレーメルが急遽代役として来日し、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲をリハーサル15分で演奏。初の西側での公演ということになりますが、代役だったせいか、2か月後に出演したアンスバッハのバッハ週間での演奏がクレーメルの西側デビューとされることが多いようです。
●2月、コーガン、アメリカ・ツアー開催。

1976年(52歳)
●10〜11月、コーガン、アメリカ・ツアー開催。
●12月、コーガン、アメリカ・ツアー。

1977年(53歳)
●2月、コーガン、パリ公演。

1978年(54歳)
●6月、コーガン、チャイコフスキー国際コンクールで審査委員長に選出。ヴァイオリン部門優勝者はアメリカのエルマー・オリヴェイラ[1950- ]と、弟子のイリヤ・グルベルト[1954- ]。グルベルトは前年のパガニーニ国際コンクールでも優勝。
●8月、コーガン、ザルツブルク音楽祭に出演。
●10月、孫のドミトリー・パヴロヴィチ・コーガン誕生(2017年8月29日に癌のため死去)。パヴェルの息子。
●コーガン、来日公演。

1979年(55歳)
●1〜2月、コーガン、アメリカ・ツアー。
◆12月、ソ連政府、アフガニスタン政府軍支援のため軍事介入(1989年に撤退)。

1980年(56歳)
●コーガン、イタリア、ジェノヴァのキジアーナ音楽院で指導。

1981年(57歳)

1982年(58歳)
●コーガン、ソ連のTVドラマ『ニコロ・パガニーニ』(全3話)で音楽を担当。
●6月、コーガン、チャイコフスキー国際コンクールで審査委員長に選出。ヴァイオリン部門優勝者は弟子のヴィクトリア・ムローヴァ[1959- ]と、セルゲイ・スタドレル[1962- ]の2名。ムローヴァは1980年のシベリウス国際コンクールでも優勝しており、スタドレルはそのとき2位。
●コーガン、ローマ聖チェチーリア国立アカデミーの名誉会員に選出。
●コーガン、イタリア、チェコスロヴァキア、ギリシャ、ユーゴスラヴィア、フランスをまわるツアーを実施。
●10月、コーガン、パリ公演。
◆11月、ブレジネフ最高指導者死去。
◆11月、アンドロポフが最高指導者に。
●12月、コーガン、ウィーンでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲などを演奏。11日から15日まで滞在。
●12月17日、コーガン、死去。息子パヴェルと共にコンサートに出演するため、モスクワからヤロスラヴリ(モスクワの北東約250キロ)に列車で向かう途中、モスクワを出て間もなくのムイチシチ付近を走行中、心臓発作のため急死。
●12月、コーガン、モスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬。


【収録情報】

CD 01
ベートーヴェン
ヴァイオリン・ソナタ第3番 変ホ長調 Op. 12-3
1 I. Allegro con spirito
2 II. Adagio con molto espressione
3 III. Allegro molto


ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 Op. 24「春」
4 I. Allegro
5 II. Adagio molto espressivo
6 III. Scherzo (Allegro molto)
7 IV. Allegro ma non troppo

ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 Op. 47「クロイツェル」
8 I. Adagio sostenuto. Presto
9 II. Andante con Variazioni
10 III. Presto

Recorded on March 29, 1964, Stereo, Live

レオニード・コーガン(ヴァイオリン), エミール・ギレリス(ピアノ)


CD 02
ブラームス
ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 Op. 78
1 I. Vivace ma non troppo
2 II. Adagio
3 III. Allegro molto moderato


ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 op. 100
4 I. Allegro amabile
5 II. Andante tranquillo - Vivace
6 III. Allegretto grazioso

ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op. 108
7 I. Allegro
8 II. Adagio
9 III. Un poco presto e con sentiment
10 IV. Presto agitato

Recorded on 1959 (No.1); 1956 (No.2); 1955 (No.3), Live

レオニード・コーガン(ヴァイオリン), アンドレイ・ムイトニク(ピアノ)


CD 03
ロカテッリ
ヴァイオリン・ソナタへ短調 Op. 6-7「トンボー」[編曲. E.イザイ]
1 I. Lento assai e mesto
2 II. Allegro moderato
3 III. Adagio
4 IV. Cantabile

ピエトロ・ナルディーニ
5 アダージョ・カンタービレ

パガニーニ
6つのヴァイオリンとギターのためのソナタ Op. 2 (op. 9) MS 26*
6 第1曲
7 第6曲

アルベニス
8 イベリア〜第2曲「港」
9 スペイン組曲第1集Op. 47〜第3曲「セビーリャ」

フォリャ
7つのスペイン民謡から**
10 1. ムーア人の布
11 2. 子守歌(ナナ)
12 3. 歌
13 4. フラメンコの踊り
14 5. アストゥリアス地方の歌
15 6. ホタ

