第18位

2005年8月8日 (月)

Big Star チャートと無縁だった悲運のバンド

『過小評価されているアーティスト』の第18位…Big Star

ビッグ・スター。近所のスーパーマーケットの名前からつけたという、この何とも皮肉な響きのする名前を持った70年代前半のバンドは、文字どおり、瞬きをする間に見過ごしてしまいそうな輝きを一瞬放ったのち、終にロック界の「巨星」となることなく墜ちていった。彼らのデビュー作 『#1 Record』は、所属レーベル側の事情により充分なプロモーションを受けられず、その名に反して商業的には全く「ナンバーワンの記録(レコード)」とは程遠い結果に終わったし、その後の2枚のオリジナルアルバムも、前作の失敗が遠因となり、音楽シーンから注目されることなく、チャートとは無縁の作品となった。

時代を超えた、真のビッグ・スター(?)

パンクの季節を迎えていた1978年のロック・シーンで、実際にはその3年前に完成していた一枚のアルバムが話題を呼んだ。Big Star『Third / Sister Lovers』だ。これによって60年代のVelvet Undergroundと同様に、70年代のBig Starは、パンク以降の数々のアーティストに影響を与えるカルト・バンドとなったのだった。米南部出身のdb'sR.E.M.は、Big Starへのリスペクトを自らの音の中で隠そうとはしなかった。Big Starのメンバー、Alex Chiltonの曲をカヴァーしたミネアポリス出身のReplacementsは、後にChiltonにプロデュースしてもらったほか、彼に捧げる曲まで歌った。80年代初頭のLAシーンから登場したBanglesは、後に彼らの”September Gurls”をカヴァーした。日本では、いわゆる「東京ロッカーズ」で知られるS-kenも、Chiltonへの敬愛を口にしていた。

その後の流れでいうと、90年代ギターバンド〜パワーポップ勢への影響にも触れないわけにはいかない。英スコットランド出身、Teenage FanclubのNorman Blakeは、某英国音楽新聞に掲載された「人生を変えられた10曲」というような企画記事で、彼らの”September Gurls”をその中のひとつに挙げていたし、米国のPosiesのメンバーは、好きが高じて、90年代半ばにAlex Chiltonらと再結成Big Starのメンバーとして、ツアーを廻ったのだった。Big Starは解散から15年以上が経ったこの時期、ある種のバンドにとって、「最高にクールなバンド」以外の何者でもなかった。

不遇の現役時代〜崩壊へ

ここでBig Starの歴史を簡単に振り返ろう。Big Starのオリジネイター、Chris Bell。メンフィス出身の彼は地元で、ドラマーのJody Stephens、ベースのAndy Hummelとともに音楽活動を行っていたが、そこへミュージシャンの旧友、Alex Chiltonが里帰りしてきたことから、Big Starの物語が始まる。

Alex Chiltonは弱冠16歳でBox Topsというティーンエイジャー向けバンドのシンガーとしてデビュー。60’s英国スタイル〜米R&Bを基調にした翳りのある声と実年齢よりも大人びた雰囲気を持つ1967年”The Letter(あの娘のレター)“の全米No.1ヒットをはじめ、7曲のトップ40ヒットを放ったグループの看板シンガーとして活躍した人物だった。

所属するアーデントというマイナーレーベルの本拠地であるアーデント・スタジオに入り浸っていたBig Starの4人は、1972年にデビュー作『#1 Record』を発表。批評家筋には絶賛されたものの、アーデントを配給していたスタックスが大メジャーのコロンビアと提携するといったゴタゴタの中で、本作は商業的にほとんど「無きもの」とされた。失望を感じたChris Bellがこの頃脱退。トリオ編成で録音された、続くセカンド『Radio City』も前作同様、「プログレッシヴ・ロック」全盛時代に背を向けるような、ByrdsBeatlesを感じさせるポップかつアグレッシヴな音で、批評家にさらに絶賛されることとなったが、こちらも全く売れず。今度はHummelが脱退。1974年終盤に、バンドはChiltonとStephensのふたりだけとなってしまった。ちなみに別のベーシストを加えて廻ったこの時期のツアーの音は、ラジオのスタジオライヴ音源で構成された『Big Star Live』として1992年にリリースされている。