サラサーテ
16 サパテアードOp. 23-2**

シューマン
17 幻想曲 ハ長調 Op. 131

シマノフスキ
ノクターンとタランテラ Op. 28

Recorded on 1952 (1-5, 8); 1951 (6-7); 1954 (9); 1964 (10-15) Stereo; 1963 (16) Stereo; 1953 (17, 18)

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)
アンドレイ・ムイトニク(ピアノ), アレクサンドル・イワノフ・クラムスコイ* (ギター), ナウム・ワルテル** (ピアノ)



CD 04
グリーグ
ヴァイオリン・ソナタ第1番 ヘ長調 Op. 8
1 I. Allegro con brio
2 II. Allegretto quasi andantino
3 III. Allegro molto vivace

ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調op. 45
4 I. I. Allegro molto ed Appassionato
5 II. Allegretto espressivo alla romanza
6 III. Allegro animato

ヴュータン
7 ロンディーノ Op. 32-2*

サラサーテ
8 マラゲーニャ Op. 21-1**

J.S.バッハ
ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 BWV 1041
9 I. Allegro moderato
10 II. Andante
11 III. Allegro assai

Recorded on September 19, 1947 (1-3); 1947 (4-7); January 7, 1947 (8); November 13, 1963 (9-11) Stereo

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)
グリゴリー・ギンズブルク(ピアノ), ヴラディミール・ヤンポリスキー* (ピアノ), Abram Marakov** (ピアノ)
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
キリル・コンドラシン(指揮)


CD 05
ブラームス
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 77
1 I. Allegro non troppo
2 II. Adagio
3 III. Allegro giocoso, ma non troppo vivace

ショスタコーヴィチ
ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 Op. 77 (Op. 99)*
4 I. Nocturne. Moderato
5 II. Scherzo. Allegro
6 III. Passacaglia. Andante - Cadenza attacca
7 IV. Burlesque. Allegro con brio

Recorded on January 11, 1958 (1-3); April 24, 1959 (4-7) Stereo

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)
ボストン交響楽団
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団*
ピエール・モントゥー, キリル・コンドラシン* (指揮)


CD 06
チャイコフスキー
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 35
1 I. Allegro moderato
2 II. Canzonetta. Andante
3 III. Allegro vivacissimo
モスクワ放送交響楽団, ワシリー・ネボルシン(指揮)

4 懐かしい土地の思い出 Op. 42 〜第1曲「瞑想曲」
ロシア国立交響楽団,キリル・コンドラシン* (指揮)

5 ワルツ・スケルツォ Op. 34
モスクワ放送交響楽団,アレクサンドル・ガウク(指揮)

ヴュータン
ヴァイオリン協奏曲第5番 イ短調 Op. 37「ル・グレトリ」
6 I. Allegro non troppo - Moderato
7 II. Adagio
8 III. Allegro con fuoco
ロシア国立交響楽団,キリル・コンドラシン* (指揮)

Recorded on October 1, 1950 (1-3); October 3, 1960 (4) Stereo; May 29, 1952 (5); February 22, 1952 (6-8)

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)


CD 07
ベートーヴェン
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調Op. 61
1 I. Allegro ma non troppo
2 II. Larghetto
3 III. Rondo. Allegro

モーツァルト
ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 KV 219「トルコ風」*
4 I. Allegro aperto
5 II. Adagio
6 III. Rondeau (Tempo di Menuetto)

Recorded on June 1957

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)

パリ音楽院管弦楽団
アンドレ・ヴァンデルノート(指揮)


CD 08
ベートーヴェン
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 61
1 I. Allegro ma non troppo
2 II. Larghetto
3 III. Rondo. Allegro

モーツァルト
ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 KV 216*
4 I. Allegro
5 II. Adagio
6 III. Rondeau. Allegro

Recorded on June 1, 1957 (1-3) Stereo; April 24, 1959 (4-7) Stereo

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)
モスクワ国立交響楽団
P. コーガン,キリル・コンドラシン* (指揮)


CD 09
ベートーヴェン
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 61
1 I. Allegro ma non troppo
2 II. Larghetto
3 III. Rondo. Allegro

ショスタコーヴィチ
ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 Op. 77 (Op. 99)*
4 I. Nocturne. Moderato
5 II. Scherzo. Allegro
6 III. Passacaglia. Andante - Cadenza attacca
7 IV. Burlesque. Allegro con brio

Recorded on April 27, 1956 (1-3); October 3, 1960 (4-7) Stereo

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)

トリノRAI交響楽団
チェコ・フィルハーモニア管弦楽団*
ルドルフ・ケンペ,キリル・コンドラシン* (指揮)


CD 10
ブラームス
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 77
1 I. Allegro non troppo
2 II. Adagio
3 III. Allegro giocoso, ma non troppo vivace

ラロ
スペイン交響曲 ニ短調 Op. 21
4 I. Allegro non troppo
5 II. Scherzo - Allegro molto
6 III. Intermezzo - Allegretto non troppo
7 IV. Andante
8 V. Rondo, allegro

チャイコフスキー
9 憂鬱なセレナード ロ短調 Op. 26

Recorded on February 22-27, 1959 (1-8) Stereo ; February 27, 1959 (9) Stereo

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)

フィルハーモニア管弦楽団
キリル・コンドラシン* (指揮)


CD 11
ベートーヴェン
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 61
1 I. Allegro ma non troppo
2 II. Larghetto
3 III. Rondo. Allegro

チャイコフスキー
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 35
4 I. Allegro moderato
5 II. Canzonetta. Andante
6 III. Allegro vivacissimo

Recorded on November 1959, Stereo

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)

パリ音楽院管弦楽団
コンスタンティン・シルヴェストリ(指揮)


CD 12
パガニーニ
ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 Op. 6
1 I. Allegro maestoso
2 II. Adagio
3 III. Rondo. Allegro spiritoso

ラロ
スペイン交響曲 ニ短調 Op. 21
4 I. Allegro non troppo
5 II. Scherzo - Allegro molto
6 III. Intermezzo - Allegretto non troppo
7 IV. Andante
8 V. Rondo, allegro

Recorded on February 22-23, 1955 (1-3); February 21-22, 1955 (4-8)

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)

パリ音楽院管弦楽団
シャルル・ブリュック(指揮)


CD 13
イザイ
2つのヴァイオリンのためのソナタイ短調 遺作*
1 I. Poco lento maestoso - Quasi moderato
2 II. Allegretto poco lento
3 III. Allegro vivo e con fuoco - moderato amabile

ルクレール
2つのヴァイオリンのためのソナタ Op.3*
ソナタ第1番 ト長調 op. 3-1
4 I. Allegro
5 II. Allegro ma poco
6 III. Allegro

ソナタ第3番 ハ長調 op. 3-3
7 I. Adagio - Vivace
8 II. Adagio
9 III. Allegro

テレマン
2台ヴァイオリンのためのカノン風ソナタ ト長調Op. 5-1 TWV 40:118*
10 I. Vivace
11 II. Adagio
12 III. Allegro

ロカテッリ
ヴァイオリン・ソナタへ短調 Op. 6-7「トンボー」[編曲. E.イザイ]
13 I. Lento assai e mosto
14 II. Allegro
15 III. Lento
16 IV. Tempo moderato

J.S.バッハ
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第1番 ロ短調 BWV 1002
17 V. Sarabande

パガニーニ
18 ヴァイオリンとピアノのためのカンタービレ ニ長調 Op. 17 MS 109

Recorded on March 14, 1963 & May 25-26, 1962, Stereo (1-12); June 3, 1956 (13-16); November 16, 1955 (17); February 24, 1955 (18)

レオニード・コーガン, エリザベータ・ギレリス* (ヴァイオリン)
アンドレ・ムイトニク(ピアノ)


CD 14
J.S.バッハ
ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 BWV 1041
1 I. Allegro moderato
2 II. Andante
3 III. Allegro assai

ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV 1042
4 I. Allegro
5 II. Adagio e sempre piano
6 III. Allegro

2台ヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV 1043*
7 I. Vivace
8 II. Largo ma non tanto
9 III. Allegro

Recorded on 1955 (1-3); November 25, 1955 (4-9)

レオニード・コーガン, エリザベータ・ギレリス* (ヴァイオリン)

フィルハーモニア管弦楽団
オットー・アッカーマン(指揮)


CD 15
メンデルスゾーン
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op. 64
1 I. Allegro molto appassionato
2 II. Andante
3 III. Allegretto non troppo - Allegro molto vivace
パリ音楽院管弦楽団, コンスタンティン・シルヴェストリ(指揮)

サラサーテ
4 カルメン幻想曲 Op. 25
Grand Symphony Ochestra, ワシリー・ネボルシン(指揮)

サン・サーンス
5 序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 Op. 28
Grand Symphony Ochestra,アレクサンドル・ガウク (指揮)

ヘンリク・ヴィエニャフスキ (1835-1880)
6 伝説 Op. 17
モスクワ放送交響楽団, アレクサンドル・ガウク (指揮)