名作『Third』は1975年に録音されていたが、実際にリリースされたのは1978年のことだった。実質Alex Chiltonの初ソロ作ともいわれる同作では、彼のエモーションや世界観が、奇妙にドラッギーな雰囲気を携えつつ、これ以上なく美しい形で表現されている。このアルバムは、ときに『Sister Lovers』といった名前で何度となく再発され、後のシーンに多大な影響を与えた。ちなみに脱退したChris Bellは1978年の暮れに自動車事故で他界したが、同時期に彼自身のソロ・プロジェクトを完成させており、これは先述の『Big Star Live』とともに『I Am The Cosmos』というアルバム名で死後14年経った1992年にリリースされている。

1975年、グループは空中分解したが、その後Alex Chiltonはソロシンガーとして活躍。ルーツであるR&B/ソウルを前面に出しつつもクールな佇まいを持ったロックンローラーとして、作品を発表したり、小さなクラブを廻ったりして活動を続けている。

その後しばらくして、上でも触れたように1993年には PosiesJonathan AuerKen Stringfellowが、ChiltonとStephensのバックを務め、再結成Big Starが実現。ミズーリでのライヴ音源は、アルバム『Columbia: Live at Missouri University』としてリリースされ(Chris Bellのソロ名曲“I Am The Cosmos”も演奏され、収録されている)、彼らはヨーロッパや日本でもツアーを行った。そしてその再結成から12年が経つ今年。9月に新作『In Space』がリリース、との報が伝わってきている。

「アンバランスの美」が解散後に再評価

ラウドでビッグなサウンドを聴かせながら、一方で、ときにセンチメンタルなロック・テイストを持った1st、2nd。独特のヨレヨレ感/漂白感がマニアやポストパンク以降のアーティストを捕らえて離さない名作3rdアルバム。Big Starのサウンド自体のユニークさ、そして70年代前半のバンドらしくプロフェッショナル/メインストリーム志向でありながらも、どこかに「アンバランスのバランス」を保っている佇まいは、唯一無二のものだ。Byrdsなどの米フォーク・ロックやマウンテン・ミュージック的なイナタさ、後期Beatles風のハーモニー、Box Topsに居たChiltonらしいKinksYardbirdsといった60’sブリティッシュ・ビート系の哀愁漂うシャープな感覚。さらには、パワーポップという表現では明らかに生ぬるいと感じさせてくれるワイルドなハードロック感覚や米国南部に根づく滋養に満ちたロックンロール感。あるいは3rdアルバムで見せたアート志向とアシッド感がないまぜになったVelvet UndergroundSyd BarrettTim Buckleyといったカルト・ヒーロー特有の悲劇的な匂いまで。そんな純音楽的な多様性と、のちのポストパンク以降のリスナーに好まれそうな、どこか不安定で不器用なデコボコとした個性を同時に感じさせてくれるバンドなど、そうは居ない。特に後者に挙げた個性は、音的には元祖パワーポッパーともいえるBadfingerRaspberriesなどには、さほど感じられない部分だし、ひと口にパワーポップといっても、Todd RundgrenVan Durenのような、主に「個」を感じさせるフィーリングは、Big Starにある、地方のクラブをツアーしながら、ラジオ局巡りという、しがない米国ドサ廻りバンドのロマンティシズムとは無縁である。

1974年のライヴを収めた『Big Star Live』の極度にバランスの悪い音質とヨレヨレの演奏を耳にすると、スタジオでは繊細さを発揮した彼らが、ライヴ演奏には決して満足していなかったという話を思い起こす。また同時に不安定だった当時のバンドの本質が浮き彫りにもなる。メンバーのJody Stephensは、Badfingerの前座としてボストンで一日ニ回のショウを行ったときのことを、こう語った。一回目のショウは彼らが行った最低のライヴであり、二回目は最も素晴らしいものだった、と。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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