Recorded on November 19, 1959 (1-3) Stereo; April 10, 1950 (4); November 1, 1951 (5); May 29, 1952 (6)

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)


CD 16
ハチャトゥリアン
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
1 I. Allegro con fermezza
2 II. Andante sostenuto
3 III. Allegro vivace

4 ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的狂想曲 変ロ短調*

Recorded on June 25, 1951 (1-3); November 11, 1964 (4) Stereo

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)

モスクワ放送交響楽団, モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団*
アラム・ハチャトゥリアン, キリル・コンドラシン* (指揮)


CD 17
ヴィヴァルディ
ヴァイオリン協奏曲 ト短調 Op. 12-1 RV 317
1 I. Allegro
2 II. Largo
3 III. Allegro

モーツァルト
ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 KV 216*
4 I. Allegro
5 II. Adagio
6 III. Rondeau. Allegro

チャイコフスキー
7 懐かしい土地の思い出 Op. 42 〜第1曲「瞑想曲」*

J.S.バッハ
ヴァイオリン・ソナタ第1番 ロ短調 BWV 1014
8 I. Adagio
9 II. Allegro
10 III. Andante
11 IV. Allegro

ブロッホ
12 バール・シェム(ハシディズムの生活のよる3つの情景〜第2番「即興」

Recorded on June 3, 1956 (1-3); November 26-27, 1959 (4-7) Stereo; October 21, 1947 (8-12)

レオニード・コーガン(ヴァイオリン), ヴラディミール・ヤンポリスキー(ピアノ)
パリ音楽院管弦楽団
アンドレ・ヴァンデルノート,コンスタンティン・シルヴェストリ(指揮)


CD 18
ブラームス
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 77
1 I. Allegro non troppo
2 II. Adagio
3 III. Allegro giocoso, ma non troppo vivace

チャイコフスキー
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 35*
4 I. Allegro moderato
5 II. Canzonetta. Andante
6 III. Allegro vivacissimo

Recorded on March 1953 (1-3); June 4 & 11, 1956 (4-6)

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)

パリ音楽院管弦楽団
シャルル・ブリュック, アンドレ・ヴァンデルノート* (指揮)


CD 19
ハチャトゥリアン
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
1 I. Allegro con fermezza
2 II. Andante sostenuto
3 III. Allegro vivace

サン・サーンス
ハバネラ ホ長調 Op. 83
4 Allegretto e lusinghiero -
5 Allegro -
6 Allegro ma non troppo

メンデルスゾーン
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op. 64*
7 I. Allegro molto appassionato
8 II. Andante
9 III. Allegretto non troppo - Allegro molto vivace

Recorded on January 12-13, 1958 (1-6) Stereo; April 29, 1960 (7-9) Stereo

レオニード・コーガン(ヴァイオリン)

ボストン交響楽団, ロシア国立交響楽団*
ピエール・モントゥー, エフゲニー・スヴェトラーノフ* (指揮)


CD 20
ベートーヴェン
ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 Op. 47「クロイツェル」
1 I. Adagio sostenuto. Presto
2 II. Andante con Variazioni
3 III. Presto

プロコフィエフ
ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 Op. 63
4 I. Allegro moderato
5 II. Andante assai
6 III. Allegro ben marcato

Recorded on May 30, 1952 (1-3); November 18, 1955 (4-6)

レオニード・コーガン(ヴァイオリン), グリゴリー・ギンズブルク(ピアノ)
ロンドン交響楽団
ベイジル・キャメロン(指揮)




【商品説明:年表シリーズ】
指揮
アルヘンタ
オッテルロー
ガウク
カラヤン
クイケン
クーセヴィツキー
クチャル
クラウス
クレツキ
クレンペラー
ゴロワノフ
サヴァリッシュ
シューリヒト
ターリヒ
チェリビダッケ
ドラティ
バーンスタイン
パレー
フェネル
フルトヴェングラー
メルツェンドルファー
モントゥー
ライトナー
ラインスドルフ
ロスバウト

鍵盤楽器
ヴァレンティ
カークパトリック
カサドシュ
グリンベルク
シュナーベル
ソフロニツキー
タマルキナ
タリアフェロ
デムス
ナイ
ニコラーエワ
ハスキル
ユージナ
ランドフスカ

弦楽器
カサド
コーガン
グリラー弦楽四重奏団
シュタルケル
シュナイダー四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
ハリウッド弦楽四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
フランチェスカッティ
ヤニグロ
リッチ
伝説のフランス弦楽四重奏団

作曲家
アンダーソン
ヘンツェ
坂本龍一

シリーズ
テスタメント国内盤

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